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カメラノートスペシャル号外 森永純と言う写真

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日大写真学科の学生だった頃に、私より10歳位上の世代の写真家で学生の間で話題になった人間がいた。それが森永純である。天才であるとかそういう話ではない。
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カメラノートスペシャル号外 1 森永純と言う写真

1 日大写真学科の学生だった頃に、私より10歳位上の世代の写真家で学生の間で話題になった人間がいた。それが森永純である。天才であるとかそういう話ではない。同級生で話題になったのは運動部系の学生服を着た写真学科の同級生で一ノ瀬泰三の方が話題になっていた。彼は写真学科を卒業したのか、それとも中退したのか等はどちらでも良い話だが、その後後楽園でボクシングの4回戦ボーイでデビューしてボクサーとしての可能性は見出せなかったらしいけれども、その関連でリングサイドでボクシングの試合を撮影し

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カメラノートスペシャル号外 2 森永純と言う写真

森永純の仕事の存在を初めて知ったのは彼の銀座ニコンサロンでの個展モーメントモニュメントであった。当時の写真映像と言うカメラ雑誌にも作品が掲載されていた。写真映像と言うシリアスな雑誌は、当時編集部が新宿3丁目あたりにあった写真同人社から1年に4回発行されていた。優れたカメラ雑誌と言うより写真雑誌である。そのタイトルが写真映像と言うのである。1969年に銀座のニコンサロンでモーメントモニュメント、ニューヨークの1年半の仕事をまとめた森永純の個展が開催されたのと、ほぼ同じ時期で森永

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カメラノートスペシャル号外 3 森永純と言う写真

3 1982年だったと思うけれどカメラ毎日で私が写真家とその仕事にインタビューすると言う連載があった。といっても2ページから3ページのものである。誰をインタビューしたかほとんど記憶が逸脱しているから国会図書館で調べなければならないと思うけれどもその必要もなさそうだ。というのも私の記憶に残っているのは動物写真の岩合さんの息子さんと天才荒木とそして森永さんなのである。

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カメラノートスペシャル号外 4 森永純と言う写真

4 森永純さんの彼のダークルームでのインタビューで私には忘れられない嬉しい話があった。それはロバートフランクを訪ねて行って写真集を発行すると言う文化的な行動に出た元村和彦さんが森永さんのライフワークであるどぶ川の写真集を発行したときに元村さんの口から次に写真集を出したいのは田中長徳であると言う話があったそうだ。この話は森永さんから直接聞いたので非常に嬉しかった。森永純と言う人は、相手にリップサービスでそういうことを言うタイプの人では全くないから、このストーリーは私に大変な勇気

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カメラノートスペシャル号外 5 森永純と言う写真

5 1962年に日立製作所の写真集の撮影のために1年半ほど来日した友人スミスのアシスタントになった森永さんは彼のキャラクターからすれば1番不思議なフォトグラファーとアシスタントの関係であると言うふうに私は感じるのである。

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カメラノートスペシャル号外 6 森永純と言う写真

6 2018年に森永さんは80歳で亡くなって、それから5年経過した現在にギャラリーバウハウスでレトロスペクティブエキジビションが開催された。そのプリントがどのようにしてここにあるのかと言うような興味ある話をギャラリーオーナーの小滝さんに聞いてみた。

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カメラノートスペシャル号外 7 森永純と言う写真

7 森永純さんの前回のギャラリーバウハウスでの個展の時にトークイベントで森永さんから直接お話を聞く機会があった。今にして思うとこれが貴重な体験なのである。指摘しておかなければならないのは尊敬する写真家に毎日会って一緒にゴールデン街に行って飲むなどと言うのは最もスマートではない写真家との付き合い方である。

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カメラノートスペシャル号外 8 森永純と言う写真

8 使うカメラに全くこだわらないと言う森永純のカメラ選びと言うのはロバートフランクやブレッソンやそういう巨匠のカメラ選びも簡単に打ち砕いてしまう

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カメラノートスペシャル号外 9 森永純と言う写真

9 リアリズムでもなく抽象表現主義でもなく、森永純写真であると言う純粋な写真存在のスタンスと言うものは一体どこからきたのかそれを考えてみる事は価値がある。

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カメラノートスペシャル号外 10 森永純と言う写真

10 大阪芸術大学で写真作家論を教えていた時にホワイトボードに既に昇天した写真家の名前を書いた。そしてその時いつかは森永と言う名前をここに書く瞬間が来るのであろうと言うことを私は自覚していたのである。

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カメラノートスペシャル号外 11 森永純と言う写真

11 森永さんが1937年つまり長崎の原子爆弾の7年前に長崎に生まれたと言うことを私は忘れない。もう1人長崎に原爆が落とされた1週間後に軍属としてテニアンから長崎を訪れたアメリカ人のTim Prauelを私は知っている アメリカカリフォルニア在住のアーティストであった。

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