「障害のある子も仲間に入れてあげてもいいよ」ってインクルーシブじゃないよね?
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「障害のある子も仲間に入れてあげてもいいよ」ってインクルーシブじゃないよね?

ある日、息子が学校から帰って来るなり「ママに相談がある」とかばんをおろすのも忘れて話し出したことがあったんだよね。

『今日、クラスの一つが自習になって、好きな事していいってなったからクラスのみんなでキックベースをすることになったんだよ。

その時もちろんボブ(知的障害のある自閉症の子)も一緒にやってたんだけど、ボブがボールを蹴る番になってボールを蹴ったんだけどね、ボブは走れないからゆっくりファーストベースの方に歩き出したんだよね。

そしたらみんなボブがファーストベースに到着するまでボールを投げないんだよ。だから毎回ボブはセーフでヒットになって嬉しそうにベース上ではしゃいでたんだけどね。僕は何か違うと思ったんだよ。

だから「ボールを投げないのはちょっとちがうんじゃない?」ってみんなに提案したらみんなもその違和感は持っててね。でもみんなで話し合ってもどうしたらべストなのか結論が出なかったんだよ。

その場は少なくてもボブが嬉しそうに、かつ、みんなと同じように参加できてるからいいんじゃない?ってなったんだけどね。今後の為に何か良い案があるか明日また考えようって事になったんだけど、ママ何か良い案ある?』

この話をきいて、まず凄いなと思ったんだよね。
中学生の子達が、先生に指示される事無く「ボブも同じように参加するのが当たり前なんだけど、でも同じルールを課すのもどうなの?それじゃ自分たちもボブも楽しくないよね。だから何かボブが参加できるボブに合った方法が必要だよね」がわかっている事。

で、なんとなぁ~く「これでいいんじゃね?」ということを自分たちで考えて試している事。

そしてその解決策が、当たらずといえども遠からずな事。

こういう事が自然にできる背景には、「障害のある子がそこにいるのが当たり前」→「だから必要な手立てを考えましょう」という前提がアメリカのインクルーシブ教育には浸透しているからだと思うんだよね。

でも日本だと「障害のある子を特別に同じ教室で過ごせるようにしてあげる」といったような考え方が日本の教育が目指しているインクルーシブ教育にあるように感じるんだよね。障害のある子たちを「本来そこにいるはずの子」という風に捉えてないのが根本的にアメリカとは違うから。

それもこれも、日本では「えこひいき」がないことを平等だと考える(左の絵)から、障害のある子への支援さえも「えこひいき=平等じゃない」と捉えられがちだけど、アメリカでは「誰もが同じように参加」できることが公平だと考える(真ん中の絵)からなんだろうな。

そしてもっと大切なのは「障害のある子を特別によせてあげる(参加させてあげる)」というような心のバリアがない、右の絵みたいな「そこに参加する為にバリアになる事がない」「差別がない」「誰もがWelcome」なことが大前提なんだと思うんだよね。

あ、話がずいぶんそれたけど、私の提案「ボールをキャッチした人が10とかボブがセーフになるかな?アウトになるかな?っていうくらいの数を数えてから投げるとかしてみたら?これだとボブ以外に走るのが苦手な子にも数える数字を変えたら使える方法だよね」が見事採用されましたとさ♪

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チャビ母

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アスペルガー症候群と診断された息子チャビの母です。 「このまま日本にいたら息子に明るい未来はない」と一念発起し、障害のある子にとってより良い支援環境があるアメリカに移住してきました。障害のある子の母として支援者として、私から見た息子やアメリカの支援について書き残して行こうかなと。