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『現代短歌』2021年11月号

ひときれの鰤のくぐれるせうゆゆゑ暗き水面は輝きを帯ぶ 門脇篤史 醤油にブリのお刺身をくぐらせた。脂ののったブリなので、醤油の黒い面に脂による輝きが出来た。とても細かいところを詠んでいる。トリビアリズムに陥らないのはブリが自らくぐったような「くぐれる」とそれに呼応する「水面」という言葉選びだろう。まるで食卓の醤油が海のひとかけらのように思えて来る。単に海を思い描いているのではなく、醤油の黒い液を「暗き水面」と呼ぶことで、作中主体の心の在り方も伝わってくる。

②「BR賞選考座談会」染野太朗〈気になったのは、この論はその歌集についてでなくても言えるよね、という文章が非常に多かったことです。自分の言いたいことが先にあって、それを歌集を利用することで言っているような書評が多かったように思う。〉それは残念だ。自分の言いたいことが先にあって書くのなら、それをテーマにした評論で。歌集評を書く時は黒子になるつもりで書くのが吉。感情移入してしまうことはあるけれども。

③玉津島麦「からだが語ることばを聴く」〈人は物語りを生きている。その人の中でそう語られている物語を生きている。語りて自身が意味付けてゆく結末の分からない物語だ。自分のからだが語ることばに耳を傾け作者は自分の物語を詠ってきた。〉梶原さい子『ナラティブ』書評。今回の応募作の中で一番心に残った書評の最後近くの部分。これに続く文章が選考座談会で批判されていたけど、そんなに傷とは思わなかった。ここに抜き出した文は梶原の歌集の根幹をよく言い得ていると思う。読者に響いて来る文章だ。選ばれている歌もいい歌が多かった。

④吉川宏志「いい書評とは?」〈また書評は、雑誌の編集部の依頼で書くことが多く、必ずしも自分の好きな歌人や知っている歌人の作品が当たるとは限らない。〉これ大事。BR賞の応募のように自分の好きな歌集を選んで書くことの方が機会としては少ないのではないだろうか。

 〈歌集の場合は、引用した歌にさまざまなことを語らせることができる。(…)ではどんな歌を選ぶのか。私自身は三つの観点を重視している。一つ目は、普遍的に優れている秀歌。二つ目は、作者のオリジナルな魅力が溢れている歌。(…)三つ目は、歌集のテーマに直接関わる歌。〉自分で選んだ歌集でも、依頼原稿でも、吉川がここで言っていることは当てはまる。歌集評はいい歌を引けるかどうかだ。そのいい歌とは、というのが吉川の言う三つだろう。しかし三つ目の「テーマに関わる歌」は難しい。その歌集のテーマを見極められるかどうかが、歌集評と感想文の違いだと思う。

⑤吉川宏志「いい書評とは?」〈歌を選び、歌が語ろうとしているものに耳を傾けることで、その歌集の自分なりの〈ビジョン〉が見えてくる。それをなるべく明確にして書くことが大切だろう。書評では、自分の主義主張を、あまりその本に押し付けないほうがいい。〉

 書評の書き手は自分の主義主張を書くのではなく、歌集の作者の声に耳を傾ける。ある意味、自分を無にして歌集に深く潜る。歌集のテーマと言っても、作者がそれを意識して作っているとは限らない。作者は何年か分の歌を集めて歌集を編む。その時、強くテーマを持つ人と持たない人がいるだろう。作者が自分のテーマとして打ち出してくるものは、ある意味捉えやすい。そうではなくて、作者自身が無意識のうちにテーマとして持ってしまっているものを掘り起こせたら、書評としては最高だと思う。それが吉川の言っている「自分なりの〈ビジョン〉」ということだと取った。

⑥個人的には「書評」と「感想文」を分けていて、書評はその歌集の作者と四つに組んで、その歌集のテーマを探って書くもの。感想文は読者の立場で、気に入った歌を引いて、評を書くもの。どっちがいいとか悪いとかでは全然無く、場に応じて書いていけたらなと思っている。

(風が好き)(遍歴が好き)樟の木の舌ひるがえり話しやまない 佐藤弓生 風にひるがえり、静止することの無い樟の葉を、木の舌に喩える。その場を動くことの無い木が、風や遍歴を好むのは逆説的で、強い憧れを感じさせる。葉だけはいつか風に乗って旅立って行くのだろう。

恋慕って嫉妬にすぎず 十三に影を濃くして電車が停まる 染野太朗 上句の断定がいいと思った。恋のライバルへの嫉妬だろうか。恋慕している相手への嫉妬だとしたらかなり複雑な心境だ。「十三」は「じゅうそう」。歌枕とまでは言わないが、地名に込められた含みを感じる。

⑨川本千栄「短歌口語化の伏流水~古語を使う人々」自己宣伝お許しください。短歌の言語が口語化した背景には、実は文語派歌人の歌があったという説。小池光、島田修三、河野裕子の歌を挙げて検証しています。ぜひお読み下さい。御感想いただければうれしいです。

2021.12.3.~6.Twitterより編集再掲