才能の正体

才能ってなんだろう

才能という言葉は非常に曖昧な言葉だと思う。
「自分には"才能"がないからやってもしょうがない」という物事を諦める理由にもなるし、「自分はどんだけやってもうまくいかないのに、あの人は才能があるから上手くいくんだ」という僻みに使われることも多いだろう。

私も自分には才能が無い側だと考え、人生を無為に生きてきた側の人間の自負がある。人生30年近く生きてきて、ようやく才能という言葉についての自分の中の解像度が上がってきたので、私なりの解釈をまとめたいと思う。

才能は「エンジンの大きさ」と「ハンドリングのうまさ」

まず、ここでいう「才能」の定義としては、物事を実現出来る能力がある人のことを指したい。

物事を巧みになしうる生まれつきの能力才知の働き。「音楽の才能に恵まれる」「才能を伸ばす」「豊かな才能がある」「才能教育」

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そして、結論から言うと、才能とは、「エンジンの大きさ」と「ハンドリングのうまさ」の掛け算であると思う。
「エンジン」とは、物事をどれだけ好きで続けられるか。
「ハンドル」とは、物事を上達するのに、正しい方向に軌道を修正して進んでいけるか、だと思う。

エンジンの大きさ

大谷翔平や羽生結弦、藤井聡太、天才と呼ばれるような人たちは好きへのエンジン量がクソデカイ。
大谷は怪我で試合に出るなとドクターストップが掛かっていても、「代走で試合に出してくれ」と監督に頼みこむほどだ。
好きなこと以外のことはどうでもいいくらい、自分の好きなことに熱中して生きられる、それが天才の第一条件「エンジン」の有無だと思う。

もう少し身近な例にしよう。
大学生でスキー場にグループで行った時のことだ。
スノーボードを始めてやってみようとなり、同級生Aさんは始めは何度も転んで雪まみれになりながらも午後にはある程度すべれるようになっていた。

一方、同級生Bさんは、同じく何度も転んで、「腰を打つのがもういやだ」といって午後には滑るのを辞めてしまった。

これがエンジンの差だ。
体を打って痛みを抱えながらも滑れるようになりたい、と思い続けることができるか、それともつらいから辞めてしまうのか。それが「エンジン」の違いだ。
つらくて続けたいと思わない内容であれば、それは才能がないと同義。
別のやりたいことを見つけた方がいい。

どんな物事を習得するにしても必ずつらい基礎練習は存在する。
スポーツであれば、走り込みやハードな筋トレ、絵師であればひたすらデッサンや解剖学の勉強など、サーフィンで始めて波に乗れるまでに何十回も海に叩き落とされたり・・・。そんなつらいことを耐えてでもやり遂げたいと思える気持ちの大きさ、これを私は「エンジンの強さ」と呼んでいる。

だが、この「エンジンの強さ」も、遺伝子で決まっている、というのが通説になりつつある。

なので、つらさを乗り越えて努力したいと思えるほど好きな物事でないのであれば、「才能ないからやめたら?」ということになのだ。

ハンドリングのうまさ

もう1つの「才能」の要素である、ハンドリングのうまさ。
これは何かというと、どれだけゴールに向かって正しい方向への舵を切れるか、正しい努力を続けられるか、ということだ。

「エンジン」がいくら優秀でも、ゴールと逆方向に進んでいたら、一向にゴールにはたどりつけない。
いま自分がゴールからどのくらい離れていて、どの道を通る必要があるのかを正しく判断しなければ、エンジンが如何に優秀であっても意味がない。

「私はものすごい努力をしているのに、結果が出ない」という人は一度、このハンドリングに間違いがないか、そしてそもそものゴールに向かったものになっているか(特大ブーメランかも・・・)、を一度見直してみてはどうだろうか。

あなたの努力は、ゴールから逆算した努力になっているのだろうか?
身近な人がこの練習をやりなさいと言ったので、その練習を盲目的にしていると、バンカーに突っ込んだまま進まない車になりかねない。

ゴールに向かっているかを把握し、向かうべき方向を軌道修正していくことが出来るか、これも「才能」であると思うのだ。

才能がない人はどうしたらいいのか?

ここまでの話を嫁としたら、「救いがないね」と言われたが、私はむしろこの解釈は才能が無い人への救いだと思っている。
なぜなら、後天的な「才能」を得る可能性が誰にもあるからだ。

「エンジン」の大きさは、生まれ持ったものではあるが、エンジンを使って目指すゴールは1つではない。
”お金持ち”というゴールを目指す上でのエンジンは50CCしかなかったとしても、"絵描き"というゴールを目指す上でのエンジンは300CCになるかもしれない。

自分の中でギアがフルスロットルになる対象をいろんな経験をして探し、好きになれるかどうかを経験してみる。
そして火がつくような夢中になれる対象でなければやめて、自分の「才能」がある分野を多く探す。
これが後天的な「才能」を獲得する方法だ。

次に「ハンドリングのうまさ」は、方法論が世の中に多数転がっていて、いつでも、やろうと思えば上手くなれるものだと思う。

やることはとってもシンプルで、あなたのゴールを明確にすること、そしてゴールを実現するために何が必要かを洗い出すこと。
そして洗い出したあとで、その内容を具体化・詳細化してアクションに落とす、それだけだ。

例えば、"お金持ちになりたい”のだとしたら、その夢を具体化する必要がある。
自分の目指すお金持ちを「年収5000万円」なのだとしたら、年収5000万円になる方法を考える。
サラリーマンとして年収5000万円になることは難しい。であれば経営者になることを目指す。経営者として年収5000万円の報酬を得るためには、少なくとも2億円の売上が必要(例ですよ!)だとする。
2億円の売上を得るためのサービスを展開するには、日本国内では難しいい。なので海外にも市場を展開する必要がある。
海外に市場を展開するためには、海外の交渉役と会話しないといけない、なので英語を勉強する(アクション)という風に繋げて考えれば、英語を勉強する理由やどんな英語を学ぶべきかが明確になるだろう。

だが、時が経つにつれ、徐々に夢の内容も変わるし、世間も変化していく。また、やってみたらこの方法は、ゴールとは違う方向に進む努力だったと気づくこともある。そうなったときに、この夢の具体化を再度修正して、また努力の方向を見直す。

これが「ハンドリングのうまさ」だ。だが、これは生まれ持ったものではなく、考えたか考えなかったか、だけの差だと思うのだ。

まとめ

長くなってしまったが、まとめるとこういうことだ。
・才能とは、「エンジンの大きさ」と「ハンドリングのうまさ」
・「エンジンの大きさ」は生まれ持ったものだけど、視点を広げて自分の中でエンジンを最大化出来るものを見つけよう
・「ハンドリングのうまさ」は、ゴールまでの道筋を考えることが出来る力。これはやるかやらないか、の差。

蛇足

一応、こういう反論はありそう、という内容に対するコメントを書いておく。
仮に、大きな「エンジン」があり、「ハンドリング」がうまかったとしても、サイヤ人止まりか、スーパーサイヤ人になれるかの生まれ持った差はあるとは思う。

身長150cmで超野球が好きで、最適なシステマティックな練習を続けていたとしても、メジャーリーグで40本HRを打てるようにはなれない。
だが、サイヤ人でも十分一般的には才能があるよ、という部類に入れる可能性はあるよ、ということが言いたいのだ。

この記事は、超々一流を目指そうという話ではなく、一般的に「才能がある人」と思われるためにはどうしたらいいの、という記事なので、そこは一応予防線を張っておく。
以上。



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