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【掌編小説】バスでナンパ


 バスに乗ったジョイは、座席に腰を下ろしながら背負っていたリュックを膝の上に置こうと手首と腕を動かした。
 ところが狭い所でやったもんだから腕に肩ベルトが絡まり、それを変な角度でほどこうとしたら、手の甲が前の座席の人の後頭部に当たってしまった。
 前の人が険しい顔で振り返りながら「なんなの?」という目をしてきた。
 おっ、しかめっ面だけど、なかなか綺麗な女性。
「ごめんなさい。リュックを動かしていたら手が当たっちゃいました」
 彼女は、あきれた表情に切り替わり、無言のまま顔を前に戻した。
 ジョイは思った。
 タイプの女性だ。ブロンドに、澄んだエメラルドの瞳。
 ついでに話しかけてみようかな。ここでナンパしなかったら、プレイボーイを自任している俺らしくないってもんよ。
「あの、ちょっと尋ねたいんですが」と声をかけた。
 彼女がまた不審そうな顔で半分だけ振り返る。
「このバスはよく乗るんですか?」
 彼女が面倒くさそうに返事する。「いいえ、あまり。車を修理してて」
 なるほど。頭をフル回転させ、次の言葉を探した。
 よし、これでいこう。
「だからか。僕はよく乗るんですが、こんなに綺麗な女性がよく乗っていたら、気づかないはずがないんでね」と言って、笑って見せた。
 彼女はこっちを一瞥し、愛想笑いをして、また前を向いた。
 おいおい、一言もなしかよ。嫌がっているのか、それとも恥ずかしいのか。
 もっと話しかけてみる。
「俺、ジョイ。あなたに一目惚れしちゃったんですが、よかったら今度お茶でもしませんか」
 彼女は少し間を置くと、また振り返り、硬い表情で答えた。
「ありがとう。でも私はそういうことしないの」
 そして顔を前に戻した。
 ふーん、そういうことしない、ね。いやいや、俺がタイプじゃないだけでしょ。でもまあ実際、ガード堅そうだし、やめとこう。
 それから五分後ぐらいに彼女はバスから降りた。
 窓越しに見えたその顔は、不快な経験をしたといった表情ではなく、むしろ少し緩んでいるように見えた。
 友達とか恋人に会ったら「バスで誘ってくる変な人がいたの」ってな感じで、きっと笑い話にするのだろう。または、俺がイイ男だったという方向に脚色して自慢話にするかもしれないし。
 まあ、手を頭にぶつけたのは申し訳なかったから、話のネタが俺からのプレゼントってことで。
 再び動き出したバスの中、ジョイは気持ちを切り替え、いま会いに行っている別の女性のことを考え始めていた。




<完>


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