岡田将生研究㉖「掟上今日子の備忘録」徹底解剖!隠館厄介の吸引力

 岡田将生の出演ドラマの人気投票で、放送から10年近くたっても尚、必ず上位にランクインする2015年放送の「掟上今日子の備忘録」。コミカルさとシリアスのバランスが絶妙でファンタジックな傑作だ。岡田の演じた隠館厄介は、忘却探偵掟上今日子(新垣結衣)の依頼人であり助手であり事件の容疑者でもある。一見タイムリミットミステリードラマであるが、脚本を書いた野木亜紀子氏は自身のツイッターで「ラブストーリーです。眠ると記憶がリセットされる今日子さんに恋をしてしまった不運な厄介の物語」と明言している。根強い人気の秘密は、1日で全てを忘れてしまう今日子さんと一途に今日子さんを思い続ける厄介の儚い恋の切なさにあるのは明白だが、真の魅力は、そこに留まらない全編に渡って語られる「生きるとは何か、記憶とは何か、人を好きになるとはどういうことか」という問いかけにあるのではないだろうか?

 「掟上今日子の備忘録」というドラマは、毎話約1分の厄介によるナレーションから始まり、ドラマの最後も厄介のナレーションで終わる。第1話のはじまりは「全て忘れてしまいたい。そんな事を誰もが一度は考えたことがあるだろう。ーーー」。ドラマ冒頭のナレーションで視聴者が離れてしまったら本編を見てもらえないというリスクのある、かなりチャレンジングな構成だ。しかし、柔らかな声で語られるこのナレーションこそが、このドラマが視聴者に届けたい言葉であり最大の魅力でもあるのだ。

 第2話「大昔の科学者は、魂のありかを人体の中に探したという。魂は心臓にあるのか、脳にあるのか、そもそもの話魂なんて存在するのか。でも恋心というなら確かに存在する。誰かを好ましく思う気持ち、いつまでも話していたいという気持ち、また会いたいと思う気持ち。恋心は、心臓に宿るのか、脳に宿るのか、それとも記憶の中に宿るのか」。詩的で哲学的な美しい言葉の韻律を優しく芯のある岡田の声が紡ぎ出す。すっと心に響く岡田の声には不思議な魅力がある。作家の小川洋子氏によると「声にどことなく淋しさがある。心配させるような聞いているものを不安にさせて引き寄せる声」(ADDAクリエーターズトーク「耳に棲むもの」)このナレーションは、全話に渡り物語の世界観を支えているのみならず、厄介という人物のキャラクターに思慮深さと奥行きを与えている。

 「降りかかる災厄に常におびえ、目立たぬように息をひそめ、道の端っこばかりを歩く、僕の人生」けれども厄介は、自分の運の悪さを諦め、受け入れ、不運とともに生きる決意をしているように見える。今日子もまた、1日で記憶をなくしてしまう自分の運命を「ちょっとの謎とお金さえあれば」としっかり受け止めて生きている女性だ。全編に渡って繰り広げられる2人のやり取りは、決して神妙なものではなく実にコミカルで明るく楽しい。だが、その明るさの中に時折ひっそりと影が差す。そんな彼女の心の内を「掟上さんはそうやってずっと一人で生きて行くのだろうか。その日抱いた恋かもしれない感情は、リセットされたとしても彼女のどこか心の奥の方に積もって、ふと彼女を寂しくさせたりはしないのだろうか」と厄介が語るのだからたまらない。そんな時、厄介の今日子さんを見る目は、いつも優しくどこか悲し気で哀愁に満ちている。

 ドラマの放送開始前、話題は白髪の忘却探偵を演じる新垣結衣に集中した。プロデューサーの松本京子氏も原作者の西尾維新氏も脚本家の野木亜紀子氏も、主演の新垣に対する期待と喜びのコメントは出しても、相手役の岡田に対するコメントは、筆者の知る限り出していない。主演は新垣なので当然かもしれないが、宣伝ポスターやキービジュアルなどは新垣と岡田の2人を起用しているし、重要なナレーションも岡田が担い「今日子に恋する厄介の物語」というコンセプトにも関わらずだ。

 この状況を一変させたのが第6話の自分を殺そうとした女子高校生に向かって語りかけるドラマ屈指の名シーン。厄介を巻き込んで自殺を図った女子高校生は、厄介によって命を助けられる。ところがそのまま死んでしまいたい彼女は、点滴を抜いて、目覚めないふりをする。意識のないふりをしている彼女に向かって厄介は「もう2度とここへは来ない。最後に少しだけ聞いてくれるかな」と自分の身の上を話し出す。そのシーンに被せて「生きるって恥ずかしいことなんだ。もしかしてこの世にはかっこよく生きられる人もいるかもしれない。ーーー」と厄介の声でナレーションが入る。ドラマ未見の人はぜひ、このシーンを、見て聞いて心で感じて欲しい。今日子さんは、これを陰でこっそり聞いていて「魅力的な人だったな」と初めて厄介を意識する。

 そして厄介と今日子さんの距離が一気に縮まる第7話。この回の8割は、厄介と今日子さんの2人芝居。今日子さんが謎解きのためにファンである須永昼兵衛の小説99冊を寝ずに読むのを厄介が見張るという設定で、今日子の部屋で寝ずに5日間過ごす。ここでの2人の演技の掛け合いが本当に素晴らしく可愛らしく愛らしい。厄介の心の声が駄々洩れで、心から応援したくなってくる。ここで厄介は、今日子さんのピンチを救いある決意を固めるのだが、奇しくもこの行動が今日子さんの心を動かすことになり、終盤へ向けて恋の切なさが一気に加速する。ともするとダレがちになるドラマ中盤の6話7話で厄介の魅力が全開し、ドラマファンの心をがっちりと掴んだ。

 演出の佐藤東弥監督「7話を見たらガッキー(今日子さん)と岡田くん(厄介)が愛しすぎて、なんだこれ愛しい!という感想しか浮かばない、わけのわからない状況でした」

 続く第8話「大切なのはたった一つ。二度とない今日を、今日しかない今日をどう生きるのか。ーーー」今まで厄介だったナレーションが突然今日子さんに変わり、今日子さん目線で話が進んで行く。たったそれだけなのに、何処か不穏な空気を感じさせるドラマの構成に舌を巻く。最終回、やっと心が通じ、それはそれは美しいキスを交わす2人だが、「寝たら忘れてしまう。忘れたくないんです」と訴える今日子さんに、厄介は「眠ってください。大丈夫、僕が覚えていますから」と言う。この厄介の眼差しが優しくて優しくて切なくて。ドラマの最後は、翌朝すっかり忘れてしまった今日子さんを必死に口説く厄介、そして未来を暗示するかのように海辺にたたずみ手をつなぐ2人のバックショットで幕を閉じる。

 最終回直前の野木氏のツイッター「掟上今日子を演じられるのは、この世で新垣結衣だけだと思う。厄介を演じられるのも岡田将生だけ。幸せなキャスティング。あと少し掟上の世界にいさせてくれ、離れがたい。永遠に書いていたかったと思うような今日子と厄介でした」

 厄介の魅力を引き出したのは、今日子さん演じる新垣結衣との演技や見た目の相性の良さに加え、台本の台詞に散りばめられた珠玉の言葉と岡田の声と台詞回しの親和性に他ならない。厄介が慌てふためくコミカルなシーンでは、岡田はとんでもない早口で台詞をまくしたてるが、ナレーションの部分では一転して、噛みしめるように、奥に強さを潜ませた柔らかな声でじっくりと聞かせ、どちらも厄介の声として成立させている。数々の事件に巻き込まれながら、いつも自分の事は二の次で、他者に寄り添う芯の強さも持ち合わせるが、周囲からは「魅力がない」と揶揄され、それも何となく納得させられてしまう不思議な人物である。だが、今日子さんが徐々にそんな厄介を見抜いて惹かれていく過程に、視聴者は自然と共感させられ、一気に引き込まれる。哀愁漂う劇伴やノスタルジックな雰囲気のセットも強力な後押しとなっている。

 リーガルハイ以来2度目の共演となる新垣が「岡田さんは厄介というキャラクターに近い」というほどに、岡田と厄介の役の親和性は高い。岡田は撮影終了後「厄介として、今日子さんに恋ができて本当に良かったです。最終回まで駆け抜けてきて、最後までスタッフ、キャストの息があって撮影に臨めて、集中できたことは、いい3か月間だったと思っています」とコメントしいる。(シネマカフェ)

 この作品を最後に、岡田将生はラブストーリーをやっていない、ということも、この作品の人気の高さに繋がっていると思われる。30代半ばにさしかかり、ようやく恋愛ものに興味を示すような発言も散見されるようになった。今後の岡田の動向に期待したい。また、野木亜紀子脚本の映画「ラストマイル」がもうすぐ公開される。「掟上今日子の備忘録」から9年、次々と傑作を生みだし続けてる野木の脚本は、役者として脂ののった30代の岡田将生に、今度はどんな言葉を授けたのだろうか?それを岡田はどのように表現し、どんな風に演じるのか?わくわくが止まらない。

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