『黒魔術の男(Shaitaan)』感想と考察(途中からネタバレあり)
原題『Shaitaan』、邦題が 『黒魔術の男』(英語字幕)
これはスクリーン見つめてれば内容が全部分かるという英語字幕弱者にも優しいホラーです。超自然的な恐怖はあまりありませんが、こんな事態が家族の身におきたらイヤだ、どうしていいか分からないという困惑と嫌悪はとことん味わえます。現実にありえそうなのが恐怖のポイント。
主演はアジャイ・デーヴガン、ヴェンカタ父さんですね。相変わらず最高にかっこいいパパです。今回は(も?)かなりの資産家らしい。金持ちすぎて小銭を持ち合わせていなかったのが不幸の始まり。皆様、インドでチャイ飲みたければ小銭のご用意を(という映画ではない)。
タイトルロールはR・マーダヴァン。そうです、タミル版のヴィクラムsir。今回は観客の気を散らせないようにしっかりジャケットお召しです。 でも今度は彼の表情が気になっちゃってね! まあとにかく気持ち悪いの。薄気味悪いんじゃなくて、気持ち悪いのよ。気持ち悪さが恐怖。
その気持ち悪さって『まばたかない瞳』の悪役にも共通するんだけど、濃い髭の下に三角に口をあける笑顔なのよ。それで何故か歯がしっかり見えてる印象がある。人を陥れることに喜びを感じている表情なのに、それを隠そうともしていない所が気持ち悪いのよね。バレても平気という絶対の自信があるから。
ホラーの傾向としては『女神の継承』に似てますね。あ、安心して、そこまで恐くないから。あの、何がどう発動してそんな事になったのか全く理解できないという混沌とした恐怖はないんです。何故なら「黒魔術」は西洋伝来だから。めっちゃ論理的に展開してくれます。でもコワイ。
ではここからネタバレ。物語の結末等は書きませんが、内容には触れるので。
さて『エクソシスト』以来の伝統で、本作でも年若い女性があれやこれやをします。これがねいちいち黒魔術の男の指示を受けるのね。
『エクソシスト』系だと悪魔に憑依されてるのが普通でしょ。悪魔に肉体を支配されているから通常の人間にはできない行為や行動をする。だからヴァチカンからエクソシスト呼んで悪魔祓いをしてもらう。祓魔(ふつま)は憑依されてる者の内部から悪魔を追い払えばそれで完了。ひきずりだした悪魔を物理的にぶちのめすとかはあまりしない。何故なら悪魔は超自然の存在とされているから。だからこの世に存在する際には人間に憑依するなどして仮の容れ物が必要になるんだよね。そもそも悪魔って異形の姿で地獄にいるものだからさ。
西洋のホラーを見てくると、大体こういう感じが共通イメージなんですよね。キリスト教、特にカトリックの共通概念らしきものが歴然とある。
それがインドに入ると変わっちゃう。
どこの国でもそうなんでしょうが、その国固有の文化を受けて変容しちゃうのね。
『黒魔術の男』の悪魔はそのまんま人間として現れて、「どうも、サタン(Shaitaan)です」と自己紹介しちゃう(実際はそういう台詞ではない)。
西洋ホラー見慣れてるとここでひっくり返りますね。なんか「悪魔」のイメージが違っててね。
ところでこの「悪魔」のイメージが『Puli(プーリ)』(タラパティ主演のファンタジー映画)に出てきた「悪鬼」と似てるなあと思ったんですよ。
『プーリ』の「悪鬼」は征服者のことで、人間より何倍も力が強く超自然的なパワーを持つ者もおり、激高すると牙が伸び、そして目が青いんです。そっ、まんま白人(英国人)。
『黒魔術の男』の「悪魔」も最後にコンタクトレンズを外して持ち前の目が青い事を知らしめる。なんや、お前も白人だったんかい、って感じですね、悪魔なんだけど。
まあ要するに白人が持ち込んだキリスト教に由来する悪魔、Shaitaan のイメージがインドでは白人そのものみたいなんですよ。
まあそりゃそうよね、『サイラー』見れば分かるけれど、英国人、インドであれだけ悪逆非道を働いてるんだから憎まれて悪鬼外道扱いされて当然よね。
と本筋と関係ないところに興味を感じるホラーファンなのでした。
ちなみに『黒魔術の男』は最後まで気の抜けない面白い映画でした♪
悪魔がどうなるか楽しみにご覧下さい。
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