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2021年5月。

マンチェスターに住んでみたいと思った。

そんな想いが膨らむにつれて、日常にどんどん興味がなくなっていった。

母親に相談してみた。あなたが行きたいならいいんじゃない?行ってみれば?そんな事を言われた。

彼女には言えなかった。そんな事言ったらどうなるかある程度予想がついていた。

僕は1991年に生まれた。バブル崩壊が始まった年だ。

それでも僕が育った頃の日本は歴史的に見ても稀ではないかというぐらい豊かな国だった。

食べ物がなくてお腹を減らした事はない。ただ友達より新しいゲームソフトが欲しかった。

つまり何不自由なく育った。両親はそれを願った。彼らは僕が苦しむのを望まなかった。

25歳の時、父親の経営している会社に入社にした。○○○○製作所という会社で、クレーンという高いところに設置されている工業機械の点検や据付をする建設系の企業だ。

玉掛けの資格を取りに行った。フォークリフトを初めて運転した。高所作業車ですごく高いところに登って、配線作業をしてみた。たまに感電して痛かった。

僕はビックリした。働くのは大変だと思った。その仕事を20歳の頃から今に至るまで40年以上も父がしている事は知っていた。

でもなんで仕事の辛さを、生きる事の辛さを知ってるはずの父は僕にそれを隠してたんだろう。

本人に聞けば隠してたなんてつもりはないって言うに決まってる。でも彼の無意識では僕に苦しい思いをなるべくしてほしくないって思いからそれを遠ざけてきたと思った。

僕は私立の中学校に、私立の高校に、私立の大学に通った。そこでの授業料は合計でいくらになるんだろう。

彼らにどのくらいの苦労を強いて、僕はここまで育ったんだろう。

マンチェスターに行きたい。

29歳の春にそう思った。

僕は自分の将来について考えた。

このまま○○○○製作所で一生を終えるのかな。

大好きな父親のような人生も悪くないけど、僕は彼よりあまりに多くの事を知っている。英語が話せるんだ。

イタリア人の友達に相談してみた。

マンチェスターには行かないとダメだと言われた。それが僕のしたい事だからって。

最近子供が大人になるとはどういう意味か考える。

内田樹の「困難な成熟」から引用する。

『あらゆるものに「被贈与」の感覚を覚え、贈与のサイクルを回すということは、別の言い方をすれば、「大人になる」ということそのものではないか。』

難しく書いてあるが、つまり自分がどれだけ甘やかされて育ってきたかを実感して、人に何かを与えるようになるプロセスが子供が大人になるという事だ。

29歳でマンチェスターに行きたいと思った。

その意味で僕はあまりにも夢想的で、「子供」だった。