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ATHENA -アテナ- (Netflix)

 長回し、長回し、長回し。とにかく長尺の長回しが連続する、ネットフリックス映画『アテナ』を鑑賞。フランスの抱える分断。デモとそれを取り締まる警察の対立。
 この長回しは、ただのすげーだろという見せびらかしではたぶんない。登場人物たちが一人で静かに様々な思いに駆られている場所から、分断と対立と暴力が巻き起こっている騒乱の場所までは、てくてくてくと歩いて行ったら、シームレスに繋がっている。たぶん、そのための長回しなのだろう。さっきまで弟が死んだことに打ちひしがれていた登場人物たちは、悲しみから怒りの暴力へと、てくてくてくと歩いている間に感情をシームレスに変質させていく。分断と対立は遠いどこかで起こっていることではありませんよ、あなたが歩いて行ける駅近物件ですよということを、長回しが痛いほど伝えてくる。

ここまでは感動した点。以下は、あまり気に入らなかった点。

 昨今の映画は、スマホ視聴に対応して、俳優の演技を顔のアップを主体に撮り、顔で演技させる傾向が増えてきていると聞いていたが、ネットフリックスだからなおのことなのか、まさに、顔アップの連続。
 顔アップ映像が映画に増えることは、そのまなざしが、世界を描くものから、個人の物語を描くことに寄ってしまうことは必然。それでも世界を描こうとする時、(シン・ゴジラのように)多数の人物の顔アップを細かいカットで繋いでいくか、(シン・ゴジラのように)わざと画質に変化を出させて、複数のカメラで撮ってますよ的演出をするかなどの工夫が必要となってきたのだなぁと感じている。しかし、そういった演出は、多数の他者が構成する世界は描けても、物語の強度としては弱くなってしまうように感じていた。
 『アテナ』も物語というより、ドキュメンタリー的であり、全体のストーリーとしては、この映画がつくられたフランスに住んでいたら、もはや社会状況として体感で理解できるのかもしれないが、日本に住んでいる私としては、「フランスの分断というのは凄まじいものだなぁ」くらいの浅い理解に留まってしまう。せいぜい「日本もこういった状況にもはやなっているよなぁ」くらいの厭世観が顔をのぞかせるくらいで、物語を堪能したという気分にはなれなかった。
 


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