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発達障害の問題行動、それって誰にとって問題?へのアンサー

「発達障害」という言葉。息子が幼かった10数年前に比べると、格段に認知度は増えてきたよね。でもね、困った行動を起こす子を「あの子、発達障害かも」とレッテルを貼る言葉として使われる事もたびたび…。

発達障害の人は、一般的といわれる人達の生き方と差異がある事で『生きにくさという問題』を抱えているんだけど、決して「問題を起こす人」ではまいし、「発達障害が原因で問題を起こす」わけでもないんだよね。

そもそも私は「問題行動」っていう言葉があんまり好きじゃないんだよね。それはね、その「問題」が誰にとって問題なのかって考えた時、たいていその言葉を発してる人が、その問題行動に対して「困らされてる」って受け取ってることが多いから。

例えば授業中に立ち歩く発達障害のある子に対して「授業を中断されて困る」「他の子達に迷惑がかかるから困る」って風に受け取っちゃうと、きっとその先生は立ち歩く事を「禁止・抑制」しようとすると思うんだよね。

逆にその行動を「この子には何か問題になってることがあるんだろうな」「この子は辛いんだろうな」って受け取れば、その子の視点に立った建設的な支援が生まれるんだと思うんだよね。

そうすれば、
○衝動行動のきっかけになる刺激を減らす工夫
○見通しを持たせてあげる工夫
○授業を理解しやすくする工夫などなど
こんな風に「できる」きっかけ作りの為にその子の行動がいかされると思うのね。

だからね、「問題行動」の「問題」を、「問題視」したり「困った事(Problem)」として考えるんじゃなく、「問題=Question」と捉えて、Answerを探すきっかけとして捉えてほしいなって思うんだよね。

発達障害のある人達は、その人の障害の特性に合わせた他の人とは違った特別な方法やアプローチという独自のAnswerが必要な人達。

それに、発達障害はまだまだ謎が多くて、困難も一人ひとり違っていて支援(特別な方法)を見つけるのが難しいから「答え(Answer)をその人の中に見つけよう」とすることが必要な障害なんだよね。

だからね、特別支援教育や社会のまなざしが、発達障害=「問題行動」レッテルを貼るんじゃなく、Answerを探そうっていう姿勢であってほしいな。

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