読書的な理念による病
読書を通じて知的に発展することは、しばしば読書的な理念として掲げられる。
読書においては、一旦個人の持つ思想を徹底的に破壊させた後に、もう一度思想を立て直す運動がなされる。
しかし、この破壊的過程と建設的結末に、もう騙されてはいけない。
もう少し正確にいうならば、建設的結末には騙されてはいけない。
読書の本来的価値は、ただ思想の破壊において見出されるべきであるからだ。
我々は読書に何を求めているのか?
処世術?べき論?社会的地位の獲得?
いやはや、自分らしさを求める凡庸な行為を書き連ねてみたが、しかし、以上のものにはたいした価値がない。
読書はただ、あなたの思想を跡形もなく突き刺し、ただニヤニヤと自傷的な笑みを浮かべさせるだけである。
もし仮に、建設的結末があなたの人生に変革の兆しを与えたとして、あなたには何が見えているのだろうか?
あなたにはもう、完全に整備されたアスファルトとその道を歩く希望に満ちた未来しか見えない。
希望に満ちた未来は同時に、読書的な理念による病である。
あなたがそう走り出してしまった先に何があるのか?
その希望の光は、ただ言語的に形成された贋作しかないのに。
今なすべきことは、徹底的な怠惰である。
そこには肯定も否定もない、ただの怠惰である。
もちろん、この怠惰が希望の光になろうと、また、絶望の闇になろうと、それらは病である。
怠惰に身を委ねよう
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