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人間関係の気付き

目から鱗な話がある。

わたしは幼少期は毒母からの肉体的・精神的虐待、そして中学時代は2度の転校を経験して嫌な教師・嫌なクラスメイトに恵まれ、すっかりひとを信じられない人間だった。
友達は、少ないながらいるにはいるのだが深い話をすれば面倒がって逃げていくだろうと思い自己開示を避け続けていた。
つまり、自分とお金以外何も信じていなかった。

そんな人間が少しずつ自分の弱みを話せるようになり、ADHDや毒母のことを聞いても受けて入れてくれた貴重な友人を信じられるようになった大学生の頃、キャバクラのバイトで店外で食事をした帰り、客からレイプされかけて男性が無理になった。恋愛なんてまやかしで、所詮女は若さと愛嬌と美貌、そして身体。男は金と社会的地位。それらの等価交換だと考えるようになった。

大学を出て就職したブラックな職場の意地悪な先輩が、毎日のように昨日彼氏と喧嘩したんですよ〜とばかりほざいていて、"喧嘩するくらいなら気が合わないのだから別れて他をあたればいいのに"と思いながら死んだ顔で話を聞いていた。彼女の話題は常に彼氏で、けなしながらもべったり依存しているんだなと伝わってくる内容だった。異世界の人間だと感じた。

それをふと最近思い出してもやもやしていたが、それに関連してこんなことを思い出した。夜のバイトをしていた頃、当時嫌っていたボーイにこんなことを言われたのを。

「本気で客とケンカして仲直りするのはしょうもないことだって思ってるのか?」

客と喧嘩する嬢なんて阿呆だと思っていた。そんな労力使うくらいなら適当に出まかせでも言って誤魔化して綺麗な上っ面でなんとなく一緒にいればいいだけなのに頭が悪いなと。

きっと、頭が悪いのはわたしだった。人間関係で本気かどうか、強い気持ち・関心があるかどうかはとても重要だった。わたしは問題を起こさないこと・男の気持ちを下手に煽って襲われたり恨みを買ったりしないことを優先して本気の気持ちのやり取りなどしたことがなかった。売り上げがある一定の金額で止まってしまったのはその辺りが原因だろう。最初は良くても、長い付き合いになるうちに客の顔が冴えなくなってくる。これは今までの恋愛でも全く同じパターンだった。

わたしは誰も信じていない。誰も頼らない。そうやって生きてきた時期が長すぎた。
信じてもらえなければ、頼ってもらえなければ、わたしのそばにいたいという相手のニーズが満たされるわけない。相手を幸せにするために、頼るなんて考えたこともなかった。あのときのボーイがわたしに言いたかったのはそういうことなんじゃないか。あのときはわからなかったが、やっと答え合わせができたような気がする。


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