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障害のある人にとっての生きやすい社会って?

今日のnoteは、6年前にツイッターで初めてBUNTENさんにTogetterにまとめていただいた連続ツイート。まだ息子が自分のアスペルガーの事を知る前の話しです。久々に読んでみて、胸がキュンってなりました。

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「ディスレクシアがあって色々大変だけど、でも大丈夫。頑張れば乗り越えられるんだよ」ってCMを見て息子が『俺、障害がなくてよかった~』って言った。なぜそう思うの?ってきくと『今、目一杯毎日頑張ってるから、そし障害があったら、もうこれ以上頑張れないよ…」と…。 

とっても複雑な気持ちになった。

息子は生まれた時からアスペルガー。それが息子にとって当たり前だし、自分に障害がある事を知らない息子にとってはアスペルガーである自分もアスペルガーでない他の人も「同じ」だと思ってる。息子にそう思わせてるのが「これ以上頑張れない」という努力の賜物の上に成り立っている。そこを忘れちゃいけない。

ソーシャルスキルトレーニング(SST)は、社会性の困難がある人にとって必要な療育だと思う。でも「障害のある人が、この社会でうまく生きる為のノウハウを身につける」という『歩み寄らせ型』である以上、障害のある人が表面的にうまく生きられている分だけの他の人がしなくていい努力が存在してることを軽視しちゃいけないなって思う。

発達障害は治らない。薬を飲んだり手術したりして治るもんじゃない。でも、発達障害のある人が発達障害のあるままで生きていくには、この社会はあまりにも「不都合」が一杯だから、その生まれながらに持った不都合を解消する為に努力が必要になる。治療法はない。生きやすさと引換に必要なのは本人のたゆまない努力

障害のある人にとって、不都合がある状態が周囲の人に明確にわかってる時は、人はその人を助けようとしたり、その人の努力を認めたりする。でも努力によって不都合を解消すると、その状態が他者には「当たり前」「治った」になる。でも本当は『歩み寄り』っていう手助けが必要な状態は続いているはず。

障害のある人が、自身の持つ不都合を解消してうまく社会に溶け込んで生活してる状態は、シンクロの選手が水上では華やかな演技をしてるけども、水面下では浮上した状態を保つ為に常に足で水をかいでいる状態に似てるんじゃないかなって思う。「見えない部分の努力」の上に日常が成り立っているんだよね。

こういう事に想像力を働かせる事を、もっと私達は大切にしなきゃいけないなって思う。学校にも職場にも、障害や発達障害がある人が数多くいる事が明確になってきた今、障害のある人に努力を強いるんじゃなく、誰にでも過ごしやすい環境を整備する『歩み寄り型』に考えがシフトしていってほしいと思う。

息子に「もし自分に障害があるってわかったらどう思う?」ってきいてみた。「障害がある事は大変だろうけど、みんなが助けてくれたり自分が頑張ったら大丈夫なんだと思う。僕と一緒だよ」って息子は即答した。

【みんなの助け】を障害のある人が必要としてることを、多くの人にわかってもらいたいな。

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