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知りたくなかった自分の本性に気づいてしまった話。

 私はよく自分のことについて考える。なぜなら自分のことがよくわからないからだ。長年、自分のことについてよく考えている。そして最近、自己分析ツールを使った結果と、自分で自分を考え込んだ結果、わかったことがある。自分の知りたくなかった本性を知ってしまった。ここから自分の気づきについて述べる。

 周りから私がそう思われているのかわからないが、私は自分が傷つかないように行動する人間だ。だから他人に好かれようと他人に合わせて自己を無意識に変化させている。そして本当の自分がどれか見失う。何人もの自分がいる感覚がある。本当に心優しく愛情深い自分がいる一方で、冷淡な自分や人のことをどこか見下している自分もいる。自分はなにもできないと思う自分がいる一方で、こいつらよりは、、と思っている自分もいる。基本的には愛想はよい方だが、たまーに話し方、顔つき、言葉のトーン、なにもかもが違う自分が出てくるときもある。(しかもこれは人から言われた。無自覚だった。)
 
 また、私は言葉巧みに人を自分のいいように操る人間だ。その人のために言っているように見せかけて本当は自分のいいように人を動かしているだけなのかもしれない。自分が人をうまく動かせたことで自分が満足したいだけだ。自分のことは性格がいい方だと正直思っていたが、本当は一番タチの悪い人間なのかもしれない。そう思ってしまった。

 ただ皮肉なことに、自分を消して相手に合わせることができること、人をうまく動かせることは私の長所でもある。それこそ、相手に合わせることは塾講師としては非常に役立っているし、人をうまく動かせるためその人の能力を最大限にひきだすことができるのだ。おそらく私がリーダーになると円滑に進めることができるだろう。短所は長所でもあるとはまさにこのことだ。そしてこんなことを考え込んで苦しくなる自分が嫌だと思う一方で、考え込むから自分のことを知ることができる。こんな自分は嫌なのに、その嫌な部分を取り除いてしまったら、私が私じゃなくなってしまう。

 これは気づいてよかったことなのか、それとも気づかないで生活していた方が幸せなことだったのか、私にはわからない。


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