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どうしよう…解離でEMDRが実施できない!?

トラウマ治療の準備…。


トラウマ治療初回の様子ときて…。


いよいよ初めてEMDRを実施してもらったはずが…。実はそのときの私は、EMDRを実施できる状態ではありませんでした。

※EMDRとはなんぞや?については、こちらの記事に書きました。



1.「解離」の有無は、前もって確認されたけど

残念ながら、EMDRは誰にでもできる治療ではありません。実施する前には、目の前のクライアントが「実施できない人」に当たるかどうかの確認をします。
たとえば「解離症状」がないことも、EMDRを実施できる条件です。

実際、臨床心理士の先生も「私に解離があるかどうか」を入念に確認していました。

「自分のことを上から見ているような感覚があるか」等、解離症状があれば思い当たるであろうことをいくつか聞かれました。
しかし、当時の私は一つも思い当たることがありませんでした。

臨床心理士の先生からは、
「本当に思い当たるものはありませんか?
 あなたほどの虐待に遭っていれば、解離があっても不思議ではないんだけど…」

と念押しされましたが、私にはピンと来ないものばかりでした。

私はあまりにも自然に「解離がある自分」として生きてきました。だから「症状」として自覚することができなかったんだと思います。

先生からは、
「では解離はないものとして実施しますが、あると判断した場合は一旦止めるということで良いですね」
と確認の言葉がありました。
先生は長年の臨床経験から、おそらく初回面接の時点で私がバリバリの解離ありのクライアントだと気づいていたのだと思います。

当の私は、先生慎重だな…というくらいにしか思っていませんでした。


2.「本当は解離があった私」の初EMDR

さて、記念すべき私の初EMDRの実際です。

①私から、何の記憶を扱いたいかを簡潔に伝える。
②その記憶を浮かべると、自分についてどう感じるか。また、自分をどう思えるようになったら良いかを答える。
③私がその記憶を思い出したときの耐えがたさが10段階中どれくらいかを伝える。
④イメージを浮かべながら、左右に動く光を目で追いかける。
(イメージはどんどん変化したり、思わぬことに気づいたり…毎回発見がありました)
⑤記憶を思い出したときの耐え難さが10段階中どのくらいかを再確認。(治療に効果があったかどうかの再評価)


(EMDRで眼球を左右に動かすときには、治療者の指を左右に動かすときもあれば、光が左右に動いていく機械を使うときもあります。
一度、先生が私の両膝を交互にタッチした《目線ではなく感覚を左右移動させる》こともありました。)

と進んでいきました。
ちなみに何の記憶を扱おうとしたのかは、覚えていません…。
なぜかと言うとイメージを浮かべても、年代もエピソードの種類もバラバラな記憶のイメージが、パッ、パッと入れ替わりつづけて、一つの記憶を処理するどころではなかったからです。

臨床心理士の先生の私のその様子から、解離があると確信したようでした。
(EMDR中は、適宜何がありますか?(イメージ)」という問いかけはあります。クライアントは簡潔に答えます。)


また、実施後に私の苦痛の度合いがまったく下がらなかったことから、先生からは
「今のあなたの状態では、EMDRが効かないし、解離はやっぱりあるので、できる状態ではありません。他の治療をしていきましょう」
と言われてしまいました。


3.おそらく「自我状態」会議が紛糾してたのだ…。

今の私であれば「ああ、これ解離だったんだな。」と分かります。
私の中のいろんな自我状態(パーツ)が「これ扱ってよー」とパーツごとに抱えた記憶を持って殺到していたのでしょう。

そして、それぞれのパーツの交流ができていないのも問題でした。
自分(それぞれよパーツ)の記憶の記憶を先に扱って欲しい、とか、私はその記憶怖いからやめてほしいとか、自我状態たちの会議が紛糾して収拾つかなくなっている…おそらく、そんな状態だったのだと思います。

実際に、ある記憶を処理したいパーツと、その記憶が怖くてたまらないパーツがいるという状態も、EMDRができるようになってから経験しました。

でも、その時の私にとってはEMDRができないことがとにかく悔しかったです。解離症状があること自体、自分が一連のトラウマに負けてしまったように思えて、受け入れがたかった…。

でも「解離症状」に教えられたこともありました。つぎのnoteは、その話を書くつもりです。

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