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「どちらの気持ちもわかる」と言う人

「私は〇〇の言っていることもわかるけど、〇〇の気持ちもわかるんですよね」

誰かが意見を言って、その反対意見が提示されたあとで放たれる言葉。
似たような言葉は誰でも聞いたことがあるのではないかと思う。
そしてこの発言は、その場にいる人に「この人はこの両者よりもさらに高次元で物事を見ているのだな」と感じさせる。

物事はAでもなくBでもない。その中間がちょうどいい。あるいは、そのどちらでもない。そういうことがありうる。
中庸、バランス、偏りすぎてはいけない、昨今はそんな言葉も頻繁に耳にする。
しかし、バランスが大事、偏りすぎないように、と言うのもまた、バランスが良い・悪いの軸で考えれば、端っこに偏っていることになる。

話がそれた。

何が言いたいかというと、「どちらもわかる」と言う発言は、高次の意見のように見えて全く意見の体をなしていないということだ。
そして、「どちらもわかる」「どちらでもないよね」と言う発言は、一見すると一つ上の階段から物事を捉えているようだが、実際は全肯定か全否定なだけで、全くもって高次な発言でも何でもないのだ。

「意見を言う」とは自分の立場を明確にすることだ。AなのかBなのか。そのどちらでもない、どちらもわかる、という発言は、結局自分の立場を明確にしていない。
じゃあどうなんだ、と言われる。
「どちらでもない、Cである、なぜなら〜」等と言うのであれば、それは立派な意見だが、全肯定や全否定だけでは、結局その人の立ち位置は全くわからない。

それなのに、この「どちらの言うこともわかります」「どちらもデメリットがあります」で優位に立った気分でいる人のなんと多いことか。そしてそのような発言に騙される人のなんと多いことか。こんな発言は、映画を見て「考えさせられます」と言う感想と同じぐらい中身がない。「じゃああなたは何を考えたのですか」「どっちも悪くないんだなって」。それは考えたのではなく、感じただけでしょう。

雰囲気に騙されてはいけない。
彼らは何か高尚なことを言っているようで、実のところ何も言っていないのだ。

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