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不純な動機で未熟な自分がみつかる

自分の文章に「スキ」をしてくれた人たちの文章をこっそり見に行った、不純な動機で。
「スキ」のご返杯活動にダケはならぬよう、心から興味を持ったタイトルをクリックし、読んで心が震えた文章に「スキ」をしようと心に決めてこっそり見に行ったら「踊る阿呆に見る阿呆」という日本三大盆踊りの名文句を見つけ、盆踊りの踊り子たる私はその記事をクリックした。
興味を持ったことは確かだが盆踊りに釣られたのだ、じつに不純である。

内容は踊りではあったが盆踊りではなく、身につまされるあの頃の未熟な自分が見つかる文章だった。

親の借金生活のためコロコロと居を変える生活をしていた私は、小学校を4校変わり、同じ学校に2年以上居たことが無い。
いずれまた引っ越しをすると薄々わかっているのでとくに仲の良い友達関係を築いたりもしない、生意気で性格の悪い子供である。

5年生で転校した学校ではクラスメイトに皆とは会話が少々噛み合わない女子がいて、浮いた存在となっていた。
私は彼女に声を掛け、祖母の家に連れて行きよく遊んだ。
思いやりなんかではない。
著者井の中のリクオ氏同様に「わかって」いたのである。

彼女と一緒にいることでクラスの皆がどう反応するかを、私は知っていた。
浮いた彼女と行動していれば私はクラスの仲良しグループに属さなくて済む。
そうやって彼女を利用した小学5年生のゲボ人間、それが私である。

ある日、彼女は普通学級から急に特別支援級に行くことになった。
昭和の学校では「知能テスト」を受けるシステムがあり、その結果は何も知らされずある日突然「特別支援級」に移動になる、そんな事が当たり前にあったのだ。

私は授業中に移動することになった彼女の机を一緒に運んだ。
階段の踊り場で一旦机を地面に置いた時、彼女は「一緒のクラスがいい」と言って泣いた。
その時に私は知ったのである。
彼女自身が、今の今までクラスが変わる事を誰からも知らされていない事実を。

「クラスが変わるのイヤて今すぐ言ったほうがいい」と私は提案した。
言えないなら一緒に担任に言いに戻ろうとも言ったが、彼女は泣きながら首を横に振りこう言った。
「お父さんに怒られるから。先生もお父さんの仲間」
私は何も言えず、ただただ彼女の机を黙って運んだ。
今なら何が言えるかと考えてみたが、何も言葉が浮かばない。
未だに私は未熟な、ゲボ人間だなんて。

知っていてなっちゃんをからかった井の中のリクオ氏と同じように、私には彼女と一緒にフザけていてクラスの皆から笑われた経験がある。
笑われると知っていて私は一緒にいたし、私自身は笑われても傷つかなかった。
井の中のリクオ氏自身はどうなのだろう、なっちゃんと一緒に踊って笑われていることに傷ついたのだろうか。
そしてなっちゃんはどうなのだろう、傷ついていたのだろうか。

私はこの記事を読む今日まで、思いもしなかった。
私が一緒にいることで彼女を傷つけた可能性があること。
彼女と一緒にくだらないことで笑って遊び、そのことを笑われていると知っても何とも思わなかったのは、私だけかもしれない。
彼女はいつも傷つきながら、私といたのかもしれないのだ。

大人になってから私は関西で「崩しの踊り子」として客寄せパンダの役割を買って出ている。
派手に盆踊りを踊り、今年流行りのダンスを振付に取り入れたりして見ている小学生の気を引き、笑われる踊りをやっている。
これも「わかって」やっている。
子供たちに盆踊りに興味を持ってもらうテクニックとしてわざとにやっていることである。
笑われてからが勝負の、笑われてナンボだから。

私には、なっちゃんにとって井の中のリクオ氏が、一緒に笑われてくれる仲間であったように思えてならない。
笑っている小学生がいつの間にか一緒になって盆踊りを踊っている、という夏を私は毎年、経験しているから。

未熟なままでこれからも踊り続ける、せめて笑われるゲボ人間ではいよう。
そう思わせてくれる心震える記事だった。

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