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開かれた支援級。そこは”みんな”の場所だから

私が子供の頃、支援学級(当時は養護学級って言ってました)は、小学校の一階にあった職員室の向こう側の廊下のつきあたりにあった記憶が…。

なんだかどんより暗い場所。

職員室にはもちろん何度も足を運んだことがあるけれど、「そこから向こうには決して入ってはいけない場所だ」というのを子供心に抱いていたような記憶があるんだよね。
だから私には、当時の養護学級は「養護学級」という看板の記憶しかない。中には多分入った事がないから…。

でも息子のアメリカの学校の支援級は、私の記憶の中にある「養護学級」とは全く別物だったんだよね。

Resource room(支援級)のある場所は、子供達が登校してきて一番最初にみんなが必ず通る場所。

二つあったドアは授業中以外はいつも開かれていて、登校する子達がわざわざ一つ目のドアから入って「Good morning!」って中にいる子に声をかけて二つ目のドアから出て行く、なんて光景もよく見られたんだよね。

私が子供の時、自分のクラスが3年2組だったら、1組とか3組のクラスにはちょっと入り辛かった記憶があるんだよね。「ここは、自分の居場所じゃない」的な居心地の悪さ…。

でも、息子の学校の子達にとっての支援級は、「自分たちの場所でもある」っていう存在。


子供達をそういう気持ちにさせている要因はいくつかあったと思うんだよね。

まず、休み時間の遊び場所は、安全面の事があって遊べる場所が制限されていたんだけど、屋内で遊んでもいい場所の一つが支援級で、支援級にあるゲームは自由に使ってよかったんだよね。

なぜか、支援級にはGeneral classroom(普通級)にはない最新型のパソコンが数台あって、特別なアプリもたくさん入っていて、それを目当てに来る子も多かった。ディスレクシアの子の為の、字幕付きのデジタル絵本やオーディオブックは特に人気だった。

そうやって、支援級の敷居がなくて自由に出入りしたり、そこで遊んだりする子が多かったから、「一緒に遊びたい」って友達に言うのが苦手な支援の必要な子達も、自然にボードゲームとかジェンガに参加していたことも度々。

あともう一つは、「ソーシャルランチ」という社会性向上の為の支援級の取り組み。これはまた明日か、いつか、説明しようと思う。

日本だと、支援級で大半を過ごす子は「親学級に行く」という言い方をするケースをよくツイートとかでみかけるんだけど、なんとなく支援級の子達は親学級の子にとっては「お客さん」的なように見えるし、普通級所属の子達が支援級に行くのも「お邪魔する」みたいな”心の中の見えないバリア”が存在するように私には見えるんだよね。(実際はわからないんだけど)

そういう、ちょっと見えない縄張り的な境界線があることで、支援級の子達が必要以上に「特別な存在」になり過ぎてるような気がするんだよね。本当は、同じ仲間なのにね。

でもそこが、「”みんな”の場所でもある支援級」だと、そんな見えない縄張りの境界線がないから、支援の必要な子も、必要でない子も「同じ仲間」でいられると思うんだよね。

こんな何気ない事から生まれたり、生まれなかったりする「違い」の意識。私は「無い方がいいんじゃない?」って思うんだ~

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