「STRATI. ECO-FOBIA POETICA(訳: 層。詩的エコフォビア)」を鑑賞する
先日、街の中心部の裏道のとあるギャラリーを訪れた。ここには以前入ろうと2度トライしたのだが(その際は少しポルノっぽい感じの展示を行っていた)、会期中にも関わらず2度とも閉まっていて、「このギャラリー、本当に営業しているのだろうか、それとも内容が内容なだけに、明記はされていないけれど予約が必要なのだろうか?」と、リベンジする機会を狙っており、今回、見ても良いかなと思う新しい展示が始まったので、また入れないことのないよう、開始の翌日に訪れた。
今回の展示は、『現実の概念的基盤としての「階層化」のパラダイムを調査するグループ展。キャンバス、写真、彫刻を含む26点の作品を通して、複数のアーティストの現実に対する特別なビジョンを比較する』云々という、ちょっと小難しい感じの説明付きだ。しかし作品を見るとなんのことはないグループ展で、正直に言うと、趣旨があまり伝わってはこないけれど、中には興味深い作品もあったので、幾つか紹介したいと思う。
さて、Katharina Veerkampのシリーズ「Invasive Aliens(侵略的エイリアン)」へ移ろう。これは、ある種の植物が、それが挿入された風景を占拠し、支配し、形作り、変容させる状況を伝えるものだそうだ。
置かれた状況を犯すことなく、以前は他者によって占有されていた場所に生息しようとする外来種。「虹色の塗料と半透明のパネルのおかげで、正面から見るとモノクロームに見えるが、横から見ると、自由奔放な自然のテクスチャーと形が浮かび上がってくる」という補足説明があるが、確かに、正面から見るとほぼ濃いグレーと黒なのだが、横から見ると、角度によって、下のような柄がぼんやり、またははっきりと見える。ただ、映り込みが酷く、もう1点は紹介できるレベルには撮れなかったので、2点だけ載せておく。
次に、シリーズ「Foothold」へ移ろう。
アクリルガラスと酸化金属の間に、乾燥させプレスした蔦を埋め込んだ作品だ。
大昔、小学校の夏休みの自由研究で、押し花やら蝶やらに樹脂を被せたものを提出した記憶があるが、それの巨大版といったところだろうか。あの作品はまだ恐らく、宝箱という名のガラクタばかりが入った小箱の奥に入っていることだろう。今年の夏の帰国時には、今一度あの箱を開けてみようか・・・などと思わず懐かしさがこみ上げる作品で、様々な角度から眺めてみたが、良く撮れているのはこの2枚しかなかった。
次に、Dingyue(Luna)Fanというアーティストの作品へ移ろう。
このアーティストの特徴は、夢幻の中の物や緊張の流れに迷い込むようなフォルムを創り出すことで、作品は基本的に記憶と結びついているそうだ。
いよいよ、日本人のデジタルグラフィックアーティスト、村山誠氏の作品へ移ろう。
村上氏は、現実の変容のプロセスを構築し、植物や有機物の顕微鏡観察や解剖から芸術活動を展開しているアーティストだそうだ。これらの要素を3Dグラフィックで再現することで、人間の行為の可能性を最大限に表現しているそうである。
展示されている2つの作品には、「花のしなやかなフォルムは、魅惑的な原型の可塑的な隠喩である。2つの曲がった身体が出会い、時間と空間が関連性を失う光のダンスが繰り広げられる。エロティックであり、実存的でもあるこの2つの作品は、異なる意味の層に基づいており、それらが混ざり合い、物語の中で一体化している」という説明がつけられている。
正直、展示に付けられている説明がいちいち難解で、作品がすんなり入ってこないのは私だけだろうか?展示の概要がメタファーに満ち満ちていることはしばしばあるが、作品一つ一つに付けられている説明まで、理解に困難をきたすような展示は、そうない気がする。。
それを思うと、前回トライして見られなかったポルノ的展示にも、こんなにもどかしい説明が付けられていたのだろうか?
例えば、「満月の夜に前頭葉から絶え間なく送られる不気味なほど青光りする冷淡な炎の先端が、摩羅の根幹に一定のリズムでシグナルを送り、そこから生じる螺鈿のような微細な彩色のスペクタクルが 云々」みたいなことが一つ一つに付けられていたのだろうか?むしろそちらの方が気になるシマ子である🤭
また脱線してしまった、脱線の度合いにもほどがある💦
気を取り直して、作品をどうぞ。
去年の夏季休暇に帰省した際、札幌の狸小路にできたばかりのAOAOという水族館に母と2人で訪れたのだが、この作品を見ていて、なんとなくそこの水クラゲの水槽を思い出した。妖艶な輝きを放ち水中を浮遊するクラゲたち・・・その姿とこの胡蝶蘭のダンスに何かしらの共通点があるように思えてならない。
最後の作品群へ移ろう。
Sophia Pauleyという、深いノスタルジーと感情性を伴う絵画、ドローイング、彫刻的インスタレーションを交互に展開する1994年生まれの若いアーティストの作品だそうだ。絶え間なく素材の探求をし、伝統的な絵画モデルを超えた方法を模索し、その結果生まれたのが、今回の木製手染めロープを使った作品だそうだ。
一見すると、テレビの砂嵐のようにも見えるが、近くから見ると、ロープ1つ1つの断面や長さのばらつき(計算されて付けられたばらつきだと思う)までよくわかる。
今回の展示を見て、現代アートについては、説明を読むのも善し悪しだな、と実感させられた。
基本情報は必要でも、これほどこねくりまわされた説明が付けられると、本来ならば作品に集中すべき神経が説明にばかり注がれてしまい、すんなり入ってこないなぁ、と身をもって感じたからである。
もうこのギャラリーには行くこともないと思うが、でももし、またいつか、ポルノっぽい展示をやることがあれば、その際には一体どのような説明が付けられているのか、今度は作品ではなく、説明に集中してみたい気は少ししている。
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