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「マッドマックス」(1979年)


「マッドマックス 怒りのデス・ロード」で見事に復活したシリーズ。
あらためて第一作を観返すと、思っていた以上に面白い。

家族を奪われた警察官の復讐劇。
主人公のマックスはおもに暴走族の取り締まりをしている。
ある日、職務の途中で追跡していた暴走族が事故死する。
ナイトライダーという男だったが、彼はトッカータという男が率いるグループの一味だった。
トッカータはこの事故が原因で警察に恨みを抱く。
ある日、彼の手下がマックスと、同僚のグースに逮捕される。結局無罪で釈放されることになるのだが、不満を抱いたグースと小競り合いを起こす。
そして、グースは殺される。
ショックを受けたマックスは隊長のフィフィに辞職を申し出る。
フィフィは、マックスに休暇を取るように命じる。
家族とともに旅行に出たマックスは、リラックスした日々を過ごすが、妻のジェシーがトッカータ一味に目をつけられてしまい、やがて彼女と幼い赤ん坊を失うことになる。
怒り狂ったマックスはトッカータ一味に復讐する。

1970年代のオーストラリアは、暴走族が社会問題化しており、本作はプロパガンダ的な一面もある。また、荒廃した世界にヒーローが誕生する物語でもある。

構造もうまくできている。
警察官であるマックスが、ナイトライダーを殺したことが原因でトッカータが警察に復讐をする。それが原因で今度は警察官であるはずのマックスが怒りに駆られてトッカータに復讐する。
作中でマックスが語る「自分が警察官なのか暴走族なのかわからない」という悩みがそのまま形になっている。

英雄譚では、まず使命が与えられる。
本作では暴走族を倒す、社会秩序を守る、といったことが使命になる。
ただ、もともとナイトライダーを死に至らしめたのはマックスなので、自ら災いを招いたともいえる。
暴走族との戦いで、マックスは狂気に駆られたマッド・マックスになる。
正義の代償として同僚や家族を失い、復讐を成し遂げることで、彼が得たのはインターセプターという改造車だけだ。

暴力の不毛さを訴えたかったであろうこの映画は、突き抜けたアクションゆえに、観客に暴力の快感を覚えさせることになってしまった。
その結果として、メル・ギブソン主演で3本制作され、その後トム・ハーディ主演で1本、同じ世界でマックス不在の「フュリオサ」の合計5本が制作されている。少なくともあと1本はトム・ハーディのマックス映画が作られるのではないか。長い旅はまだ続く。

制作費は約3千万円。興行収入は9億6000万円。予算と興行収入の差額が大きく、「ブレアウィッチプロジェクト」(1999年)に抜かれるまではギネスブックに載っていた。
物事はなんでもアイデア次第、ということを教えてくれるすばらしい作品だ。

ちなみに「ブライアン・メイ」が音楽を担当しており、ずっと、クイーンのギタリストだと思っていたが、彼とは別の人物らしい。

https://www.youtube.com/watch?v=caHnaRq8Qlg

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