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2024.05.08 ストリートスナップ 渋谷~新宿

最近、街でカメラを持っている人を見かける機会が多くて嬉しい。だいたいは観光客だけれど、各々が気に入っているらしいカメラをぶら下げて東京を歩いている姿を見るのは感涙ものです。日本人もセコセコとコンデジばっか買ってないでレンズ交換式を買いなさい。実はカメラはデカければデカいほど、善い。この苛烈な資本主義社会でデカさを競わないで何を競うのか。謙虚さは時にナメられへと誘われる。この日、ぼくはPENTAX 645Zを使っている人を見た。負けた!と思った。645Zの圧倒的なデカさに恐れ入った。「ヘイ、メーン。ダイドーワナビーにはコンデジがお似合いダゼ」、そう言われているような気分である。

デカいカメラを扱うということは、相応の覚悟があるということだ。つまり、写真を撮るということは時を閉じ込めるということだからだ。永遠に留まることのない宇宙の時の一部を写真に収めるなんて、実は止事無い経験なのである。そして写真を見るという行為は宇宙に見られるということでもある。お気楽で撮りたい気持ちも分かるけれど、<私>だけが捕らえた宇宙をもっと大事にしてみませんか。

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