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(戯)下一ケタ

初めにおことわりしておきますが、私は学校で勉強を教えてくれた方々を教師とは思っていましたが、恩師と思ったことは一度もありません。

かく言う私が、いやいや入った滑り止めの大学で教職課程を取り、教員のライセンスを目指していたことは内緒です。でも、それもぶった切りました。

なぜ教職課程を放り投げたのか、理由は明白です。教育実習先が母校だったからです。

卒業から4年、母校には勉強をこの灰色の脳味噌に詰め込んでくれた教師がまだ、教壇に立っていることでしょう。

それらが今度は同僚になるのです。信じられますか?「手間のかかる生徒だったなぁ(笑)」などの皮肉を言われるのです。

我慢なりません。

それからもう一つ。母校は共学でした。教育実習生は男女問わず、生徒にからかわれます。青臭い餓鬼どもに翻弄されるのです。

ま、ガラじゃないといいますか。しかし後年、塾講師をやりましたから、教えること自体は満更嫌いでもないようです。(子供は、こちらは何とも思ってませんが、あちらから近寄ってきます)。

そんな「先生」の中に気になる人物がいました。私のフルネームと下1ケタ(?)だけ違う名前の人。

全く授業で教わったことがなかったので、顔と名前しか知りませんでしたが、武闘派という訳ではないが、厳格で名の通ったオヤジでした。

ま、今は生きてないお年頃でしょう。

私が高校2年、修学旅行で、私達の隣の旅館の女子高生が窓からこちらに手を振ってたのを思い出しながら、また「色気付きやがって!!」と布団の中で一人憤慨しておりましたところ、たこ部屋みたいな旅館の中で、同級生達はいつまでも起きておりました。

テレビをつけて、そろそろ11PMだ、TONIGHTだと言っています。

はよ寝ろ、餓鬼ども。
私は布団を被りました。その時、件の狂師のガサ入れがあったのです。

とっさにテレビに一番近い奴が消しますが、時すでに遅し。
「今、起きてた奴は全員廊下に出ろ!」と怒鳴りました。そして一枚一枚布団を剥がしていきます。
私の布団も剥がされました。「おまえも起きていたな!」と凄んでいます。
私は答えました。「ああ?起こすんじゃねーよ!おりゃ寝てんだよ。」
「問答無用!連帯責任だ!」
なにカリカリしてやがんだ、このジジイ!!

私は布団から引っ張り出されました。
その時、ビジョンを見たのです。
この狂師は、先生達の部屋で同僚に莫迦にされていました。麻雀で負けたようです。

私は全くの巻き添えですが、仕方なく廊下に正座しました。それで済むと思ったからです。
珍しく(つづく)

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