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カナダで神武東征を考える

日系人のお年寄り対象に、バーチャル日本旅行をやるのでスライドを作っている。今回のテーマは宮崎県。宮崎の観光地と言えば「高千穂」。日本神話のゆかりの地だ。神武天皇は日向を出発して敵対勢力を平定しながら、ヤマトに入りそこを支配していた長髄彦の勢力を滅ぼして初代天皇となったという。

高千穂には天の岩戸があったり、天孫降臨の地とされるなど神話的な雰囲気いっぱいの地だ。宮崎県には行ったことがないので、高千穂峡にはいつか行ってみたいと想いつつ、天孫降臨神話があるからには、なにか古代遺跡があるのかな?と調べてみる。バーチャル日本旅行では神武東征には触れるつもりはないのだが、日本の建国と言えば邪馬台国。この時期に南九州に大きな勢力があったのだろうか?

残念ながら、なさそうだ。
そもそも神武天皇や東征自体も、最近は真面目に研究対象として取り組んでいる研究者がいないようだ。わからないでもない。私は歴史時代(文献が登場するようになってから)の考古学には疎いのだが、天皇家に関わる研究はアンタッチャブルなのだ。うっかりすると天皇家の正統性を覆すことになりかねない。神話を研究することは、ネタとしては面白いけれど考古学的証拠を集めづらいので対象にしづらい。天皇陵に比定される古墳は、宮内庁の管轄なので立ち入ったり発掘調査もできない。

神武東征は、古事記や日本書紀に登場する。両歴史書は紀元712年、720年と天武系王朝のほぼ同時期に完成。文献批判は今はできないけれど、全部作り話とは言えないだろう。日本書紀の編纂には、渡来人も関わっていて、魏志倭人伝などの中国の史書も参考にされていたらしい。日本書紀の漢文の一部には全く文法ミスが見られないことから、漢文を勉強した日本人とネイティブ中国人によって書かれていたというのは面白い。

卑弥呼が死んだのが247年、最新の研究で奈良の纏向遺跡が邪馬台国で間違いなかろうとされているので、そのころすでにヤマトあたりが古代日本の中心地であった。大規模な民族移動であるとか、戦争の形跡もないため日向からの神武東征を史実とするのは無理がある。では、なぜ神武東征が語られるのか。その必要性は?

良く言われるのが、神話は史実を反映しているという説。
天岩戸→皆既日食があったと言われている。
神武東征のモデルとなる出来事があり、それを歴史に取り入れたのか。

歴史書編纂者が政権に都合の良いように歴史書を作ったという説もある。
たとえば、日本書紀は藤原不比等の時代に書かれた。藤原氏が外戚となって権力を握っていた時期だ。でも、天孫降臨が今の宮崎県で、神武東征が藤原氏にとって都合がいいのだろうか?藤原氏や当時の天皇家が九州出身だったらまだ話はわかるが、天智天皇も持統天皇もヤマト出身なのだから全然関係ない気がする。天孫降臨が大和地方でもよいし、わざわざ九州からヤマトに上ってくる必要はない。

あるいは、当時の常識として先進的で優れたものは西から東へ来るといった思想があったのか。現代人からみたら、弥生時代以降はもっぱら大陸や朝鮮半島から稲作や青銅器、鉄器など新技術や文物がもたらされ東上していくという流れがみてとれる。だから、神武東征=渡来系集団の勢力範囲の東への拡大という発想は親和性がある。だが、当時の人達にそういう意識があったのか?マスコミもインターネットもない時代に、この土器や青銅器は西の方から来たとか、海をわたった向こう側に大きな大陸があって高度な文明を築いていたということを知っていたのか?

とりあえず、これ以上のことはわからない。
古代の日本国家を作り上げた人の中に、渡来系の人々が多数いた可能性はあるだろう。渡来人は、一度に来たわけではなく波状に来ているので大挙して縄文人のムラを攻めて征服したわけでもなさそうだ。しかも、稲作は道具や技術が完成した状態で伝来し、またたく間に北海道を除く日本列島に広がったので、縄文時代の終わりごろにはすでに集団で計画的な作業が行われるような社会的受け皿があった可能性もある。まだまだわからないことがたくさんある。
だから考古学はやめられない。


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