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20年前の中国の旅

 自宅の写真を整理していたら、20年前に行った中国の旅の写真を発見した。
 3回か4回中国は旅をしていて、そのうちの2回目はチベット、雲南、貴州、桂林を2か月かけて回る気合の入った旅であった。
 ゴルムドからラサに向かう途中で乗っていたバスが、停車中のトラックに衝突し高度3000を超える高地で壊れたバスの中で夜を明かし、日本人は皆高山病に苦しみ、ようやくついたラサでは、予定していた宿が埋まっていたため、自分と相棒は自力で宿を探すと意気込んでバスを出たが見つからず、キレーホテルの中庭にザックに足を突っ込んで寝て、翌朝おばさんに蹴られて起床する羽目となった。
 これはバスの中の欧米人、特にイタリア人とスペイン人が生意気で嫌気が差していたことも関係する。
 こいつらは勝手に人の荷物ガサッてきたり、音楽のセンスにケチをつけてきたり、メタリカとガンズとプリンスをディスるくせにビョークのCDを勝手に聴き始めてその時のCDの扱いが雑だったりしたことも個人的には関係していたので、自力で宿を探すことを考えた自分と相棒は奴らの罵声を浴びながらバスを降りたのだった。
 自分が仲良くなるのは大体ドイツ人だった。
 チベットではジョカン前の子供の僧が舐めた態度でスプライトを飲み、地球の歩き方のダライラマの写真を要求しできたので破いて渡すとニコニコしながら消え、寺の中で五体投地を見ていたら下に段ボール敷いていてあまり感動がなかったなどという話は割愛。
 成都で相棒と別れ、大理に行くと、ドミトリーに廃人のような日本人が何人もいて皆大麻を吸っていた。
 挨拶がわりにマルボロをあげると喜んで「うめえー」と言いながら寝始めた。
 自分はここにいると馬鹿になると思い、そのまま麗江を抜け、貴州省に向かった。
 貴州省の少数民族の暮らしはとても素朴で、どことなく日本の原風景を想起させた。
 そして、貴州省で会った日本人はカメラ好きのオタクっぽいサラリーマンだけであった。
 このリーマンと河原で行われたミャオ族の祭りに行ったのだが、このリーマンは祭りが始まると一眼レフを踊っているミャオ族の少女に至近距離で向け撮影をはじめた。
 この距離が近くて、ちょっと自分はひいたが、背中には70から90リットルくらいのザックを背負い撮影に臨むリーマンは無双していた。
 そして、このリーマンと一晩同じドミトリーに寝た。
 部屋で突然巨大蜘蛛が現れた際は二人力を合わせ勇敢に戦うなど友情が芽生えたが、その後リーマンはベッドの上で腕を組むと5分で眠りにつき、大音量のイビキが部屋中に響き渡り、全く寝れなかった。
 しかしながらリーマンの知識はヤバく、凱里から陸路で桂林に抜けるルートを自分に教えてくれたので、そのルートで桂林に向かうことにした。
 リーマンはその途中に最古の鼓楼があると教えてくれたので自分は一人で行くことにした。
 凱里からバスに乗り、深夜1時に川沿いの停車駅停洞で一人降ろされるとあたりは真っ暗。
 懐中電灯をつけて川沿いを歩くと大量の野犬がダラダラ涎を垂らし吠えまくりながら集まってきた。
 自分は危険を感じ、走って野犬の間をすり抜け、川沿いを進むと吊り橋に到達した。
 川の音が激しく響く吊り橋を渡ると追いかけてきた野犬は吊り橋たもとで、対岸に向かって遠吠えを始めた。
 すると対岸からから別の野犬の遠吠えが聞こえた。
 遠吠えと激流の川の音を聞きながら、吊り橋の上でナイフを握ってザックに足を突っ込んで二度目の野宿をすることにした。
 死んだら死んだで仕方ないや。
 そもそもゴルムドのバスの事故だって死んでもおかしくなかったし、犬の餌になるのも面白いやと思いながらヤケクソで寝ると結局吊り橋を野犬は渡ることは無く、無事だった。
 明るくなると野犬はいなくなるのか自由に散策すると、小さな宿屋があり、そこに一泊し、翌朝大きな荷物を預けて山道を進み、最古の鼓楼を目指した。
 朝の6時に出発し、山を二つ以上越えてようやく集落が見えて夕方7時に最古の鼓楼に着いたのである。
 Googleマップで調べると出てきたが、写真が無かったので貼り付けてみた。
 

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