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朝4時に書いた、アルジャーノンに花束をの感想をそのまま

これは朝4時にアルジャーノンに花束を、を読了して感情のままに書いた感想である。
私は文章力がないので、変なことも書いてあるが大目に見て欲しい。


なんかもう凄すぎた、果たして何が正解でなにが不正解なのだろう


哺乳類の中で人間がもっとも優れているのは知能だと私は思う。でも、知能は知能だけが全てなのだろうか。チャーリーは知能を手に入れたくて、たまらなくて手術をして、。でも結果的には知能を手に入れたからこそ知りたくなかったことを知り、周りの人は離れて、自分の優しい人格は失われてしまったわけで。知能があるからこそわかってしまうことが増えて。だったら分からないままの方が幸せだったんじゃないかと思う。



チャーリーの母親や、周りは本当に許せない。見てて正直胸糞悪かった。でももしかしたら自分も知的障害者をあそこまでバカにはしなくとも見下していて、人間だと扱ってないのかもしれないと思う。アリスのように私ならきっと接することはできないんだろうなと思う。



最後になってもチャーリーは読み書きを忘れたくないとか、また頭が良くなりたいと願っているのが辛かった。また、自分の身に何が起こるのか理解しながら退行していく様も見るのが辛かった。分からないまま退行していく方が良かったのではないかと思う。自分で知ってしまってそれを自覚しながら、それでも抗えない様子には胸を打たれた。自分をわかってしまうからこそ起こる辛さ。それは自分にも共感する部分があって自分のことはわかっているのに、なぜかそうすることをやめられない、思考がそうなってしまう。どうすることも出来ない無力さ。辛さ。いっそ自分を理解するという知性を捨ててあるがままの方が楽なのかもしれない。



中盤から頭のいいチャーリーと、窓の外から見ている昔のチャーリーの2人が存在するような描写があったのだが、最後にはそれが一致して、昔のチャーリーが自分は窓の外から眺めていたという文章を見たとき震えた。すごいすごすぎる。それとアリスをキニアン先生と呼んだのも。そりゃ泣いちゃうよアリスは。



最後の最後にアルジャーノンに触れたのも良かった。彼もまたチャーリーと同じなのだ。この2人の対比も良かった。アルジャーノンに花束を。この題名を見るだけでもう胸を打たれてしまう。私はこの2人が幸せな人生を歩んだと思って欲しい。ある意味、望んだことかもしれないけど実験台に使われて、そして結果的に失敗に終わってしまい、過酷な運命を辿ることになった2人。どうか自分の人生は幸せだったと思って欲しい。


自分の中でも色んな感情が湧き上がって上手く対処できないのは久しぶりだ。素晴らしい本だった。

ちなみにこの後朝6時ぐらいまで寝れなかった。色々考えすぎて。そしてヨルシカのアルジャーノンを聞いて、また色々と考え涙したとさ。

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