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高校生の自殺者が多いというニュースが気になりました。

小中高生の2023年の自殺者が「513人」というニュース。

513人。これをどう捉えたらいいだろう。47都道府県をざっくり50としたら、1つの県で10人ちょっと。千葉県は、人口が多いから20人以上だろうか。そうすると1か月に2名の子供が、自殺をしているということになる。

2人。それは辛い話だ。毎月、毎月、この千葉県という土地のどこかで、どうやって死ぬべきか考え、準備をして、実行している。どこか高いところから足を踏み出すその一歩、ナイフで手首を切る、首を吊るという、その行為を本当に行っている。

私だって妄想ぐらいはする。疲れ切っている時に高速道路を運転していれば、このまま急な事故に巻き込まれたとしても、即死できるならそれでいいやと考えるような事もある。しかし、あくまで他力であり、自力で、自ら自分の生命を支えている臓器を台無しにする行為にまでは、さすがにたどり着いたことはない。でもきっと、自分が必要とされていないと思えば、自分を雑に扱ってしまうのだろう。自分が無価値だと思っているのだ。本当に悲しい。

インスタで、ある日本人の女性が、オランダで安楽死に臨む場面の動画が流れてきた。手元にあるチューブのバルブを開ければ、そのまま緩慢な死に至るという。彼女は、病気で痛みに苦しんでおり、そこから解放されると喜んでいた。自ら死を選ぶ権利というものは、これから日本でも保障されているのだろう。

しかしながら、若い子はどうだろうか。「あの人に自分がどんなに好きだったか死んで思い知らせてやる」というような自己陶酔でも死を選びやすい年代だ。「なんかダルっ」という理由でも充分だ。色んな情報が入ってくる年頃で、そのどれを自分が選ぶべきなのか、自分がどうしたいのか考えるのも億劫になる年頃に、安楽死が身近になってしまったら、大変なことになってしまうと思う。

ガンを克服しつつある人類の最後の病気が、認知症という話がある。あらゆる病気が少しずつ治るようになってきたが、この認知症だけは別のようだ。高齢化し、延命治療もできるわけだが、「心身の健康」までが延命できたわけではない。科学者はこぞってこの新しい難問に取り組むのだろう。

若年層の自殺も、高齢者の認知症も、我々に生きる意味を問うてくる。ただ生きるのではなく、なぜ生きるのか。そんなことを現代人は問われる。飢餓やミサイルに怯えて、今日1日生き残ることが目的の人たちもいるのだから、安全が保障されていることは本当に幸運なのだが、しかし、意味が見いだせなければ、死を選択する。


ウチの9歳の長男は、大きくなったら、たこ焼き屋の屋台をひっぱって、全国を回りたいのだという。たこ焼きだけではなく、その土地で獲れた食材も利用して売りたいと言っていた。何か自分でお店一つをもって、どこかを放浪したいという欲求があるようだ。気持ちはわかる。かつて僕も似たようなことを思っていたし、今でも思っている。60代に入るころ、長めの休暇を取れれば、世界中を回ってみたい。この世界がどんなふうになっているのか、見てみたい。

それだけでいいではないか。夢は、見ないことだって自由だ。おいしいものを食べて、運動をして、好きな人と一緒に居たり、たこ焼きを、海辺で焼いたりするのも人生だ。

不安定な世の中だけど、どうか、その若者たちが、最低限の生活がきちんと保障されていて、そして誰か、くだらないことでいいから話ができればいいのにと思う。案外、悩みというのは、大したことないもんですよ。そう思って、僕も午後、てきとうに仕事を片付けるとしますか。

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