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天寿を全うしたザリィ

うちのザリィが天寿を全うした。
ザリィは、その名の通り、ザリガニ。
三女が幼稚園を卒園するときに一緒に連れて帰ってきた。
年長の始めに誰かが連れてきたザリィは三女がよく世話をしたことがきっかけでうちの子になった。
同じクラスの子たちによろしくねと言われながら我が家にやってきた時はすでに子供の手のひらサイズだった。

そのザリィが、この暑い夏を乗り越えて秋の気配を感じた矢先に旅立った。
厳密にいうと、旅立っていた。
静かにそっと住処の脇にいて、いつも通りのまま。
静かに、静かに。

ザリィは変なザリガニだった。
我が家に来たときは真っ赤だったのに、うちに来て脱皮を重ねることに青くなった。エサは園にいた時のものを譲り受けたのに。
よく逆立ちもしていた。ザリガニなのに。
絶妙な角度でハサミを下にして。逆立ちそのもの。

逆立ちするザリガニ


脱走したこともあった。
水槽からはるか遠くのキッチンの隅で、綿埃だらけになって発見された。
それでもちゃんと威嚇してくる。それがザリガニである。
夏の夜にコツコツ変な音を出すこともあった。
下に敷いた小石で遊んでるのかと思ったが、そんな様子もなく。
ザリガニは鳴くのか?と思って調べてみたら、「ザリガニの鳴くところ」という小説があることだけが分かり、真偽は不明。鳴いていたのかなんなのか。聞いても答えてくれないのがザリガニ。

子供の手のひらサイズだったザリィは、大人の手のひらサイズになるまで何度も脱皮をした。
今となっては最後の脱皮。それは失敗した。

なかなか大きなハサミの脱皮が進まず、両腕(?)が手長エビのようになっていた。
そのままだと最悪壊死して死ぬとあったので、少し手助けをしたが、両方とも右に湾曲したハサミになってしまった。
それでも器用にエサを食べたし、逆立ちもした。
脱皮の失敗は他にも影響があり、エラが外に出てしまってウーパールーパーのようだった。
やっぱり最期まで変わった子だった。

旅立ったザリィはいつもと変わらない姿でそこにいた。
余りにも動かないので、脱皮するのかな?と暖かく見守っていた矢先だった。
好物の煮干しをあげても微動だにしなくなっていた。

私は天寿を全うしたザリガニを初めて見た。
私自身、幼少期に何度もザリガニを釣ったし、捕まえた。
そのたびに飼ったりもした。
でも、水槽を洗っている間に脱走したり、車にひかれたり。
あんなに穏やかな最期は初めて見た。

心残りは、最後の脱皮を失敗させたこと。
栄養が足りなかったかなと思う。

それでも動かなかくなる数日前まで逆立ちしてたんだ。
天命とはそういうものかもしれない。

我が家には庭がないので、ザリィは私の実家に埋葬した。
喪主は三女。
三女の手作りの墓標を立ててお別れをした。

空になった水槽は悲しそうにしていた。
しばらくは誰も迎えるつもりはないので、片付けたけれど。
水槽があった場所が寂しそうにもしている。
そんなのはこっちの勝手な思い込みで勘違いなのだが。
確かにそこにいた。
いなくなって寂しいといえばそれっぽいが、そんなこともなく。
どちらかというと長生きしてくれてありがとうという気持ち。

これから先、ザリガニがうちに来ることはないだろう。
結局鳴くのかどうかだけは謎のまま。
ザリガニは一度飼ったら逃がしちゃいけないよというルールが明確化されたから、こうやってザリガニの最期に立ち会う人も多くなるのだろうか、なんてぼんやり思ったり。

そうそう。この話を書く前に、ザリガニの扱いって結局どうなっているんだろうと思って、ちょっと調べてみた。
すると、環境省が制作した「アメリカザリガニとの付き合い方」っていうリーフレット?パンフレットがあった。
ザリガニの最期、自治体のごみのルールに従って捨てろと書いてある。まぁ、これは仕方ない。我が家のように庭がない家庭もある。
飼えなくなった時がひどい。誰かに引き取ってもらう、ここまでは分かる。最悪の場合は冷凍庫で凍らせて殺せと書いてある。
ザリガニは何にも悪くないのにな。
なんだかもやもやした気持ちになってしまった。

アメリカザリガニとの付き合い方

狩りつくされて淘汰されていくのかな。ザリガニ。
カブトムシやクワガタと同じように、子供のいい友達、身近な生き物ではなくなるのかもしれない。

小さくて大きなザリィから、いろいろなことを学んだ夏の名残が続く秋の夜。
冷凍庫で死ぬザリガニが増えませんようにと願う。


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