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『塔』2024年3月号(1)

内臓のいちばんちかく似たやうなくちびるの色ばかり購う 藤田ゆき乃 内臓は口から一本の管のように体内を通っているから、唇は内臓に一番近いのは確かだ。似たような色の口紅を買ってしまうのはよくある事だが、内臓に似た色の口紅を買う感じもあってどこか生々しい。

哀しみじゃなくて感情そのものが弱まってゆく冷えた指先 中山悦子 哀しみが弱まるのはうれしいことだが、感情そのものが弱まって何も感じられなくなるのは辛い。冷えた指先は具体であるとともに比喩でもある。

「赤ちゃんが乗っています」という黒い軽が果敢にコーナー攻める 田村龍平 赤ちゃんが乗っているなら安全運転と思うが、この黒い軽はそうでもない。軽自動車が「軽」と呼ばれることで人間味を帯びてくる。果敢に突っ込まれて主体は思わずスピードを落としたのだろうか。

ヤングケアラーとなりし鬼太郎がさがしをりまなこ病みたる小さき父を 田中律子 確かに目玉親父は自分で自分を守ることができない。鬼太郎に守られて、知恵を授けて五分五分と思っていたが、ヤングケアラーと捉えると、とたんに鬼太郎の寂しさや苦しさが沁みてくる。
 こういう現代の捉え方で、昔からある話を再解釈するのが好き。埋もれていた普遍の心理をはっきり言語化する行為だと思う。大塚ひかりの古典を読むシリーズも好きだし、テレビアニメの「ハイジ」ではクララが歩けないことが、心に関する問題として描かれていた。この一首にもそうした魅力がある。

愛よりもあさぎまだらの旅程とか聞かせてくれたら続いた道よ 小松岬 愛などという抽象的なことを語る人だった。長距離を飛ぶ蝶の旅程のように具体的な話の方がわくわくする。そんな話ができる人だったら二人の道は続いていたのに。あさぎまだらの姿が重なる回想。

杖つきて歩むあなたのかたへ行く午前十時の光がまぶしい 渡部のぞみ 杖をつきながら歩む夫との朝の散歩を描く。月詠の前半は長い時間を共に過ごした夫婦の静謐な姿を描く。月詠後半はテレビでガザの報道を見ている。聖書から類推した歌などに惹かれた。

アドベントキャンドル一本ずつ消され誰であっても死は一度だけ はなきりんかげろう アドベントカレンダーのようなキャンドルがあるのだろうか。それを一本ずつ消して待っている日付は、死の日の日付だろう。誰にとっても一度だけの死。それは決して逃れられないものだ。

2024.4.7.~10. Twitterより編集再掲


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