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"本物の答え" は社会の中?自分の中? | マルチメディアアーティスト Léo Allègre & グラフィックデザイナー Miyuki Wagatsuma Interview

インターネットのおかげで
「情報が早い」「すぐに、簡単に調べられる」という状態は、
私たちにとってもはや当たり前の現象だと言っても過言ではない。
それによって、あらゆる方面での効率アップが図られ、
知らなかった世界に繋がり、新たな価値が生まれていることもまた、
紛れもない事実だ。

とても便利であることには申し分無い、非常に有難い!
だけど、そのせいで私たちは何かを失い始めていないだろうか?
あなたが容易に手にしたその「答え」は、
本当にあなたにとっての100%だろうか?

今回は、複数の手法で表現を模索し発表をしている
マルチメディアアーティスト Léo Allègre と、
WEBにも携わるグラフィックデザイナー Miyuki Wagatsuma の
二人を取材。
リアルな場で考えるモノの可能性とその過程、
渡仏を前に振り返るスペース(環境)について聞いた。




Léo Allègre (レオ・アレガー)

フランス、パリの美術学校ボザールを卒業後、日本国内で約9年間活動。
使用する手法は様々で、木彫やレディメイド、映像、パフォーマンスと多岐に渡るが、オブジェクト自体の存在や重さ、そのプロセスを素直に表現する作品展開を行なっている。

我妻 美幸(わがつま みゆき)

東京の文化服装学院を卒業後、グラフィックデザイナーをメインに活動、WEBデザイナーの経験も経ながら現在はフリーランスとして活動。
2022年9月より、Léo と共にフランスへ移住。







0から始める、0から造っていく


Léo は彫刻もやってたと思うけど、普段は「彫刻家」として活動している?

Léo:
色々やってるから、「マルチメディアアーティスト」かな。彫刻は最近全然やってない、学校の時だけ。それぞれの、展示やるよって時で考えるというか。で、なるべく新しいやつ、なるべく新しい作品をいつもやりたいから。だから、プロファイルだと「マルチメディアアーティスト」かなあ。

Miyuki は「WEBデザイナー」として活動している?

Miyuki:
「グラフィックデザイナー」かな、WEBもやり始めてどっちもやってたけど、得意なのはグラフィックかな。

Léo は、日本に来たのは何年前でしたっけ?日本に来たそもそもの理由はアート活動が目的だった?

Léo:
9年前来た。
川俣正(カワマタタダシ)さんっていうアーティストが私の先生だった、パリで、学校の時。そのアーティストが好きだった。結構前から作品を見てて、ずーっと好きだった、(彼の)大きい作品が。この人が僕の先生になって、で、まあ学校終わってから急に日本に行こうって思った。(日本に行く)2週間前に川俣さんに日本に行きますー!と言った。2週間前(笑)。そしたら彼がびっくりして…。
それで、だからなんで行くか(理由は)分からなかった、あまり。でも、多分、その人と仕事は出来そうと思った。で、そうなった(笑) 最初は survive(大変) だったけど、1年くらい。その1年後にはビザもらって、川俣さんと日本のプロジェクト一緒にやった。それでずっと、これ8年前。

自分の名前で本格的に作品を作り始めたのはわりと最近のこと?

Léo:
フランスでもやってたけど…。日本でも、まあフルタイムで仕事が結構忙しくて、4〜5回展示したくらい、9年の中で。ずっとは続けなかった、作品を作るのは。だけど、その4〜5回はいつも毎回違う作品にしてた。これから日本出るから、仕事も辞めて、作品これから始める、ほんとに。自分の。まあ、これから頑張ります。自分の作品のために頑張ります(笑)

"Unit"
(Paris, la Villette 2018)


お互いの活動を見て、影響されること、影響し合っていると感じることは何かある?

Léo:
Miyuki のセンスは、すぐにリスペクトしたよ。…とか、そうゆう話?(笑)

Miyuki:
Yeah, 私や私の仕事が何か影響したか、とか。まあファッションとかはね、私が全部変えてるけど(笑)

Léo:
でも別に、私はもう自分の方向を持ってる。これはもうずっと強い。Miyuki はコミュニケーションでとても良く助けてくれるね、分かりやすくしてくれる。でも作品は、自分で出来るから。マネージャーだったら最高(笑)

Miyuki:
私は、実際にはたぶんそんなに無いけど、自分の中ではあったかな。単純に良いなって思いつつ、ただ私は全然違うマインドというか。Léo は0から造れるタイプ、本当に自分が思ったことを出来るけど、私はそれじゃあんまり分からなくて。カスタマーが居て、とか、私は「こうゆうものが欲しいです」っていう人がいないと出来ないタイプだな、っていう気付きはあったかもしれない。憧れつつある、良いなって思うけど、アーティストを見てると。でもたぶん、私は出来ない仕事だな、と。




未完成の完成、探求、プロセス。"個に触れる" ための表現


Léo の活動だけど、確かに展示によって作品が違うっていうのは見てて思って。オブジェを作ったり、この前はコラージュで魅せてたじゃないですか。1つの物体というか、オブジェに対して、違うアングルや表現のアプローチによって新たな印象になるよね、みたいなことを総合的に表現しているのかなって感じたんだけど…

"Adjustment"
(Tokyo 2017)
"Dimention"
(Tokyo 2020)
"Life is tree"
(Montréal 2012)


Léo:
なんだろう。たぶんデザインとか建築に影響を受けている。よく、色んな人にデザインみたいな作品というコメントをもらうけど、自分としては「アート」。あとは、僕の活動は、コラージュでも何でも、ビデオや、物体が回るとか、彫刻に全て繋がっている。Yes. もっとなんか、例えばインスタグラムで見れるものでもリアルな(大きな)サイズで気付くもの。アイデアに近い。完成した物体じゃなくて、アイデアとか、探求。だから、ペイントもコラージュもただの探求の過程。いつも次に繋がる探求をしてる。完成した作品じゃなくて、ただプロセスを見せている。僕がリアルな場で気付きたい何か。

メインの考えは「何かをする」「何かをしている」ことを考え続けること、やりがいみたいな、そんな感じ。とにかく、何かを投げかけないといけない。時間がたくさんあるわけじゃないからいつもじゃないけど、考える時間があればその分何かをアウトプットする。リアルな場、現実の世界で僕が見たいと思う何かを素直に表現する。ちょっとファンタジーみたいな感じ。
手で動かすことが出来て、さらに想像させてくれるモノで、同じマテリアルでも、どんなマテリアルでも…。なんとなく分かる?

Léo がインスタにコメント付きで投稿していた1枚で、オブジェを捉えることは、人間の思考とか、考えるプロセスと同じだよね、みたいなことを言ってるのかなって思ったんだけど…
人の思考と同じだと言っているように感じたから、人それぞれに意見があって、みんなそれを確定された意見として出すし、そう思ってしまうものだけど、実際はとても繊細なもので、何かの影響、それこそ物やメディアでも何でも、そうゆうものを見て自分の意見が180度変わったりとか、そういうことを言ってるのかな?って思ったんですよね。

From the « dimension » collage séries as research to the real sculpture. But still the sculpture is a process, another research.
Creating has no rest, there is no easy satisfaction. Just like thoughts.
The recent sculptures I made are small formats and easy to manipulate and transform. Just like thoughts.

研究としての「ディメンション」コラージュ作品から、本物の彫刻へ。しかし、彫刻はプロセスであり、また別の研究である。
創造には休息がなく、簡単な満足はない。ちょうど思考のように。
最近作った彫刻は、小さなサイズで、操作しやすく、変形しやすい。ちょうど思考のように。

Léo:
Ahh, hmm, 難しい。ごめん、ちゃんと質問を理解できてるか分からないけど、そうだね、そもそも僕はアート活動や何かに関してストレートな意見は持っていない。ただプロセスを信じてるだけ。僕の考えは、そのプロセスを利用すること。コメントでも書いてたように簡単な満足は無い、ここがキーポイントかも。
最初に何かを表現したとしてもきっと次に向けてどこか変えたくなるし、表現で完全に満足しない。これがプロセス、クリエーションの先にある満足が無い。何かしても、もう次で何かを変えたくなる。たぶんこれが言いたかったこと。

みんなにとってクリアで決定された考え方に僕はストップ出来なくて。すごく個人的なことだと思う。それでも、オブジェ自体は誰でも見たいように見ればいいし。
僕はただ言葉みたいな、ボキャブラリー的なものを見る。例えば、あるオブジェがある方向性か何かを表現して、それが僕にとってボキャブラリーのようなもの。文みたいに、重力、空間、重さのボキャブラリー、もしくはメッセージか何かのトーンとか…。でも僕の作品の完璧な説明は要らないと思う。プロセスを理解しているかどうか、けど、説明するのは難しい。

"Praxis"
(Paris 2013)
本展では、木彫を中心に、鉱物のオブジェやパフォーマンスの映像などを展示します。彫刻の物質的な結果はそれほど重要ではなく、そのプロセスが重要なのです。私は、自分が他の材料の中で材料として働き、エネルギーを発生させることで、何かを生み出すという考え方が好きです。彫刻は、身体全体の動作を彫刻それ自体に超越する可能性を提供し、その時、関係性が現れ、言語も現れるのです。


Léo:
あと、基本的に他の人と話すのに問題を持っている!(笑)いつも自分の意見を説明したり表現する時、誰かに合わせることに苦労する。これは簡単じゃない。アートは、自分の話し方みたいなものがある。全部ボキャブラリーだから。
たくさんのアーティストも同じ問題があると思う。自分の言葉を作るスペースが必要。あと、この言葉は通常の会話と同じじゃない、もっと表現する感じ。でも、これも完全な満足は無い、アートでみんな理解してくれたら良いなと思うから。アートを言葉として、みんな理解するかな?僕がやっていることで理解が出来るかな?って思う。そう。だからこれがメインのトピック。それで僕が表現するものがある。でも僕が表現するものは、みんなが見たいように見るオープンなもので、別に気にしない。何でも、違う意見を聞くのはハッピー。そこからまた次にいく。

なるほど、Léo の作品は言葉っていうことだね。その言葉は私たちが知っている言葉でなく、もっと自由で柔軟な表現方法の一種である、と。

Léo:
Yeah, まさにそうだね。




Result が持つ儚さ、Process が持つ奥ゆかしさ


さっき「インスタグラム」というワードが出たけど、インスタグラムもまたアートワークと同じように、オブジェのような作品として見做せると思いますか?


Léo:
そうだな…、オブジェというよりスペースかな。人が色んなものを表現するためのスペース。あらゆるもののミュージアム。
インスタグラムはすごくランダム。アートだと、アーティストが成長するのに使えるし、定期的に見せれば見せるほどカスタマーベースに出来てとても良いと思う。これは僕はあまりやらない方法だから、あんまり知らないけど、やった方がいいかな?やらない方がいい?分からない。でも、インスタグラムで有名になれるのは事実。言ったように、あまりコミュニケーションは得意じゃないから、頑張ったらインスタグラムで活動を成長させられるかも。
でも正直、インスタグラムワールドよりもっとリアルな場が好きだから。時々すごい見てるけどね(笑)。ムーブメントが見れるから見てる。色んなムーブメントが見れる、インスタグラムで。期待もあるのか、時々何が起きているかチェックしてる、 例えば "アート👍" や "アート👎" で… you know(笑)
色んな種類のアートがインスタグラムにある。何が起きてるかチェックする、でもリアルな世界の方が僕はもっとチャーミングで面白い。リアルな世界でもっと活動を広げたい。もし可能だったらね。理にかなってるし、作品を表現するのにスペースが必要だから。人が成功したりお金を稼ぐのを見れるのはいいことだけど、僕は現実の方がもっとチャーミング。

インスタグラムに2つアカウントあるじゃないですか。サブでやってるのが 『things_and_lights』?アカウントを別けた理由は何かありますか?

Léo:
Yeah, 範囲を決めたり、アートワークでロジカルになってしまうのをいつも心配してる。だから、1つの範囲とまた違う範囲を見せることにした。たぶんサブアカウントの方が違う範囲のものと基本的には考えた。
でも、やっとそこの距離が分かったけど、この2つのアカウントはミックスされてもOK。最初は、メインのアカウントとサブアカウントの内容を融合させることに自信が無かった。でも、サブアカウントももっとこう、lights and things のランダムな写真だから(笑)ある感覚の何もないところの美しさを撮ってて、何でもない、細部とか光。これは僕の探求に影響を与えるもの。リファレンスとか、イメージバンクみたいな感じ。

そしたら、そのサブアカウントも探求の一部ってことか。Léo の言うプロセス、過程が、ある種の作品として成り立つ可能性もあるかもしれないですね。

Léo:
そんな感じ。Yes. あと最近は、位置情報をただ入れて、ただのロケーションナンバーだけど、これも面白いと思う。ナンバーで出来た位置。


Léo の作品は、さっき本人も言ってたけど、リアルなものが多いと思うんですけど。Miyuki がWEB側に立ったとして、それっていわゆるヴァーチャルじゃないですか。リアルなものと、インスタグラムも含む仮想空間上のものとの対比があると思うんですけど、ギャップで気付くことは何かありますか?そんなに影響されてなさそうだったから、あんまり無いかもしれないけど(笑)

Miyuki:
どうかな、私たぶんWEBに行ったのは、なんかもう、作るのに疲れちゃったみたいなとこがあって。グラフィックと本とかを作ってたから。それを作り続けて疲れたからもう作りたくないし、WEBが良いなと思ってはいつつ。
ただWEBってすごい流れも早いし、デザインというよりはもっと機能とか、そっちの面を知らないといけなくて。っていうので、なんかどっちつかずというか。やっぱグラフィックが良いなってなったりもして。

で、Léo は「もの」を作ってるから、それを良いなと思いつつ、でももし自分がアーティストになって大量にものを作るとしたらちょっと出来ないなって思うこともある。どっちも良い面はあって、自分の中でも葛藤してるみたいな。作ってる人はすごいし、作りたいとは思うけど、作りすぎるのは嫌だなとか。
物を持ちたくない派でサステナブルなことをしたいと思ってWEBに行ったけど、自分が何かサステナブルなことをしているっていう実感がなく、WEBデザインになっちゃって。そこもちょっと葛藤があるっていうか。アーティストは直に、自分が出してダイレクトにお客さんから返ってくるみたいなところもあるし、それは良いなと思う。


Léo Allègre Website - Designed by Miyuki Wagatsuma


色んな人に見てもらえる反面、リアルな場は少ないよね。
Léo も、例えば作品を自分で回して見てみたりとかってさっき言ってたし、リアルな物体は違う面も見ることが可能だけど、WEBとかヴァーチャルって表に出ている一面しかないじゃない。だからこそ流れが早いのか、ちょっと分からないけど、そうゆうのもあるのかな。リアルなものが良いって思う理由として…

Miyuki:
もちろん、それはあるかな。なんか、前はものづくりしすぎるの嫌だなと思いつつ、やっぱり紙になって出てきて、それを手に取って、みたいな工程を含め良いなって思うし。WEBはやっぱりそれが無いし。うん、早いものだからね、表面的になっちゃう。あと、残らないし、すぐ消えちゃうっていうのも。消えていって忘れ去られてしまうっていうか。

Léo:
うん、インパクトは無くなるね。

Miyuki:
やっぱり今でも、本を読むのもWEBで良いっていう人もいるけど、私はどっちかと言うと紙じゃないとなんか頭に入ってこないというか。何かの工程を経てじゃないと、ねえ、なかなかインパクトにならないと言うか。インスタで見る1枚の写真より、美術館で見る同じ写真の方がインパクトあるし。

それも Léo が言っているプロセスと同じなのかもしれないね。紙を触る工程自体がそこに繋がってるとか。

Miyuki:
そうだね、プロセス、大事なのかな。Result(結果)だけ見ても、最終面だけ見ても、ね。確かに。




「自分」をフェードアウトさせていく東京


キャンプとか登山とか、よく行ってたよね。自然と触れ合うみたいなところから創作活動に繋がる何か、あったりしますか?単純に好きっていうのもあると思うんですけど。



Miyuki:
息抜きかな、私はどっちかと言うと。それが無いと、息が詰まっちゃうっていうか。田舎で生まれたのもあるから、ずーっと都会にいると、なんか頭がずーっと働いて。最近もちょっと、忙しくしてるとクリエイティブな頭が働かないというか。

Léo:
すごく忙しくて、あと東京ってなんか…個性が消えていく気がして、個人的に、大きな街だとクリエティビティは消えていくと感じる。東京で自分が消える、時々。なんていうか…。
だから、キャンプとか自然の体験を一緒にシェアできたのは良いこと。大きな息抜き。

Miyuki:
脳内にスペースを作れるよね、なんか。
たぶん、余白を作るみたいな感じかな。それがあると、ちょっとクリエイティブなこと考えるスペースが出来る。私はそんな感じかな。
東京にいると、情報がいっぱい入ってきて。その、自分がこれを作りたい!とかじゃなくて、この人がやってるから、とか。色々なところから影響を受けて、それを通した私のやりたいこと、みたいな。(そうゆう風)になりがち、たぶんそうならない人もいるんだろうけど。私の場合はたぶん、そうゆう余白、考える時間というか、それが無いとなかなか休まらないかな。

Léo:
まあ、自然はリアルなパワー、それは絶対そうだね。これ言うとかなりステレオタイプかもしれないけど、本当にそう。日本の企業で働いてたけど、それは東京だけじゃなかった。日本の田舎の方とか、東京じゃない色んなところにフィールドがあった。
その時はすごいなんか、みんなと一緒に仕事してるペースが全然違くて、色々なアイデアすごいみんな出してる。東京に戻ったら、そんな感じにならない。東京に戻ると、また無くなる、私は(笑)だから仕事辞めた(笑)ペースがまた違う。もうちょっとゆっくりが良い。


"Up cycle"
(Tokyo 2019)
私たちは、人間の生命の時間軸の中で、常に物を作り、そして壊しています。「アップサイクル」は、新しい方法で再び作るために、意図的にオブジェクト、人工物を破壊する方法です。その瞬間は一種の儀式となり、象徴的に時間を止めることができる特別な瞬間となります。物事のカオスには、固有の美しさと魅力があります。この進行中のプロジェクトは、日本の東北地方で生まれました。この地域は、2011年の津波で一部が破壊されました。そこで私は、地面に落ちているカップの破片を見つけました。それは、時間の証であり、過ぎ去った人生の証のように私には思えました。それは発見されるべくして発見されたのです。このプロジェクトは進行中です。それは、人生の持続的なプロジェクトです。


これからフランスに行くと思うんですけど、フランス移住を決めたきっかけはありますか? Léo の母国だからっていうのはあると思うんですけど。

Miyuki:
何でかな。それ、私は、二人がずっと一緒にいるうえで Léo は日本に住んだことがある、だけだと私はフランスを知らなくて、何だろうね、分かり合えないこともあるし。で、Léo も東京に疲れてたから、じゃ1回フランスに住んでみて、どっちが良いか決めよう、って感じかな。

Léo:
まあ、やっぱりフランスにはちょっと帰りたい(笑)だけど、ずーっとか分かんない、まだね。

フランスに移住した後は、二人は仕事とかはどうするんですか?

Miyuki:
まだ決めてないね。私はとりあえず、日本の企業をネットで探して、WEBで出来ることをするかな?って感じかな。

Léo:
私はもうフランスにいないと…。仕事を見つけるのは絶対問題ないけど、方法はどうするか。フランスにいないと、ちょっと決められない、今は。向こうで決めると思う。

Miyuki:
良いきっかけ、良いチャンスだね。

Léo:
うん、何とかなる!(笑)




Q |  "本物の答え" は社会の中?自分の中?

情報を追い求め、必要なものは情報による「答え」だと、答えだけをすぐに求めるようになってしまった。 結果だけを気にして、私たちはいつから "本当に考える" ことを疎かにしてしまったのだろう。

例えば、メディアによって作り上げられた "人物像" や "社会的価値観" を、本当の自分と照らし合わせることなく、そのまま、無意識に、自分の基準として持ち合わせてしまっていないだろうか。
例えば、世間で語られる物語に感銘を受け憧れるばかりで、そこでは言及されていない、本当は大切な別の物語を強制的に無視してしまっていないだろうか。
例えば、誰かとやりとりをする時でさえも、その人から発せられたものだけで捉え、見た目だけで表面的に判断し、故意にジャッジしていないだろうか。

あるものの内側にある経緯、本質、理由。 趣と奥ゆかしさ、そして過程を汲み取ることも、私たちはいつの間にか苦手になってしまったのかもしれない。
世界は「0か、100」の物差しで浸透し続けるけど、そんな風に物事を判断できるような簡単な世界に私たちは生きているのだろうか。

リアルの場で何かに向き合って考える、頭を使う。
その「答え」は本当に自分が出した答えなのか、その答えに至るまでに自分が選択したプロセスはどんなものだったのか。 見落として取るに足らない、でもなぜか大切にしたい柔らかな感情や意見は無いか。
一度立ち止まり、「答え」へ向かうプロセスに改めて向き合ってみよう。もしかしたら、何かに惑わされていただけで、あなたの「本当の答え」はまだ見つかっていないのかもしれない。
結果、途中で止まってしまっても良い。
時間をかけて理解することが、物事の更なる解釈となり、同時に自分を再認識することに繋がるのではないだろうか。

想像してみよう、あなたらしいやり方を創造しよう。あなたの「声」を #ChirudaVoice で聞かせて。


Recorded 2022.08.29
Interviewer : Haruko Kubo (CHIRUDA)
Editor : Haruko Kubo (CHIRUDA)

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