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「ここに公開しようとしている一連の手紙をどのように入手したか、わたしにはそのいきさつを説明するつもりはない。」

わたしはC.S.ルイスがこの作品を、「J.R.R.トールキンへ」としているのを大変興味深く思う。
トールキンはその著書『指輪物語』および関連図書一群を、「西境の赤表紙本」からの翻訳、もしくは関連資料の翻訳、という体でこの世に出した。
ルイスはこの「手紙」を、ある方法で手に入れたものであって、自分の創作ではなく、そしてこれは「悪魔の手紙」なのだから、そのまま信用するのも全くの戯言だと無視するのもよろしくない、と言っている。
どちらも、著者でありながら自分は「媒介者」である、とする心理は何なのだろうか。

それは、創作物をより「本物」たらしめる試みかもしれない。「こういう資料を手に入れましたよ」ということによって、より「現実」に近いものであるとしたいのだろう。

C.S.ルイス著、中村妙子訳『悪魔の手紙』(平凡社、2006年)

原書の発行は1941年。
第二次世界大戦真っ只中、ジョージ六世の時代だ。
戦争中にどれだけ文化的なもの、思想的なものを保つことができるかが、その国の国力の一つだとわたしは思っているのだが、やっぱりイギリスは強いよな……

さて、この作品は、新米の悪魔ワームウッドに、叔父の悪魔スクルーテイプが「いかにして人間を誘惑し、<敵>(彼らにとっての敵とはキリストであり創造者である神)から引き離すか」ということを今節丁寧に指導するというかたちをとっている。

ルイスは大人になってから回心したクリスチャンだった。
かれは自身のことを、もっとも嫌々ながら神の存在を認めた回心者だ、という内容のことを自伝などで語っている。
一般的なクリスチャン家庭に生まれ、それを自身の信仰として受け入れることを拒み、そして最終的には、神の存在とキリストによる救済を受け入れることを選んだ。
ある意味で、とても理性的で理論的な改宗者だったといえるだろう。

ルイスはその後、英文学を専門とする大学教授を務めながらも、キリスト教の弁論者としてラジオ番組をもったり、信仰書を書いたりと、布教につとめた。
その点は、友人であり同じくオックスフォードの教授であったカトリック信者のトールキンとはまったく別の態度を取ったといえる。
トールキンは、神の真理は自ずと明らかにされる、という態度を徹底し、自身の創作物に「キリスト教信仰」を持ち込もうとしなかった。

さて、ルイスの数ある「信仰書」の中でも、特に寓意的で読みやすく、そして身につまされるのがこの『悪魔の手紙』である。
ここに書かれている人間の心理や状態は、今からもう80年以上前のことだけれど、人間の本質というものはそうそう変わらない。
スクルーテイプは甥に、「神がいるかいないかなどという議論に真剣に取り組ませる」よりも、そういう考えを持った瞬間に「その前にご飯を食べてこよう」と思わせたり、「週刊誌の広告」へ興味をひかせたり、いわゆる「実生活」による気の逸らし方を伝授している。
<敵>との議論に勝つのではなく、議論から関心を逸らせてしまえ、と。

なるほどわたしたちは、どれだけ真剣に聖書講解を聞いていようとも、一度お腹がなりもすれば、「さっさと終わって休憩にしてくれ」という考えに支配される。

あるいは、誘惑すべき人間が教会に通っているようならば、<敵>の言葉に反論するよりも、近くに座っている子どものかわいさに目を向けさせること、讃美歌の言葉ではなく、美しいメロディーにうっとりさせること、そういった小技をいろいろと披露する。
人間にしてみれば、自分は毎週教会に赴き、熱心に聖書を読んでいると思っているのに、実は本質を見逃すように唆されているのだ。

これをただの「面白い創作物」として読むか、「自分自身への警告」として読むか、それは人それぞれだろう。
わたしは初めてこの本を読んだ時、たしか高校のころだったと思うが、あまりにも「あるある」すぎてものすごく心配になったことをおぼえている。
日常の至る所に気づかない<誘惑>の種が転がっており、それらは最も簡単に、自分を神から引き離してしまうのだ。

さて、最後にこの本を読んでからだいぶ経っているので、正直なところ内容をきちんと覚えているわけではない。
読み返す時間も今のところなさそうだしなあ、と思う。
ただ、今回本棚からひっぱりだして、ぺらりとページをめくってみて思ったのは、ルイスがこういった「誘惑」の方法や「誘惑される人」をどのようにして編み出したのだろうか、ということである。

この本は、信仰書である。
しかし一方で、ルイス自身が感じていた、「最近の流行りの考え方や世間の風潮に対する風刺」でもあるように思う。
落ち着きのない世界、どんどんと変わっていく流行、慣れ親しんだ自分の世界に入り込んでくる大量の情報と、情報に踊らされる人々。
そういったものを、ルイスは「悪魔に誘惑された人々」と皮肉ったのかもしれない。

実態はそのどちらでもあるのだろう。
クリスチャンは常に危険に囲まれている。
そして信仰とは全く無関係に、世界はどんどん形を変えていく。
それを「悪魔のしわざ」とするのか「天の恵み」とするのかは、その人の受け取り方一つで変わるのではないだろうか。



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