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キリスト教2世の私が、イスラエルやイスラームを問い直したきっかけ【大学篇】


今日の記事は、ひとつ前の記事のつづきです。
その記事でも書いたように、私はキリスト教2世てして育ちました。

そして尊敬していた司祭の影響で、エルサレムやユダヤ人を特別な人たちとしてとらえていました
エルサレムは当時の私にとって、バチカンと並んで是非訪れたい聖地でした。
(その司祭の人間性は、キリスト教を離れた今でも嫌いではないです。)

その後、高校大学で学ぶことでそうした前提が崩れたり、自分のベースだったキリスト教や、同じ神を信じるイスラームについても捉え直すようになっていきます…。

前の記事で書きましたが、私は高校の世界史の授業で、キリスト教徒やキリスト教国がそれまでやってきたことを知ることになりました。

さらに9.11イラク戦争が起こり、キリスト教とは…イスラームとは、一体なんなのだろう。「良いもの」なのだろうかと悩むようになりました。


※その時の話は、こちらに書きました。
↓↓↓
【キリスト教2世の私が、イスラエルやイスラームを問い直したきっかけ高校篇】


さて大学に入学した私は、イスラームについて知りたいと思うようになりました。そして大学に進学した(それに伴い上京した)ことで、そうした機会は訪れました。

そしてイスラームについて考えることは、パレスチナでアラブ系の人たちを圧迫(今はガザ侵攻で大虐殺をしている)している、イスラエルという国についても考えることにもなりました。


4.イスラエルについて考え直すきっかけをくださった方々のこと

私がイスラエルについて考えるきっかけをくださったのは、いずれもイスラム圏に詳しい方でした。


4-1.カメラマン郡山総一郎さんの講演

一人目は、イラク日本人人質事件(2004年)で拘束された、元自衛官でフォトジャーナリストの郡山総一郎さんです。
大学時代の友人が郡山総一郎さんの講演に誘ってくれ、一緒に聞きにいきました。確か、どこかの新聞社主催だったと思います。

郡山さんは講演の中で、取材をしたパレスチナ自治区の話をしました。
「(パレスチナ自治区。ガザだったかもしれない)地域のあちこちに(イスラエル側の)検問があるんですよ。
もうすぐ子供が生まれる妊婦さんが検問を通してもらえず、その場で赤ちゃんが生まれてしまったこともあった。これが占領ってことです。」

その時以来、今でもこの話が離れないのです。


4-2.イスラーム研究者だった教授のことば

私は大学時代、自分が育ったキリスト教よりもイスラムに興味を持ちました。
そこでイスラームについての少人数授業を受けたこともあり、専攻ではなかったけど(信仰的な意味ではなく)影響を受けたのは事実です。

断食月も、日没以降はふだん以上にご馳走を食べていることも初めて知りました…。
(先生、こんな学生で申し訳ない…)
先生は専門家だけあって、中東のあちこちにも行かれていてそんな話を聴くのも楽しかったです。

私はそこで、キリスト教育ちの血がうずいてしまい…。
「そういえば先生、イスラエルは行ったことがありますか?」
「あるよ」
「実際行かれてみて、どうでした?」

このときの私は、信仰を背景としない人がイスラエルという国で何を感じるのかに興味を持ちました。そして、先生の答えにはっとしました。

「何も関係ない人が観光で行くには良いところなんじゃないかな。先進国だし、風光明媚だし。
ただ私はイスラームの研究者だから。イスラエルに行くと、アラブ人がいじめられているのを見るのがつらいんだ」

私はもちろんイスラエルに行ったことは一度もないし、今後も行く機会はないと思います。
ただ私は、何を分かった気になっていたんだろうと。私が聞いてきたものは、色々ファンタジーだったんじゃないか…。

郡山さんや教授の話から、そんなことを思うようになりました。
とはいえ、その後の私が親イスラーム的な人間になるかというと、そうは単純に行かず…。


5.イスラームのとらえかたも分からなくなったこと 

5-1.「悪魔の詩」事件を知って…

郡山さんや教授の話から、私の脳内では、
「キリスト教徒、ユダヤ教徒=虐げる人」
「イスラーム=虐げられてる人」
みたいな構図ができあがってました。そんな単純なものでないことは忘れないようにしないとなと思いながら…。

とは言え私はまた別の場所で、「『悪魔の詩』訳者殺害事件」というものを知ることになります。
1991年に筑波大学の助教授が殺された事件で、犯人は捕まらないまま時効が成立しました。

「悪魔の詩」はイギリスの作家サルマン・ラシュディが書いた小説で、ムハンマドを揶揄していたそうです。
イスラーム世界はこの小説に反発し、当時のイラン最高指導者ホメイニが、作者の死を求めました。実際ラシュディは何度も暗殺未遂に遭い、筑波大学の助教授も、小説を訳しただけで殺されてしまったという事件です。

事件そのものもですが、一国のイスラム指導者が宗教上の理由で殺人を求めたことが衝撃的でした。大半の人がそんなことをしないことは私も理解しているつもりだけど、それでも…。

(理屈があやふやだけど)イスラームに限らず、一神教宗教特有の危うい面はあるのかなと考えさせられました。

またこんな事件が起きてしまっては、イスラーム研究者もイスラームについての負の面を論じることはできなくなるのではないかと、少し心配になりました。
やはり、イスラームの女性たちのことは気がかりなので…。


5-2.フランスで公共の場で、顔を覆うものが禁止された時に思ったこと…

2011年、フランスでは公共の場で「顔を覆うもの」を身につけることが禁止されました。

その当時交流のあったイスラムの友人からは、
「スカーフをつけるな、なんて、イスラームの女性には『裸で歩け』と言っているようなものなのに…」
という憤りのメールが来ていました。

正直その感覚をそのまま理解することはできませんでしたし、なんと返信をすれば良いのかも分からずにいました。
ただ私はフランスでデモをしているイスラーム女性を見ながら、すごくお節介ながらも、ぼんやり考えていたことがありました。

「この中にいる女性たちの全員が、心の底からスカーフを被りたいと思っているのだろうか」と…。
フランスにいるイスラーム女性の多くが、おそらく移民です。たぶん彼女たちは、移民のコミュニティの中をメインに生きていくことになる。

フランスの中の、メインでなく閉じられたコミュニティで、そこに宗教の同調圧力もあって、
「私はスカーフを被りたくありません」
と言える人がいるだろうかと…。

私がこんなことを考えてしまったのは、私自身が日本で少数派であるキリスト教コミュニティで育ったからです。ちょうどこの時期、私の年齢やタイミング的なこともあり、「親の宗教」のしがらみを最高潮に感じていました。

親の望むようなクリスチャン同士の結婚はしたくないやら、クリスチャン以外と結婚しても親の宗教を立てる形は取らなきゃいけないやらで…。

社会のメインでない文化の中で育って生きることで感じる、コミュニティの圧というものを意識するようになっていました。
どんな文化の中であれ、みんなが同じ感覚でいる訳はなく、デモの女性たちを見ながらあれこれ想像していました。


そんなこんなで、いろんな人の話を聞いて、いろんなことをゆらゆら考え続け…。
結局、結論は「分からない」のです。

ただ、本当は一神教に限らないのかもしれませんが、愛や施しを歌いながらも、
「尊重しなければいけない人間」と「尊重しなくていい人間(酷い場合は、殺しても良い人間)」が宗教で定められる世界観を、私は受け入れたくはありません。


と言いつつ私は、「分からない」「分からない」と言いながら、いろんな人の話を聞いてその都度揺れて、間違ってると思ったら謝って生きていきたいです。
それがキリスト教という絶対的な価値観に染められて育った私ができることかなと思います。


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