失敗を繰り返してようやく気づいてもらえる発達障害
発達障害などの見た目にわかりにくい障害のある人ってね、見た目にわからないから、障害があってそれが原因で困ってる事、だから手助けしてほしい事がなかなか伝わらないんだよね。
それに「障害があるんです」って伝えても「気にしすぎだよ」とか、ひどい時は「障害って言い訳にして、それに甘えようとしちゃいけないよ」って信じてもらえない事もたびたび。
じゃぁ、どういった時に「障害がある」っていうことが「本当だったんだ!」って知ってもらえるか?
それは、失敗をさんざん繰り返したあと。それでやっと周囲に「本当だったんだ」「障害があったんだ」って理解してもらえる。
それって残酷だと思いませんか?
例えば、ディスレクシアなどの学習障害のある子は、繰り返し「他の子の様に書けない・読めない」失敗を繰り返してやっと「何か違う」と障害に気づいて貰える事がほとんど。
ADD・ADHDのある子は、忘れ物が異常に多かったり、不用意な行動を繰り返し、それを叱られ続けてはじめて「何かおかしい」って障害の可能性に気づいてもらえたり。
そうしてようやく発達障害の診断を得たとしても、「そんな風に見えないよ」と「普通」を求められ、失敗を繰り返すまで理解してもらえないんだよね。
発達障害の人は、さぼってるわけでも、手を抜いてるわけでもなく「障害の特性が理由で」みんなと同じ方法で同じようにすることがとても難しくなる障害。
例えば、「10文字を10回ずつ書きなさい」っていう課題を書こうとしても、障害ゆえの認知の問題や見え方の問題、感覚の問題や運動面の問題によって「一文字」すら書けなかったり、一文字書くのに何分もかかったりするんだよね。さぼってるわけでも、手を抜いているわけでもなく、ちゃんとやりたくてもみんなと同じ方法ではできない障害。
一方、発達障害ではない人にとって漢字の書き取り「10文字を10回ずつ書きなさい」は、時間さえかけたら完了できるけれど、さぼったり、手抜きするとできないよね。
だから発達障害がある人が発達障害ではない人たちと同じようにできない事があると「さぼってるんじゃない?」「もっと努力したら?」と誤解されちゃう事が多く、自信を失い続ける障害でもあるんだよね。
だからね、いつも言ってるように、障害のある人だけじゃなく「困ってる」っていう人に耳を傾け、障害の有無に関わらず、自分に余裕がある時に「困ってる人」に手を貸すっていうことがもっともっと当たり前になると、発達障害のような「見えない障害」がある人もない人も暮らしやすくなると思うんだよね。そうすることで、教室だけでなく、社会全体もインクルーシブになれるはず。
その一歩として
「発達障害があるように見えないね。でもだからこそ大変なんだよね」
「発達障害という見えない障害、見えないからこそ困ってる」
っていうことを、発達障害を知る為、理解する為に多くの人に知ってもらいたいなって思います。
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