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「誰もが障害を持つ可能性があるから障害について理解すべき」への違和感

少し前のnote「発達障害の事を知らない人に興味を持ってもらうことの難しさ」にも書いたように、障害への興味がない人・障害のある人に直接関わりが無い人に障害の理解を求めるのは本当に難しいんだよね。

でもね、障害への理解を求める時「誰だって障害を持つ可能性だってある。そうなった時に助けてもらえないのは嫌でしょ。だから障害の事を知っておくべき」ってたまに言う人がいるんだけど、私はそれはちょっと違うと思うんだよね。

そんな「いつかの時の為」の自分への保険の為にじゃなく「誰かが困ってる時に自分のできる範囲で行動を起こす」っていう価値観に気づいてもらった方が障害の理解への本質に近づくと私は思うんだよね。

以前反響が大きかったこの「忘れ物」のこともそうなんだけど、「忘れ物をしないこと」をスキルとして身に付けるのも大切なんだけど、この先生は「誰かが困ってる時に自分のできる範囲で行動を起こすことで助かる人がいる」っていうのを自分がそう行動する事で他の子供達にも示していたんじゃないかなって思うのね。

頂いたコメントの中には「ちゃんと持ってきた子に対して不公平」っていう意見も多数あって、それに対して「もしも忘れ物をした時に貸してもらえるんだからその不公平感は我慢した方が得じゃない?」っていうコメントを返している人もいたんだけど、私はやっぱり「自分」へのもしもの時の為のお得感よりも、「誰かが困ってるんだから今自分のできることをやってみて困ってる人の困り感を解消しようとしてみる」の方が、困ってる事に直面している人に対して優しい社会に近づくんじゃないかなって思うんだよね。


これってまた「優先座席」にも同じことが言えると思うのね。

「自分が怪我した時、妊娠した時、体調が悪い時、歳をとった時、いつか障害があるようになった時に席を譲ってもらえないのは嫌でしょ」じゃなく

「困ってる人がいて自分に余裕があるなら、できる範囲で行動を起こせばいい」って考え方をする人が増えた方が、もっと自然体に席を譲れる人が増えるんじゃないかなって思うんだよね。

困っている人がいたら自分のできる範囲で手助けする。

それは自分が感謝される為でも、恩を着せるものじゃなく、恩を送り送られていくことで「困ってる人」が救われていくはず。

だからね、「あなたも障害者になる可能性があるんだから」っていう説明は、障害のある人への差別を無くしたり、理解を得ようとする時に、十分な理由にならないんじゃないかなって思うんだよね。

自分がその立場になるかどうか」じゃなく、『自分以外の人』の困難に対して自分に何ができるのかに思いを馳せてくれる人が増えてくれたらな、って思って書いたのが今日のnoteです。

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