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老舗の、心意気。

文・撮影/長尾謙一 

クリスマス島の塩(素材のちから第38号より)
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株式会社にんべん  日本橋だし場
「飲む茶碗蒸し」

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通常、茶碗蒸しは陶器に入った温かなものをスプーンですくって食べるが、この「飲む茶碗蒸し」はひんやりと冷たく、なんとストローで吸って飲むテイクアウトメニューだ。鰹節だしの香りが溢れるやさしい味と冷たくなめらかな口溶けに、日本料理の新しい可能性が見える気がした。

創業者の髙津伊兵衛以来、絶え間なく挑戦を続けることこそが、にんべんのアイデンティティ

にんべんといえば創業は江戸時代、1699年(元禄12年)に遡り、その歴史は320年を超える。その鰹節の老舗がなぜ、「飲む茶碗蒸し」という思いもよらないメニューを販売するに至ったのか。しかもこのコロナ禍の最中にだ。そこには受け継がれてきた老舗の心意気があったように思う。

「飲む茶碗蒸し」は、鰹節の老舗と和の料理人のコラボで誕生した。

2020年7月23日、〝日本橋だし場〟の新メニューとして提供が開始された

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「飲む茶碗蒸し」が売れている。ここは東京・日本橋にある〝日本橋だし場〟、2010年に鰹節の老舗(株)にんべんが新たな試みとしてはじめたスタンドバー形式で〝だし〟を味わう店だ。本枯鰹節削りの実演販売の他に、「一汁一飯」をコンセプトに、かつぶしめしをはじめ月替りの〝だし〟スープメニュー、弁当や惣菜と幅広くテイクアウト中心のメニューを販売。1杯100円で提供される削りたての鰹節からとったフレッシュな鰹節だしは、2019年12月20日には販売96万杯(累計)を達成したほどの人気だ。

さて、人気の「飲む茶碗蒸し」だが、この原案を考えたのは新宿・荒木町「鈴なり」の村田氏だ。にんべんが〝日本橋だし場〟で削りたての鰹節だしを提供するのを見て、まるでコーヒーショップでコーヒーを飲むように〝だし〟を味わうのは日本人にとって凄くいいことだと刺激を受けていたそうだ。その発展形として〝茶碗蒸しを飲む〟というスタイルをやってみてはどうかとかねてから考えていた。そこで、にんべんの社長への直接アプローチを思いつき「飲む茶碗蒸し」の原案を提案したのだ。

2019年11月19日、村田氏は髙津社長と初対面にもかかわらず最初から試作品を持参した。あいさつも早々に、一口食べた髙津社長は「おもしろいですね、やってみましょう。」と採用をその場で即決した。何と早い決断だろうか。

それから約8か月、鰹節の老舗と和の料理人のコラボメニューとして、今年7月23日に「飲む茶碗蒸し」は〝日本橋だし場〟に登場した。

歴史が教えてくれることは、今を攻めるからこそ将来があることだ。

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株式会社にんべん
代表取締役社長 髙津 伊兵衛 さん

外食店の経営環境が厳しい中「飲む茶碗蒸し」の販売に踏み切る

それにしても、髙津社長は初対面の村田氏から受けた「飲む茶碗蒸し」のメニュー提案を即決した。提案を受けてからわずか8か月、商品開発のスピードを上げ外食店の経営環境が極めて厳しいこのコロナ禍の中、その販売に踏み切った。その実行力には驚かされるばかりだ。今のような状況下では、しばらく様子を見ようとなるのが普通ではないだろうか。

村田氏の提案を受けた時のことを髙津社長に伺うと、このように話してくれた。

「おもしろいなって思いました。それが正直な気持ちです。それでやってみようかなって思ったのです。そんなもんですよ、やる時って。すでに〝日本橋だし場〟で〝だし〟は提供していますし、夏には〝アイスだし〟といって〝だし〟を冷たくしてストローで飲んでいただくものも提供していますから、そんなに違和感はなかったのです。だから『なるほどな、おもしろいかも!』って感じで。でも、この夏に絶対間に合わせるという想いはありました。」

さらに「飲む茶碗蒸し」をこう分析する。

「もともと〝だし〟は料理の過程で使われるもので、今までは最終商品として価値があるようなないような、そういうものでした。私どもの〝だし場〟で1杯100円の代金を頂戴して〝だし〟を販売してみて、料理の過程から〝だし〟だけを〝切り離す〟ことで新しい価値って認められるんだなと思いましたね。〝切り離す〟とか〝ずらす〟ことによって一部だけに焦点を当ててみせるというやり方を学びました。

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今回の「飲む茶碗蒸し」も、もともとある食べる茶碗蒸しというものの形態を横に〝ずらして〟飲むスタイルに変えたわけですよね。それは今までにないキワモノのようなもので、もちろん賛否両論があるでしょう。でも販売が好評なのは、この国の味を支えてきた〝だし〟と確かな料理人の感覚がつくり出す新しい和食へのアプローチを楽しんでいただいているのだと思います。」と語り口は実に飄々としている。

13代、320年続く〝髙津伊兵衛〟の名と絶え間なく続く挑戦する姿勢

髙津社長は、にんべんの13代当主で名前は髙津伊兵衛。にんべんの創業は元禄12年(1699)、赤穂浪士の吉良邸討ち入りが元禄15年(1702)であるからさらに古い。以来、13代に渡り髙津伊兵衛を名乗り、現当主も襲名前は髙津克幸氏だった。

襲名とは代々継いできた名前に変えることで、戸籍の改名には家庭裁判所の許可がいる。しかし、これには正当な理由が必要で通常簡単には認められないが、髙津伊兵衛の名は320年間一度も絶えることなく代々続くものとして13代の襲名も認められた。

余談だが、名前を変えるということはかなり面倒なことらしい。運転免許証、銀行口座、キャッシュカード、クレジットカードなど個人のことはもちろんのこと、法人の代表者名変更に伴うさまざまな手続きもしなくてはならなかったと聞いた。

さて、こうして受け継がれてきた〝髙津伊兵衛〟の名だが、さらに大切に受け継がれてきたものがある。それは初代髙津伊兵衛から続く、絶え間なく挑戦する姿勢であろう。それこそがにんべんのアイデンティティだ。

私たちの日常でよく目にする液体調味料「つゆの素」は、今ではつゆ市場でトップシェアを誇るが、当時本物の鰹節だしを使ったつゆ商品はなく、発売当初はまったく売れなかったそうだ。それでも価格を崩すことなく2年、3年と地道な営業活動を続けることによって市場にも商品のよさが少しずつ理解されるようになった。

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こうして少しずつ売り上げを伸ばし、つゆ市場に〝本物の鰹節だしを使ったつゆ商品〟という新たなコンセプトを打ち立てることになる。

また、削り節を使いやすいサイズに密封して鮮度を保った「フレッシュパック」は一般の家庭でスタンダードだが、商品化は一筋縄にはいかなかったという。本来鰹節は削ることによって酸化の影響を受けやすく、「鰹節はお客様の顔を見てから削れ」といわれるほどデリケートなものだからだ。

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開発には実に10年近くの時間がかかっている。さらに、発売前には社内で多く反対を受けたがこれを押し切った。「フレッシュパック」はいつでもどこでも削りたての鰹節が味わえると評判になり、売れに売れた。にんべんは長い歴史の中で、こうした沢山の挑戦を絶え間なく繰り返してきた。

老舗の心意気

しかし、私の印象では、髙津社長はこうしたことを結果論として語ることを嫌うように思う。

成功を結果だけで語らず、その背後にあった時代背景や新たな技術革新、意思決定の難しさなどを論理的に理解し、今また挑戦する。つまり、結果の上に今のにんべんがあり、今の挑戦にこそ将来のにんべんがあることをよく知っているのだ。

〝だし〟の可能性を再発見し、にんべんにとっての新たな業態展開をつくり出すことになった〝日本橋だし場〟の出店も、挑戦というより実験だったと話し、大変なことを大変に感じさせない。

今回の「飲む茶碗蒸し」もその中の一つなのだろう。老舗の心意気とはこういうものなのだろうか。その動きにはスピード感があり実に軽妙だ。

2013年に和食がユネスコの無形文化財に登録され、世界から注目されるようになった。ならば、この国の長い時間が培ってきた食文化をもっとおいしく、もっと楽しい未来へと進化させたい。鰹節の老舗が見せる和の新展開、次の一手に期待したい。

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さて、「飲む茶碗蒸し」を発案した村田氏はどうやってこれを思いついたのだろう。そして好調な売れ行きをどう思っているのだろう。鈴なりを訪ねお話を伺った。

固定観念にとらわれずに、自由に〝だし〟の可能性を広げてみたい。

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「鈴なり」
店主 村田 明彦  さん

「飲む茶碗蒸し」を思いついたきっかけは

「飲む茶碗蒸し」を思いついたのは、ご当地茶碗蒸しを考えていたのがきっかけでした。

〝だし〟は和食にとって一番重要なものの一つで、江戸の〝だし〟、関西風の〝だし〟のように、ご当地の〝だし〟が日本全国にあると思います。

地鶏があるのですから卵も地の卵があると思います。だったらご当地茶碗蒸しというのがあってもいいなと思いました。そして、それがテイクアウトできてもっと観光地などで気軽に味わえればいいなと考えていたのです。

にんべんさんが日本橋だし場の店頭で温かい〝だし〟や冷やした〝だし〟を売っているのを知っていて、凄いいいことだなと思っていたんですよ。そうしたら突然、茶碗蒸しも飲めたらいいなと思いついたのです。アイデアってそんなものです。そう思うとじっとしていられなくて、にんべんの社長さんにアイデアだけお話しするよりも、つくって持っていった方が早いと思ってアプローチさせていただきました。

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ツイッターを見ると、いいねっていう人もいますが、気持ちが悪いとかネガティブな意見もあります。でも、「おにぎりを食べながら吸いたい。」とか「タピオカドリンクの次はこれだ。」とか、いろいろ感想があっておもしろいですね。喉に詰まることもないので、お年寄りの方に〝だし〟を気軽に楽しんでもらえるのがとてもうれしいです。

出来栄えはいかがですか?

なかなかいい感じにできたと思います。とろりとした茶椀蒸しが舌の上に残り、鰹節だしの香りと旨みをしっかりと感じます。

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塩はクリスマス島の塩を使いました。にんべんさんの日本橋だし場でも使っていますし、〝だし〟の風味をここまで上げるのはこの塩ならではです。相性がいいですね。

「飲む茶碗蒸し」は少し崩したおぼろ状に仕上げています。

配送や提供方法を考えると、固まった状態にこだわらず崩してよかったと思います。茶碗蒸しは今でこそスプーンですくって食べますが、もともとは箸で周りを崩してお吸い物のように飲むお椀のようなものなんです。崩すと〝だし〟と卵が分離してくるのですが、そこはにんべんさんのノウハウが見事に解決してくれました。

第2弾はどうするのって聞かれますが、まだ考えていません。でも、固定観念にとらわれずに、自由に 〝だし〟の可能性を広げてみたいと思っています。


お問い合わせ:クリスマス・アイランド21株式会社

(2020年8月30日発行「素材のちから」第38号掲載記事)

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