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「いまからすこしむかし、ユースチス・クラレンス・スクラブという男の子がいました。」

今年が終わるまでにこの話を書いておかないといけない、と思う。
なんといったって、今年はネズミの年なので!

C.S.ルイス著、瀬田貞二訳『朝びらき丸 東の海へ』(岩波書店、1996)

ネズミとはもちろん、われらが騎士リーピチープですよ!
そしてなぜ今年がネズミの年かというと、「楽俊の原型はリーピチープ」と小野主上が『十二国記三十周年ガイド』のインタビューで述べていたからです。
わたしの好きなネズミがふたりも揃ったのだから、今年はネズミの年です。

この作品も、他のナルニアの作品同様に、どの子どもに視点を置くかによって見方が変わる作品です。
今作初登場のユースチスの変化に注目するもよし、ルーシーのようにもう何度も試練を乗り越えてきた人のささやかな変化に目を止めるもよし、立派になったエドマンドの活躍を見るもよし。

でも今回は、わたしはリーピチープを押していきたいのです。
アスランの国を求めて航海に出た、ネズミの騎士のすばらしさを!

リーピチープは『カスピアン王子のつのぶえ』では、一種のコミックリリーフとして描かれたキャラクターです。
ネズミのくせに一丁前に騎士気取りで、誇り高くて、小さいくせに勇猛果敢、という。
そのギャップで読者をほっこりさせたのですが、かれもアスランに出会って本当の騎士になったのです。

そして今作では、「だれよりも純粋にアスランの国を熱望する、一途で信頼のおける仲間」として描かれています。
それがリーピチープが、前の大戦のあとに築き上げてきたものなのだと思うと、かれのすばらしさが身に染みます。

「わたしの胸のなかは、もうきまっております。わたしは、朝びらき丸でできるかぎり東へまいります。船がいけなくなりましたら、わたしの皮張りばり舟に乗ってこいでまいります。あの小舟が沈みましたら、この四つ足をつかって東へおよぎます。そしてアスランの国につかないのに、あるいは世のはてにかかる奈落の大滝にまきこまれて、これ以上泳げない時がきましたら、せめて日のさすほうに鼻づらをむけて、沈みましょう。」(p. 296−297)

物語の終盤、そもそもの旅の目的であるカスピアンの父の友人をすべて見つけ出した一行は、そのあとさらに東へ向かうかどうか議論をします。
そこで怖気付く人間たちを鼓舞するのが、このリーピチープの言葉です。
もちろんかれは、他の人のためにこう言ったのではなく、本心から自分の心づもりを話したにすぎませんが。

それにしても、自分の望みが叶うかどうかは問題ではない、と言い切るリープの潔さよ。
ここまでの潔さを自分が持てるかといったら、逆立ちしてもかないません。
きっとかれなら、事実アスランの国にだ取りつけなかったとしても、堂々と自分の成したことに誇りをもって沈んでいったことでしょう。
すごすぎる。
とってもすき。

この巻のラストほど美しい場面は、『さいごの戦い』意外ではありません。
リーピチープはいつまでも、「アスランに一途な誇り高い騎士」として、人々の心に残り続けています。
ルーシィもアスランに真っ直ぐで、アスランのことが大好きな人物として一貫して描かれていますが、潔さの点ではやはりリーピチープには敵わないと思うのです。

ああ、好きだよリーピチープ。

この物語を読むと、アスランの国への憧れが何度でも掻き立てられます。
いいなあ、わたしもアスランの国に行きたい。
アスランに会いたいなあ。

そしてそう思えることに、読むたびに安心するのです。
アスランに会いたい、と思っていられるうちはきっと大丈夫だろうな、と。


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