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算命学。年、月、日は全く別のもの⁇

引き続き、下記の無料教材にて、「算命学」を細々勉強中です_φ(・_・ 

第10回「干支歴」まだ読み進めたのですが、「年、月、日はお互いに独立しており、価値は対等である」というのに、「えっ⁇」となってしまい、何度も読み込んでいます。

一日は、「地球の自転周期」。
年は、「地球の公転周期」。
月は、「季節の分類、月の周期」。

小学校の理科で自転を習ったり、歴史で太陽暦、太陰暦などを習ったりするけど、総合的に暦を勉強するってないですものね。。
断片的な知識で、個々別々の単位ということを意識せず、ただ日常的に暦を使っていたけども。
車の運転のように、車にはそれぞれ動く仕組みがあるが、習慣化して運転の技術が身についているようなものかもしれないですね。

あ、一番身近な言葉、見つけました。
「一年も、あっという間ねぇ」。という言葉は、一年が、一日がびっしりと詰まっているという認識と思います。
でも、もしかしたら子供にとっては、一日いちにちが年で構成されている、という習慣がまだ身についてないから、一日が長く感じるのかもしれない。
「一日は、ひと月の一部ではない」ともあり、
これはなかなか哲学的だなあ。。
もし自身の暦の感覚を意識して少しずつ変えていったら、スケジュール感や、人生の楽しみ方や生き方が、変わってくるのかもと思いました。
今日の昼調べてみた「マヤ暦」も、違う年月日の感覚になりそうですよね。

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ちなみに、「時間」(24時間)は、それは自然ではなく、人間が定めたものなので、算命学では使わず、とありました。(算命学は自然思想をベースにしております)

時間の観念、システムを人間が生み出してから、もしかしたら、時間に追われるようになったのかも。たしかに、年に追われる、月に追われる、日に追われる、とは言わないものです。それは、年月日を、自然から編み出されたものと、人は本能的に知っているからかも?

秒針って、心臓の音ともまた違う、システマチックな感じがしますものね(^◇^;)

切り取り方が変わると、意識の仕方も変わるのかな、と思いました。

素敵な夜を!





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