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なぜ算命学を学習するのか?

算命学は面白いけど、なぜ算命学を学習するのか、と思うけど、一つには、自己探求の術だからと思う。

他人で「理解できないところがある」と思って命式を調べると、自分にはない要素が見つかり、相手の行動を顧みて、「なるほど」と相手を理解できる。

ところが、他人の理解できない要素を、自分も持っている場合、これもまた面白いなと思う。
これは、自分で自分を理解、把握していない部分なのではと。

私の場合は、だいたい「近親憎悪」的に働くことが多い。また、相手も、その個性が好きでないため、良い感情をぶつけられなかったり。
そのことによって、自分の性格に気づく。
強烈な経験がなければ(強烈な経験がないと気づきにくくしてるのは自分だけど)、自分に気づけないからと思う。

だけど、人の数だけ、性格や相性があるもので、この前とある方を見て、自分の性格を、すんなり単純に受け入れている人は、とても「癒し」になることにも気づいた。だけどその方にもまた、何かに気づけない悩みや苦しみは抱えている(けど、どっちかというと、ボーッとしている)。

難しくドラマチックになるまで煮詰めたいのは、自分の性格。お酒やコーヒーやチョコレートで、ビターな味が好きなのとそう変わらない。
甘いものが食べたい気分なら、自分の生活の中に、癒しも取り入れても良いのかな、と思いました。

昨日、算命学のことを書いたら、久しぶりに鑑定の機会がありました。
算命学を学べば学ぶほど、相手についても自分についても理解が深まり、相手には喜ばれ、自分まで得させてもらっていいのか、と思います。
ライフワークになりそうです。

素敵な一日を。



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