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変わっていくものと、変わらないもの【蓮ノ空舞台巡礼】

note初投稿です。よろしくお願いします。


さて今回にこれから話させていただく場所について、蓮ノ空舞台巡礼という企画に於いては「コレちょっと場違いかも?」という気がしなくもない場所なのですが。

なぜかというとその場所、ライブの背景の一つとしてほんの僅かに登場しただけの、そして何より、蓮ノ空を知った人がこれから行こうとしても「決して行くことのできない」場所だからなので。
巡礼をできない場所を巡礼のお題目で紹介して良いものなのかしら……?

そこにあるものと、そこにないもの

昨年の7月度ライブ、校外で行われるものとして卯辰山に続いて2度目、鼓門という現代の金沢を代表するランドマーク的な建造物の元で行われました。
今回に触れるのはその鼓門!…………ではありません。

初の応援上映が行われたライブでもあり、当時は地元金沢の映画館のみでの上映ということもあって満席、何より映画スクリーン上のライブ背景に今 自分達がいる建物が映っている!という不思議な感覚。
リアルとのリンクという謳い文句の醍醐味を屋外でスマホを覗かずとも空調の利いた映画館の椅子に座りながら最大限に実感できる現状唯一のライブです。
今回に触れるのはその映画館のある金沢フォーラス!…………でもなく。

観客席を挟んで鼓門とは反対側、つまりはカメラがステージ上のメンバーの後ろに回った時のみに見られるという、メチャクチャにマイナーな部分です。

基本的にライブ中は映らない箇所の更に左奥の隅っこ
ドルケの前にある建物です

特に何の変哲もないビルですね、はい。

でも、石川県民ならすぐに判ると思いますし そうでなくとも金沢駅に来たことのある方ならもしかしたら「……あれ?」と気づくかもなのですが

現在の金沢駅 鼓門から見た風景。
ありません、左側には何も。ポッカリとした空間のあるのみ。
背景CGの異常な再現度に県民からも驚愕の声が上がることで評判のリンクラにおいて、何故にこんなことが…………?

新しいものと、新しかったもの

かつてここには一つのビルがありました。
金沢都ホテル」というホテルです。

都ホテルが開業したのは1963年。東京オリンピック開催や東海道新幹線開業の前年、北陸の人間としては「三八豪雪」の年としてよく目にする耳にする昭和38年であります。
今から見ると約60年前。蓮ノ空で芸楽部が誕生したのと同じ頃でしょうか。

金沢駅前に初めて現れた近代的な大きなビル、下には地下街もあり映画館まであるという、今で言うとフォーラスとクロスゲートを合わせたようなインパクトがあった……のではないでしょうか。

と、ここまで語ったような歴史は自分にとってはテレビや何かの企画展で見るたものの受け売り。正に「歴史の」お話。
自分自身の記憶にあるのは、駅前のキレイで大きいビル群の中にのんびり顔で鎮座する、小さくてレトロで、でもちょっとかわいい姿となった都ホテルなのです。

在りし日の都ホテル

都ホテル自体がそれほど大きく変わったワケではありません。
けれども駅前には他にも大きなホテルや映画館付きのビルがどんどと建ち並んでゆき、金沢駅自体も新しく綺麗になって鼓門ができて、ついには新幹線もやってきました(自動改札もできました。大都会!)。
そうした時の流れの中で相対的に、「当時の最新」は「伝統あるレトロ建造物」となったのです。

リンクラでも出てくる金沢駅地下広場、左奥に行くと
都ホテルの地下街(地下階)の入り口
昭和の空気を感じられる佇まい

自分は石川県民なのでさすがに泊まったことは無いのですが、最上階(と言っても7階)のレストランには家族と行った思い出もあります。
ホテルのレストランというとお高いイメージもありそうですが、古いホテルだからということなのか周囲に比べて庶民的なお値段で、百万石まつりの時などもさほど混んでおらずランチを食べながら悠々と行列を上から眺めたり。

金沢駅と直結の地下街があるということはつまり、雨雪に触れずに駅周辺を移動できる距離がその分だけ広かったということでもあって。
通路代わり使わせてもらったり、地下は2階層、しかも少々複雑な構造で奥に映画館の遺跡みたいなの(チョット失礼かもな言い方ですが自分の認識内では、です。映画館としては閉業してイベント等のホールとしていたそうで)があるというダンジョン探検みたいな楽しみ方もしたり。

そんな、古くこそあれ親しみ易い駅前の一味変わったビルとして大好きだった都ホテル。
けれど金沢に新幹線が来て2年後の2017年、惜しまれながらもその歴史に幕を閉じ、建物も今の金沢駅から見えるの通り、既に解体されて残ってはいません。
地下街に通じる扉ももう、ありません。

ここでお話は終わり。金沢都ホテルは、思い出の中で過去形で語られる存在となりました。

……なったはずでした。それが。

そこにないものと、そこにあるもの

リンクラ蓮ノ空史上初の地元金沢での(VR)ライブイベント!
初の映画館での上映!!
瑠璃乃さんの初めてのステージ!!!

初めて尽くしで盛り上がる要素は山山山で御前峰(2702m)も超えそう、という興奮も冷めやらぬ状況。
それでもライブ中の僅かに映った都ホテルを見逃せようはずもありませんでした。

蓮ノ空世界の時間が我々の世界と同じに流れているのは周知の通り、つまりは去年の103期は2023年です。
その2023年の金沢駅前に、確かに都ホテルがあるという光景。

ライブステージ背景を制作した方々にどの様な意図があってのことかは判りません。
背景作成を始めた時にもらった資料がまだ都ホテルがあった頃の写真だったとか、一部分だけポッカリ空いてると背景絵としてバランスが悪いからとか、恐らくはそういったくらいの理由ではあるのだろうなぁ、とは思います。

ただ、そうであったとしても。

とにかくひたすらに、嬉しかったんです。

自分が大好きだった、家族との思い出もある、けれども今は無くなってしまった都ホテルが、蓮ノ空の世界には今でも残っている。
もちろん蓮ノ空の世界は我々の世界そのものではありません。極論してしまえばVR上のモデルの一つとして存在しているだけに過ぎません。

けれども。それでも。

変わっていくものと、変わらないもの

最新の活動記録104期1話の終盤、吟子さんの入部に絡み「伝統」というものの意味に深く切り込むお話がありました。

「さかさまの歌」は、大きく形を変えながらも今に残っていました。
そこまで変わってしまったものを「残ってる」と言っても良いのか、という問いへの答えの一つは、「それでも残していきたかった」という感情であった。
このお話、そういう風に自分は捉えました。

「残していきたかった」というのはつまり、「残っていてくれて嬉しかった」と思う人がいる、ということでもあります。
大きく形を変えた「さかさまの歌」は、それでも吟子さんをスクールアイドル部へと引き寄せる糸の一本となってくれました。

例えとして少し大仰かもしれませんが、自分にとっての「さかさまの歌」それが「蓮ノ空世界に今も在る都ホテル」だったのです。

もちろん蓮ノ空は最初から推してました。そりゃもう推しまくってました何せ「石川県」が舞台なのですから!
けれども、そんな自分が更に完全に首を掴まれて「あ、こりゃもう離れられないな」と確信をもったのが都ホテルの存在なのです。

現実との深いリンクを謳い文句の一つとするリンクラにおいて、どのような理由であれ、既に現実には無い都ホテルを残しておいてくれた。
我々の世界から冷静に見ればそれはVR背景の一つにすぎないとは言えるのでしょう。それでもそれの光景は確かに、都ホテルが「2023年の金沢に在る」という認識を自分の内に作ってくれたのです。

思えば伝統とか古い物とか、変わっていくとか変わらないとか、不思議な言葉ですよね。

建設当時は最新の近代的ビルだったはずの都ホテルは、建物自身が大きく変わることもなかったのに時の流れの内に「レトロ」と呼ばれるようになりました。
今は伝統と言われる様々も、それが作られた当時の人は「これが時代の最先端なんです!」「いくら何でも前衛的が過ぎやしないかぃ!?」とかいうノリであったことも多いのでしょう。
「蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん」というスクコネで選択した人もその場のノリで選んだのでは?衝撃的な呼び名も、100年の後には「それを変えるなんてとんでもない!」という伝統となってるかもしれません。

あらゆるものが生まれたその時には「最新」
それが時の流れと共にその立ち位置が変わっていく。
変わる立ち位置に合わせ、大幅に姿を変えることで残っていくものもあれば
  「大きく形を変えて、それで残ってるって言えるの?」
いつしか時の流れの中に消えていくものもある。
  「形は無くとも記憶や記録に残っているならそれは "在る" のでは?」

何を以て残ってると言うのか、残ってないと言うのか。
何が変わって、何が変わってないと言えるのか。

自分の語彙で有体に言ってしまえば「人それぞれの認識次第」という定型に逃げることとなってしまいますが、リンクラはそこを
  「残したい」
そういう感情の話として語ってくれました(と、自分は捉えています)。

或いはそれは論点ズラシなのかもしれませんし「それこそ人それぞれって話になってしまうのでは?」と言われるかもしれないのですが、個人的にはそれが嬉しかったのです。
「残す」という行為について、それを為す者・受け止める者の感情について、難しい理屈を抜きに肯定してくれた感じがして。

話が長々となってしまいましたし舞台巡礼の話としては逸れも逸れ過ぎたのでそろそろ〆とします。

今のコッチの世界には「存在しない」、けれども蓮ノ空世界には今も「存在する」金沢都ホテル。
東海道新幹線が開通した時代の「最先端」であり、北陸新幹線が金沢に来た時代の「古き良き
そんな趣きも深い、そして自分にとっての「大好き!」である都ホテルを残してくれた蓮ノ空に最大限の感謝を!!

そして県外から金沢に来てくれる蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさんが、ビル立ち並ぶ駅前にぽっかり空いたその光景を見た時に、かつてここに そんな愛すべき建物があったこと、そしてそれが蓮ノ空世界には今でもあること、そんなことを少しでも思ってくれたら無上の喜びなのであります。

以上、ここまで読んでくれた方がどれ程いるかわかりませんが、お付き合いいただきありがとうございました!


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