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ベッドサイド ユスリカ


一日の中で “入眠前” にだけ出現する暗雲がある。

まぶたが重く副交感神経が優位になっているはずなのに、
今日あった出来事を振り返り「あぁ、あれで本当に良かったのだろうか」と雑念の戸を叩いてしまう。

今日の失敗、明日の仕事のこと、漠然とした遠い未来のこと。
深い考え事が尽きず、ぼんやりと瞼上に昇るのは、なぜか決まって入眠前だ。

その思考に触れないよう身体を反らせ “無” という字を瞼の中でなぞり、静かに離れていくのを待ってみる。
そのままストンと寝落ちすることが実はほとんどではあるものの、触れてしまった日は目が冴え眠れない夜を過ごすこととなる。


実際どのくらい経っただろうか。
見慣れた部屋の中、家具や電灯の輪郭が徐々にはっきりと見えてきて、こちらは定点カメラになったような気になり、瞬きを忘れるほど天井の一点を見つめていたりする。


ここに眠れない肢体あり。

だいたい1時間くらいだろうと、伏せたスマホを返し、
暗闇に慣れた目を細め、青白く映し出された時刻は既に夜中の3時を回っていた。


エアコンの小さな緑の点ライトが急に気になり背を向ける。
試しに外した枕を抱え、布団の端にある冷たいところに足を出してみる。
足の指間に引っかかるのは布団の長いタグ。
冷えた足を寄せて “失眠穴” のツボを探り押してみるが、どうしても落ち着かない。

バッテンに結んだ口から細いため息。
あらゆる浅知恵も役立たず、布団から這い出て冷えたリビングへひたひたと移動することにした。


空気の流れがない夜の澄み切ったリビングで、足裏の冷たさを尻に感じながらソファーの上で正座し、温めすぎたホットミルクの薄膜をずずずと唇に寄せては返す。
もしかしたら浅い眠りの中で悪い夢を見ていたのかもしれない、そんな気もしていた。

あと数時間で陽が昇ってしまうのかと思うと少し焦りもあったが、目覚めてしまったからには諦めてここで絵を描くことにした。


夕暮れになると西から傾く陽の中を、小さな虫たちが群れを成して飛んでいるのを見るようになった。
ユスリカという虫で、外を歩いていると小さな集団で大きな人間相手に忙しなく頭上を集り、振り払おうともゆらゆら周囲を泳いではまたしつこく寄ってくる残念な虫である。

群れの中へ知らずに突っ込んでしまうと、目や鼻や耳に遠慮なく触れて入り、そのうちの1匹がまつ毛に絡んだ日には声にならない悲鳴をあげ、眉間を叩いて大きく仰ぎ、急いでその場から離れるも、まだ身体に纏わりついているようなむず痒さがしばらく続くこととなる。

子供の頃はアタマ虫などと言って「頭が臭いから集るのか」と変な心配を抱いてたが、大人になってから彼らには “少し高いところを群れで密集し飛ぶ習性” があることを知る。

少し高いところ=だいたい人の頭上あたりなのだろう。

ユスリカは蚊のような見た目ながら人を刺すことも血を吸うこともない。
彼らが群れで飛ぶ所に我々が頭を通過させ、やたらと忌避してきたのかと思うとなんだか申し訳なく可笑しい気持ちになるが、もう少し高いところへ飛ぶように習性を直してあげたい。

常にジャッジ、
ユスリカエリアを通過する時はどうか思い出してほしい。




点と集まるユスリカ。
長い西日とともに流れ込む冷えた空気の中で、彼らが漂う川辺の日没は私の中でインプットされた脆い共感覚になるらしい。

入眠前の傍に漂う暗雲を寄せ集めたのも、遠慮なく触れてしまうのも開放するのも私である。


日の出に向かうこの静かな時間の流れに落ちて、すぅと明快になっていく思考が私の中では忙しい日々に設けられたリブートのようなものだと、覚醒と睡眠が交互に襲われながら、少しだけ肯定的な心を持ち始めた頃、窓の外から朝刊配達のバイクの音が聞こえてきて、また静かなリビングへと意識が戻ってきた。

飲み終えたマグカップの淵に乾いた膜。

人生の 1/3 は睡眠。
そんな概算を出してどうしてくれるんだろう。


この不自由さを許容しながら、朝陽の明るさに沁みながら薄明けの寝室へ潜り、わたしはもう少しだけ眠ることにした。





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