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奇跡を信じることは、波動を上げる行動だと思う。

最近はお外に行かなくても、深呼吸しながら読書とかスマホのゲームで十分楽しく(^◇^;) オンラインで購入したユニクロのスウェットパンツを店舗受け取りにしたため、散歩がてら少しだけ外へ。

そういえばあの同僚の男性も、喫茶店に行かなくなったりコーヒーをあまり飲まなくなりって言ってた。。野菜のスープの本の話したり、筋トレしてるとか、部屋の掃除や断捨離の話とかもしてたとか、最近の自分の行動と妙にかぶる気がする。
もしかして彼も同じように苦しんで、自分なりの課題を見つけ、波動を上げるようなことをしてたのかなあ。一時期禁煙もしていたような。。
毎日コツコツと、自分の生活習慣を見直したり。

私はその人の軌跡をついていってるのかな?という気持ちが、頭をもたげ始めた。もちろん追う、追いかける、という感じではなくて、一緒に山を登って登頂をめざす感じかな。その一歩一歩は毎日着実に自分を変えていこうという感じ、と思った。事実は闇のなかだけど、そう信じた方が幸せなような気がする。

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ふと、プレアデスやシリウスといった星の名前が気になって調べた。
アンドロメダがなぜか心に残って、記憶に残った星は、あなたはその星人である可能性が高いですよ!と。

私は、ペルセウスの神話を思い出した。
あと、ファミリー・コンステレーションの本を読んでいることも…。

ペルセウスの神話は、アンドロメダの母親が、娘の美しさを海神ポセイドンの孫娘と比較して誇示したため、ポセイドンが怒り、アンドロメダが海獣の生贄となる。そこを通りかかったペルセウスは岩に繋がれた鎖を断ち切り、彼女を助け、海獣も倒して国を守る…というのはまさに英雄譚。

出典は忘れてしまったのだけど、タロット関連の本を読んだときに印象深い内容があって、以前のタロットカード の『恋人』の絵柄は、ペルセウスがこの鎖を断ち切るシーンだったと。彼の切った鎖は「家系の呪い」というか、家族代々の悪しき習慣、というのを読んで。そう考えると「恋人」のカードって、すごく深みを感じるなあと思いました。

ペルセウスの他の伝説を読むと、勇気があり果敢だから英雄!なんだろうけど、個人的にはかなり傍若無人というか、人間的というか、男性的という感じも受けました。英雄であっても、まずは普通の男性、という感じもするというか…。

また、ファミリー・コンステレーションの本も読み途中ですが、心に残る箇所が。
「解決するよりも苦しみ続ける方が簡単だ」「人生の冷たい風よりも、墓場の温もりのほうが心地よい」「自分の人生の責任を負うよりもその方が楽だと感じている」。これら一連の文章にドキッとして。…そういえば算命学の先生からも「墓守の星」と言われました。

これ、自分が今まで書いてきた「なかなか産道から出たがらなかった」、「兄は家にいたけれど、私は寂しくて、両親の職場までついていった」っていうのとすごくリンクする、と。
結婚しないことも関係してるかもしれない…。

「自分で責任を負う」っていやに重たく聞こえる人と、そうでない人がいるかと思うのですが、私は重たく聞こえてて。自分の人生を生きるっていう発想が難しい、ということもあったと思う。

もし今朝ブログに書いた、自分が変容し、たとえば母親との対話で、家族が変わっていく(家系の習慣を断ち切る)と仮定することを、ナルシストだと恥ずかしがらずに「信じること」を許していくとすると。
今回の出会いは墓守役から、かなり強引に引っ張り出してくれた可能性が高い。
そういえば、友達づてに「(私を)恋愛依存症では?と言っていた」と聞いたり、本人から「占いもいいけど、自分で決めなよ」とアドバイスがあったな…と。ほとんどアドバイスがなかったのは、自立心をもって自分の意志でそこから動け、というメッセージだったかも…と思い直しました。

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先日から読んでいるエックハルト・トールの本ですが、「基本的にどんな感情もみんな、名前のない、ある原始的な感情の、バリエーションのひとつなんです。その『ある感情』とは、『自分が一体誰なのか、わからない』という認識の欠如が原因です」と。
上記に挙げたようなことは、自分のアドレスというか所在地を知る(決める)ことに本質があると思いました。自分なりに、点と線が結ばれ、星座のように浮かび上がってきました。

「こじらせている」以上の代表的な日本語が見つからず、こじ恋愛、と思ってたけど(思考停止感が半端ない)、でもそれで片付かない例もある。少なくとも根本を覆されるような苦しい出会いってあるな、と思う。全然恋愛と識別しているものと、違う動き方や苦しみがあるというか。。そりゃ、生き方や生き方を形作っている習慣を変えろ、というのだもの…大変に決まっている。

で、以前こんな感じで、他の方に話したら「私は喜んで、両親を喜ばせたくて大人しくしていたから、それは私は違う、私は同じケースではない」とハッキリした口調で言われました。

当たり前だけど、それぞれの人の物語があって当然なんだ、と思いました。私はこういう物語でいいんだ、と。
でもよく考えたら、程度の軽重はあっても、恋愛小説やドラマや映画で、自分の恋に重ね合わせるってことはありますよね(^◇^;)。。
たまたま出てきたのがこのペルセウスの話や、キューピッドとプシュケの話だったりするのです…。それぐらい、お相手と過去古いお付き合いがあるのかもしれませんね。そういう発想が出てくることがすごいなと思うし、そこまで遡ってアクセスするって、なかなかないことだなと思います。

出会いによって、自分とは一体何者なのか?気づくというチャンスをいただいて、本当に感謝ですm(_ _)m

すてきな週末を!



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