私のいたキリスト教会での、精神疾患への偏見

私は結局、大学卒業後は親の態度が軟化したのもあり、実家へ帰ることになりました。

(我ながら親相手に、あなたに虐待されていたとぶちあげといて、情けないです。
ただ無理やり家を出ていたら、今ごろホームレスだったかもしれません。このnoteは1人の情けないキリスト教2世の話にすぎませんのでね…)

調子がある程度良くなった後は、ボランティアしたり資格の勉強をして…。
本当に世の虐待サバイバーや宗教2世の中では恵まれていたと思います。

私の自我は、親と暮らすと自動的に眠りにつく仕様になっており、大学時代ほど親と揉めることはなかったです。
(私が同じ教会での交際話を断って、教会行かなくなったあとは、母大荒れでしたが…。
 それはまた、少し先の話です。)


1.心を病む教会2世に対する、司祭のことば

ただ親に養われている関係で、教会に行くことは断れず、律儀に礼拝には出ていました。
私自身、神に疑問を持ちながらも「神様に心を治していただかなければ」と思い込んでいましたからね。

あたたかい声を掛けてくれる教会の人たちも沢山いましたが、
(母の肩を持った人たちだけどね…)
やはり偏見を持っている人はいて、しんどい思いもしました。

中でも酷かったのは、教会の司祭です。
私が教会に行くたびに、私が病気なのを知りながら、
「あなた、何をしてるんですか?若い時はあっという間ですよ」
ときつい調子で根掘り葉掘り詰問してきました。

私は母にも「あれだと返って負担だから、教会に行きたくない」と話しました。
しかし母は通常営業。
「働かないあんたがおかしいんだから、そう言われるのも仕方ないでしょ?」
と言ってきました。

極め付けは司祭が多くの信徒をまえに言っていたことばです。母によると、
「今の子は弱いから、すぐに死ぬ」
と言ったのだそうです。
(この発言は、メンタルの調子を崩す教会2世が少なくなかったのと関係しています。すごく多いわけではないけど、世間一般よりは割合として多い…)

私は幸いその場にはいませんでしたが、そこにはお子さんを自死で亡くした信徒もいたそうです…。
(これをわざわざ私に伝えてくる母も異常だよね…)

2.聖書にある「憐れみの対象」には優しいのに、精神疾患で苦しむ若い人には厳しい人たち

それ以外にも、私自身、とある年配男性信徒から社会経験を積めなかったことを責められたことがあります。

また母が私に対して、
「あんたのせいで、私はいろんな人たちから舐められてる!」
と怒鳴ってきたこともあったので、母にとって一番依存している教会でも何か言ってくる人はいたんでしょうね。

他にも私が動けなくなる前に転籍していかれた方で、やはりメンタルを病んで働けない人を攻撃していた信徒もいたそうです。その人、ホームレスの支援は熱心にしていたそうなんですけどね…。

聖書にある「貧しい人」には親切にできても、聖書の時代に想定されていなかった苦しみには心を寄せることができないということなのでしょうね。人間の共感力とか、自分とは異なる立場の人のことを想像する力って、なんのためにあるんでしょうか…。

3.信仰があっても、偏見から自由になれるわけではないということ

私が今日書いてきたことは、結局「悪口」なのかもしれません。ただ私自身の経験を通して分かったことがあります。
それは、信仰があっても、神学を学んでも、その人が持っている偏見から自動的に自由になれるわけではないと言うことです。

クリスチャンの場合、「自分たちは世の中の人たちよりも親切だし、差別や偏見からは自由なはず
だ」という思い込み
が強いから厄介です。

そうなると、自分たちのなかにある一昔前の価値観(偏見、メンタル疾患への差別)に、より気づきにくくなります。そして気づきにくいと言うことは、偏見や差別を改めることはもっと難しいということでもあります。

また教会は高齢者が多く、若い人が少ないかすぐいなくなってしまうので、価値観の新陳代謝が起こりにくい場所です。

そうなると意識的に、神学以外のことを学ばないと行けないのだと思います。

信徒からの献金で暮らしているのだから、社会運動に力を入れている時間があるんだったら、メンタル疾患や虐待のことについて、司祭や信徒の再教育なり研修なりに力を入れてほしいです。

X(Twitter)を見ていると、私が教会に通っていた頃よりも、メンタルで苦しんでいる人が教会には増えているのではないかという印象を受けます。
もちろんXで見かける人たちがそのまま教会コミュニティを反映しているわけではないけれど、私が言いたいのは、自分たちの生活を支えてくれている信徒たちの苦悩を理解する努力をしたらどうなのかということなのです。

最低でも、
・メンタル疾患は、心の弱さではなくて"脳"の不具合であること。
(脳も臓器です。脳以外の臓器を病んだ人に、弱い人間だとか言うのか考えてほしいです)
・メンタル疾患は「治療」が必要だということ。
(私は祈りを否定しません。でも「祈れば治る」は時として患者を追い詰めるし、適切な医療につながれなくなる危険もあります)
は理解してほしいなと…。
 
キリスト教を離れた人間だからこそ言えることを、今日はつらつらと描きました。

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