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「学校には行くべきなの?」に対するあなたの本心を知りたい

8月も終わりに近づき、学校に行けない子、学校に行かなくちゃいけないのかな?って思っている子供たちの胸がざわざわし始めるころだと思うんだよね。

ツイッターやnoteには「死ぬくらいなら学校なんて行かなくていい」っていうメッセージであふれかえっているよね。それは本当に私も心の底から同意する。でも、それらのメッセージは果たしてそのメッセージを向けられているだろう子供に届いてるのかな?その子達の気持ちを揺さぶるほどの力をもってるのかな?って思うんだよね。

私にはね「学校なんていかなくていい」っていう言葉がキレイゴト&耳障りのいい言葉としか感じられないんだよね。

そこに「本心」があるのかなって?

その「大人の隠された本心」を人一倍センシティブがゆえに学校に行けない子達は見抜いてるんじゃないかな?って。

そもそも「学校になんていかなくていい」って本心から思っている人がその言葉の数だけいれば、子供が学校に通えない事で悩む大人も子供たち本人もこんなに多くないはずなんじゃないかな?


批判を恐れずに言うと、私は「学校には行った方がいい」と思ってるんだよね。

そもそも息子をアメリカに連れてきたのは「学校には行った方がいい」っていう私の中の思いがそうさせたと思ってるから。

ただ、日本の学校は過去のnoteにも書いたけど「行くに値しない」「障害の特性によって息子の安全が保障されていない」「このまま息子を地域の小学校に行かせても、学ぶ事もできないし、大けがするか命を落としかねない」」そう判断したからそこの学校に入学&登校させることを諦め、息子に適した安心&安全な学校を探し求めたその答えが「アメリカの小学校」だったんだよね。

ただね、大きな意味で捉えると、「息子は日本の小学校には不登校」な状態なんだよね。だからね、私の「学校には行った方がいい」は、ある意味守られていないんだよね。

じゃぁ本当の意味はどうなのかっていうと、

子供がそこに行くことで学びの機会を得られ、安心、安全に過ごせる場ならその学校には行った方がいい」

が私の本心なんだと思うのね。そして

子供がそこに行くことで学びの機会を得られ、安心、安全に過ごせる場ではないのならその学校には行かなくていい(行くに値しない)」

と判断し、「そこに行くことで学びの機会を得られ、安心、安全に過ごせる場」を探し求めた結果がアメリカの学校だったってことなんだよね。

私は「行くに値しない日本の学校には行かなくていい」と息子に伝え、その解決策として「息子に値する居場所」を親として見つけ、与えたんだよね。それが「アメリカ」だからなんとなく突拍子もないことのように一見見えるとは思うけど、でもシンプルに「△△はしなくていい。そのかわり○○はどうかな?」と代替案を用意したから息子は「日本の学校に不登校」という現実に対し不安を示さなかったんだと思うのね。

以前のnote「折り鶴は迷惑!送らないで!」より効果的な”贈りたい人”の気持ちに寄り添うことにも書いたんだけど、

「折り鶴を折る・贈る」という行為だけを禁止するのでは解決しないんだと思うんです。

そのかわりに、もっと被災地の人達の役に立つ形で「被災地の人達を想い作業する」こと(例えば雑巾やアクリルたわしを作る事)を提案するのが解決につながるんじゃないかなって思うんですよね。

こんな風に、学校に通いたくない&通えない子供に必要なのは「行かなくてもいいよ」の言葉の後に続くべき「じゃぁどうすればいいのか?」っていう提案や安心して過ごせる居場所じゃないかなって思うのね。

だからもしあなたが本心では「学校には行った方がいい」と思っているなら「学校をお子さんが過ごせる安心の場(通うのに値する場)」にする働きかけをやってみてほしいなって思うし、もし「学校側が変わる余地がない」ならお子さんに「じゃぁどうすればいいのか?」っていう具体的な提案や安心して過ごせる居場所を提案してみてあげてほしいなって思うんだよね。

きっとね「学校には行った方がいい」の本心を隠して「行きたくなければ行かなくていいよ」のうわべだけの言葉でお子さんにプレッシャーを与えるより、「学校には行った方がいいとは思ってるけどでもあそこはきみが安心して学べる場所じゃない。だから行かなくていい。だからきみに適した方法や場所を一緒に考えよう(ORだからこの案はどうかな?)」の方がお子さんは学校に通わず家で過ごしたとしても居心地がいい(=そこが自分の安心できる居場所)んじゃないかなって思うのね。

きっとその方が親としても「学校にはいかなくてもいいと言ったものの、いつ行ってくれるんだろうか?」「え?本当に行かないの?」なんてヤキモキしたり、イライラしたりせずに済むんじゃないかなって。

もちろん、そもそも本心から「学校なんて行かなくてもいい」って思ってる人もいるとは思うんだけど、子供のなかにはきっとキレイゴトなんかより目に見える解決策や提案を待ってる子もいるんじゃないかな、と私の勝手な思いを書いた今日のnoteです。

そしてこのnoteでは大人視点の話しを書いたけど、大人の想いよりも「本当は学校に行きたい」「何がなんでも行きたくない」と思ってるお子さんの気持ちにまず寄り添うのが大前提だと私は思っています。色んな視点や気持ちがあり、子供や親の数だけ色んなケースがあってきっと全ての人に当てはまるわけじゃないと思うから「チャビ母のたわごと」ぐらいに思っててもらえたらなって思います。

【お知らせ】
noteの毎日更新をお休みしている間「 #チャビ母トーク 」というハッシュタグでほぼ毎日140文字のトークを更新しています。その中で、子供達にとって学校や社会が安心して過ごせる場所になってほしいなという思いを込めたトークや発達障害の理解を求めるトークを発信しています。よかったらのぞいてくださいね!

たくさんの方々に読んでいただいたり、支援方法を参考にしてもらえたらと思い記事を無料公開していますが、 今までもこれからも勉強を続ける私の為に「投げ銭」という形でご支援いただければすごく励みになります。 よろしくお願いします。