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ふたりでいて、ひとりでいられる能力

これはセラピーでも普通の対人関係でも言えると思うんだけど、その人の「健全な」側面を何となく引き出せるような関わりで十分だと思う。

敢えて古傷にさわる必要もない。

でも自分の気持ちは、相手の気持ちをシミュレーションし尽くした上で、率直に(時にはそっと)差し出す。

これはカウンセラーにも言えることだが、
相手の「ほんとうの気持ち」について、
「図星を指そう」
とはしないこと。
せいぜい、
「自分には、何となく、こうなんじゃないかと感じるけど、あくまで私がそう感じたということだから。
異論があれば、いくらでも言ってくれていい」
という形をとること。

時には、念のために、
「何かピンとこないなら、遠慮なくピンとこないと言ってくれていいから」
と言い添えることもある。

寄せようとし過ぎないことですね。
むしろ、
「その通りなんです」
と言われたら、
「それだけ?」
と問いかえすくらいでいいかも。

すると、その人がやはり話したいと思う打ち明け話は、その人が今話してもいいと思う水準で、話し出す時は話し出す。
これが私の(セラピーを含む)対人関係のすべて。

相手から、話を「引き出そう」とすることは、エヴァふうに言えば、相手の ATフィールド の浸食のはじまりであり、相手に対する精神的な「レイプ」のはじまりであり、トラウマ化の危険を生かすことになる。
(このへんは、エヴァンゲリオン という作品はよくできている)

相手と黙って一緒にいても、全然違和感ない関係こそ理想の関係。
実はこれがウィニコット のいう「一人でいられる能力」の真意だとは、著作自体読んでない人は誤解したままのことが多い。
「ふたりでいて、『ひとり』でいられる」能力
なんだよね。

だから、相手といっしょに、ほげーっと何も言わずにTVのバラエティ観ていられる関係なんて、理想的だと思う。

ジェンドリンが統合失調症者との面接で、延々と沈黙しているんだけど、それもまさにこれを生み出そうとしている。

・・・なんか、恋愛対象との対話(かけひき)の指南みたいにもなったきた(^^;)

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