天冲殺で、守られないときに行動すること。

ちょこちょこいろんなサイトで算命学を調べつつ_φ(・_・
私は申酉天冲殺のため、8、9月が月天冲でして。天冲殺(四柱推命では「空亡」と表現する様子。あまり重要視しないという記事も見かけます)。
お、天冲殺を調べるサイトが。。

神様が自分を見守っていてくれない=ツイてないって状態なのか、実際に毎年「なんかツイてない」って感じていました。
今年も微妙にツイてないかと思いつつも、これはこれで、面白い時期というか、感覚だなって思います。

毎年の傾向で、この時期はどうツイてないのか?と思い直すと、

・たしかになんとなく背後に守ってくれる人がいない、風がスーッと通るような感じがする。
・大変な出来事が多く、選択肢を誤ると取り戻すのが大変。まずは、自分の身しか自分を守れないということを感じさせられる。
・夏の暑さの中、自分の意図しない肉体労働が多く、虚しさや徒労を感じる。

…などなど。
他の月より、より自分次第って感じがするんですね。自分の選択がすべて。自分が選択した内容によっては、安全弁のない銃みたいに反応がダイレクトだったり。。

逆に考えると、こういうときってなぜだか、より自分らしさが見つけられると思いました。選択に集中するというか。そしてピンチの時のが、自分と向き合わされるなあとも。

もちろん、日々自身を守ってくださる方々には大変感謝なのですが、こうした日も、日々の彩のなかの、一日なのでしょうか。

厄年は、より自分らしい、自分を不幸にしない選択ができる人は、厄も軽いと聞いたことがあります。
私は重たかった気がするのですが、後から考えたら、自分らしさを形成する大切な期間だったり、チェックテストがある時期なのかな〜って思いました。
そしたら私はそのテスト、偏差値20以下だな笑。
思春期抱えた中学生を、大人でもやるみたいな感じ。

極限までの厄がある場合、自分と向き合わない頑固さに向き合わされるのは、子供の頃と変わらない気がします(^_^;) しかもそれが、大人になるとどんどん大きくなるというか。。

私は、それを選択した意味を振り替える余裕をもったり、受け入れていこうとすることで(どちらもある種の大らかさと思うのですが、今年の月天冲殺をチャレンジしてみたいな、と思いました。

たとえば何かを手放す機会があったら(月天冲殺は、何かを手放すのに、とても良い時期とも)、ものの循環をさせてもらえる機会となった、心の整理をさせてもらった、と、感謝できる方向を探って選択する。

先日、たしかにいろいろなものを手放す機会があったのですが、他人が要因にみえて、実は自分らしい決断、とも思いました。結局は自分が選んでる。
何かのせいにする必要もなく、ただ自分の行動に集中して選択、そして行動していくだけと思いました。どのように天冲殺を使うかは、自分次第なんだなと。

ツイてないを、必要以上に怖がる必要はないし、より自分自身とのつながりが強い時期とも言い換えられそうです。もはや、何が「ツイてない」状態なのか、わからずという感じもしてきました。

すてきな夜を!

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