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Mちゃん-20年以上外見が変わらない秘訣は何?-

これは、再び「ものを継続的に書いてみようかな」と思うきっかけになった出来事である。2022年の8月、コロナの隔離期間がなくなり3年ぶりに帰国したあの日、行きのトランジットのミュンヘン空港で実際に起きた出来事である。その後、8末にミラノに戻ってから秋口まで日に2、3本散文を書き(時差ボケが酷く、2週間近く夜中に目覚めていたせいだ)、結局は去年の10月下旬にNoteを始めるまで、箪笥ならぬ机の肥やしになっていたのだけれど。

新年1本目としてはちょうどよい内容かな、と思い、今更打ち直してみた。

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ミュンヘン空港で搭乗の列に並ぼうと立ち上がった時、カウンターで流暢なドイツ語で会話をする女性の横顔に目が留まった。留まったというより、すぐに釘付けになった、という方が正しいかもしれない。

肩までの黒髪を後ろで一つに結んだ、化粧っ気のない色白の顔、その背丈、醸し出す雰囲気、何もかもが、二十云年前に二外として履修したドイツ語23組で一緒だったMちゃんそのものだったからだ。

彼女がゲートの中に消えていくまでの数十秒か一分足らずの間、私は当時の記憶の断片をこれまでにないくらいのスピードでかき集めた。
彼女の苗字は、とか、どの専修に進んだ、とか、どこの出身だった、とかいうことだが、結果として思い出せたのは、、、
苗字と、
当時は誰も行きたがらなかった専修にロシア文学とドイツ文学があったが、彼女は自らの希望でドイツ文学を選んだこと、
そして博物館学芸員以外で取れるとされたあらゆる資格を取得すべく、日夜学業に専念していたこと(私は彼女が取らなった学芸員の資格だけを持っている)、
お姉さんが一人いたこと、
そして一度一緒にディズニーランドへ行ったこと、
くらいである。

ドイツ文学を専修していたのだから、大学院で何かの研究をした後にドイツに移住していたとしても全く不思議はないが(私の卒業年は大氷河期、文学部卒の就職は壊滅的な状況で、40人強のクラスのうち4月就職者は3、4人だったと記憶している。それゆえ、家庭に余裕のある人は大概大学院へ進んだ。私は家庭の都合で、両親にこれ以上お金は出せない、と言われ、某ビジネススクールに腰掛けつつ就職活動とバイトをし、仕事が見つかった時点で学校は辞めた。だからMちゃんもきっと大学院へ行ったものと推測する)、あれから四半世紀近く経って、髪型も見た目も全く変わっていないことなどあるだろうか。自他共に年齢不詳であることを認めている私だって、当時と比べたら大分肌のくすみや白髪が気になるし、服装だって変わっている。なのに、たった今、数メートル後ろから目にしたMちゃんは完全に当時のままなのだ。

搭乗後も着席までの間、彼女の姿を探し、彼女のことを考えた末、「そうだ、Baggage claimで彼女を探し出し、声をかけよう」と心に決めた。もはや人違いであるとは思えなかった。

しかし、生憎のコロナ禍、やれMY SOSのチェックだ、やれ端から端まで歩け、とあり、極めつけはミラノ発の全員分の荷物が届かず(30分後に出発のフランクフルト行きの便に一緒に載せられたのか、まったく手を付けられなかったのか、その実は定かではない)、翌日にフランクフルトから載せられることになり、荷物の形状やら内容物やら配送先についての調書作成に時間を取られ、結局は私の決心は水の泡になってしまった。

ミラノに戻ってき、日々の生活を送る今も、「あれは本当にMちゃんだったのだろうか、でなければ私が見たものは何を意味していたのだろうか」と日本茶を飲む時によく考えている。


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