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【史上最強のスナイパー】シモ・ヘイヘの生涯

みなさんは、フィンランドの伝説的スナイパー、シモ・ヘイヘをご存知でしょうか?

シモ・ヘイヘは、漫画『終末のワルキューレ』にも登場する天才スナイパーで、「白い死神」と恐れられました。

1939年にソビエト連邦(ソ連)とフィンランドの間で勃発した冬戦争では、1人で542人を狙撃で殺害するという絶大な戦果を上げ、ソ連軍のみならず世界中を震撼させました。

ちなみに、この542人という殺害人数は史上最多となります。

今回は、そんな最強のスナイパー、シモ・ヘイヘの生涯を解説します。

【生い立ち】

シモ・ヘイヘは、1905年、フィンランドの南東部、現在のロシアとの国境線に近い小さな町に生まれました。

シモ・ヘイヘ(1922年)

ヘイヘは20歳の頃に民兵組織に入隊しますが、その前は猟師兼農民として暮らしていました。

猟師として射撃の精度を培ったヘイヘは数多くの射撃大会に参加し、好成績を収めていました。

1925年、ヘイヘは兵役によりフィンランド陸軍に入隊します。

ここからヘイヘの軍人生活が始まりました。

【冬戦争の勃発】

1939年11月、ソ連がフィンランドに侵攻し、冬戦争が勃発しました。

ソ連軍は兵士45万人、戦車2400両、砲1900門、航空機700機という戦力を誇り、対するフィンランド軍は兵士19万人、戦車30両、砲700門、航空機130機でした。

ソ連とフィンランドには圧倒的な戦力差があり、早晩フィンランドが降伏するだろうと見られていました。

ソ連自身もこの戦力差を背景に実力行使をすれば、フィンランドが和平を求めてくるだろうと考えていました。

ここで冬戦争勃発の経緯を簡単にご説明します。

まず、1939年8月にナチス・ドイツとソ連の間で独ソ不可侵条約が結ばれました。

モスクワで独ソ不可侵条約に調印するソ連外相モロトフ(1939年8月)

もともとドイツとソ連は敵対関係にありましたが、英仏とソ連による挟み撃ちを避けたいドイツと、ドイツの東方拡大を避けたいソ連の思惑が一致し、二国間で不可侵条約が結ばれました。

独ソ不可侵条約の秘密議定書では、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)とフィンランドがソ連の影響下に入ることで合意されました。

これにより、東欧への圧力を強めたソ連は、フィンランドに対して国境線の変更やソ連軍駐留といった強引な要求を行います。

フィンランドがこの要求を拒んだため、ソ連が一方的にフィンランドへの侵攻を始め、戦争となりました。

以上が冬戦争勃発の経緯となります。

余談ですが、ソ連の侵略行為に対して国際社会からは非難の声が上がり、1939年12月にソ連は国際連盟から除名されています。

こうして始まった冬戦争において、ヘイヘは予備役兵長として招集され、故郷に近いコッラー川周辺での任務に就きました(コッラーの戦い)。

ヘイヘの所属する部隊の指揮官は、フランス外国人部隊で戦った経験を持つアールネ・ユーティライネン中尉です。

アールネ・ユーティライネン中尉

ユーティライネン中尉は、射撃成績を勘案してヘイヘを狙撃兵の任務に就かせました。

ここからヘイヘの伝説が始まります。

【“白い死神”】

ヘイヘの身長は152~155cm程度と小柄でしたが、120cmもある銃を手足のように自由に扱ったと言われています。

ヘイヘは狙撃する際、スコープ(望遠照準器)を使用しませんでした。

スコープがない方が装備が軽量となり、加えて、スコープのレンズによる反射光で相手に位置を悟られないためでもありました。

また、白い息が出て相手に居場所を把握されないために、ヘイヘはマイナス40度という極寒のなかでも口に雪を含んで狙撃していました。

ヘイヘの狙撃精度は凄まじく、訓練課程では150mの距離から1分間に16発的中させたと言われています。

300m以内の距離ならほぼ確実に敵兵の頭部を狙撃したとされ、最長で450m以上の距離から敵を狙撃した記録もあります。

300mというのは、地上からあべのハルカス(西日本で一番高いビル)展望台までの距離で、450mというのは地上から東京スカイツリー(日本で一番高い建物)展望回廊までの距離です。

ちなみに、300mの距離から狙撃すると、着弾までに1秒ほどのズレが生じます。1秒あれば狙撃対象もかなり動きます。

また、狙撃の際には風の影響や空気抵抗などを考慮する必要があります。

ヘイヘはそれらを全て先読みして弾を命中させていました。

ヘイヘが殺害した公式確認戦果は542人とされており、これは世界戦史上最多です。

ちなみに、非公式なものも含めると542人より多くの人数を殺害したと言われています。

通常のスナイパーでは10人殺害すると優秀と言われるため、この数字がいかに凄まじいかがわかります。

高精度の狙撃技術で敵兵を次々殺害していく姿を見て、人々はいつからかヘイヘを「白い死神」と呼ぶようになりました。

圧倒的な兵力を誇るソ連軍は、ヘイヘによっていつ狙撃されるわからないという恐怖に陥り、進軍が停止したと言われています。

ヘイヘはサブマシンガンの使い手でもあり、記録では1人で200人以上を殺害し、戦闘があった丘はソ連兵によって「殺戮の丘」と呼ばれるようになりました。

スナイパーは、ピンポイントで狙いを定め、確実に狙撃して敵を殺害していくため、常人では計り知れない精神力が必要です。

同じ体勢でひたすら身を潜め、淡々と作業のように狙撃できる人間がスナイパーに向いています。

ヘイヘはスナイパーとしての資質と最高の狙撃技術を合わせ持つという恐ろしい人物でした。

【カウンタースナイパー】

ソ連軍は、重大な脅威となったヘイヘを排除するべく、ヘイヘを標的としてカウンタースナイパーを配置しました。

軍事大国であるソ連には、剛腕スナイパーがいました。

ヘイヘとソ連のスナイパー対決では、極寒のなか相手の居場所を探すためにお互い身動きひとつせず、数時間腹ばいになるという我慢比べの状態になりました。

その際、最終的に相手のスコープの反射に気づいたヘイヘがソ連のスナイパーを撃ち殺したという逸話が残っています。

しかし、そんな最強スナイパーのヘイヘにも悲劇が訪れます。

1940年3月、ヘイヘはソ連のスナイパーによって顎を撃ち抜かれ、意識不明となりました。

生死を彷徨っていたヘイヘは味方に助けられて病院に搬送され、なんとか一命をとりとめました。

ただし、顎を撃ち抜かれたヘイヘには一生消えない傷が残りました。

ヘイヘが意識を回復したころには、モスクワで講和条約が締結され、冬戦争が終結していました。

ヘイヘやフィンランド軍の活躍により、フィンランドはソ連からの侵略に対して独立を守ることができました。

ソ連の方が戦力で圧倒的に上回っていましたが、戦術ではフィンランドが上回り、戦死者や兵器の損害はソ連の方が多いという結果となりました。

終戦後、ヘイヘは第一級自由十字褒章とコッラー十字章を受勲し、兵長から少尉へと異例の5階級特進を果たしました。

戦死した場合でも2階級特進が慣行となっているため、存命の人物が5階級特進するのは異例中の異例です。

1940年3月に講和が結ばれた冬戦争ですが、1年後の1941年6月には再度戦争が勃発します。これを継続戦争と言います。

冬戦争で重傷を負い、顎に生涯消えない傷を残したヘイヘですが、そんな状態でも継続戦争への参戦を希望したと言われています。

【「最も偉大なフィンランド人」】

冬戦争で傷を負い退役したヘイヘは、猟師や猟犬のブリーダーとして余生を過ごしました。

そして2002年4月、ヘイヘは自らが守ったロシア国境近くの町で亡くなりました。96歳でした。

ヘイヘ死後の2004年、フィンランド国営放送が視聴者投票による「最も偉大なフィンランド人」ランキングを発表し、ヘイヘは全体で74位、軍人としては3位に選出されました。

生まれ故郷の町には「コッラーとシモ・ヘイヘ博物館」が建てられ、偉大な英雄として顕彰されています。

© SeppVei  https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kollaa_museum_at_Rautj%C3%A4rvi.JPG?uselang=ja

以上、“白い死神”としてフィンランドを守った最強のスナイパー、シモ・ヘイヘの生涯について解説しました。

YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇


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