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AIは猫にとって理想の家族となり得るか?第10話

《天才という生き物》


 母の持論によると、この世には大きく二種類の人間がいる。

 天才と呼ばれる、一握りの人間。それに仕える、頭の悪い人間。貴方は選ばれた一握りの人間。その頭脳で人を導く存在なのよ、と。

 くだらない。咲希は、母が大嫌いだ。

 咲希にとっての親とは、世間的に保護が必要な年齢の間だけ存在するもの。咲希と母は確かに遺伝的には親子である。忌々しい事に。

 ただし、咲希は母とは別の女性の胎内で成長した。代理母による出産を経てここに居るのだ。

 咲希には、胎児の頃からの記憶がある。咲希を胎内で育ててくれたのは、優しいママだった。毎日大事にお腹を撫でてくれる、その手の温かさが伝わってくるようだった。

 柔らかい声で話す言葉が日本語では無かった。言葉を喋れるようになった時、日本語であることに違和感を持ったものだ。

 色々調べてみたら、それはロシア語だった。ママが暮らしているのは、ロシアか、その言語圏内。

 咲希にとって一番の夢は、忌々しい母親と縁を切り、二度と追いかけて来られないように完全に遮断出来た状態で、ママに会いに行くこと。本当は、一緒に暮らしたいけれど……。

(ママが、私に会いたいと思ってくれているかどうか、分からないし……)

 直ぐに咲希は、考えを振り落とすように首を振った。可能性だけで否定的になるのは愚かなことだ。

 それよりも、さっさと研究を片付けないと、咲希が母に隠れて自分の資産を持ち始めていることに勘付かれてしまう。

 たいした頭脳も持っていないのに、そういった勘だけは鋭いのだ。

 思い出のママと暮らすにも、母と完全に縁を切るにも、資金がどうしても必要だ。最初は研究成果を勝手に持ち出されて、母は幾つか特許を取得した。それによって生活しているのだ。

 咲希はさっさと母の資産を食い潰してやろうと、わがまま放題に振る舞った。

 海外に移住したい、と持ちかけたのも咲希だ。一応、日本では小学校に通う年齢なのだが、行っても時間の無駄なので直ぐに行くのを止めた。

 その代わり、あらゆる言語を習いたいと持ちかけて、一般的に使いやすい英語とママと語らう為のロシア語を織り交ぜた五カ国語程度を習った。

 その上で、ロシアとは正反対の温暖な国に移住をしたいと持ちかけたり、気紛れに子猫を飼いたいと言ったり、部屋が気に食わないから改装したいと言ったり。あらゆるところでお金を使わせた。

 別に遠慮することは無い。そもそも、咲希が生み出した資金なのだから。母は完全に娘を所有物としか考えていないので、咲希も「名義上必要だが、不可欠では無い法律上の母」を表面的に慕っているフリをしている。本当は、半径五メートル以内に近寄って欲しくないけれど。

(視界に入れたくない、発する音が不快、だね。合法的に消えて欲しいけれど、しぶとそうだし)

 母には、咲希の他にも資金源がある。それは、母の実家である。

 年に一回は挨拶に行くのだが、祖父も祖母も叔父も叔母も不愉快な人達だった。

 祖父は、元政治家でかつては日本の総理大臣を務め、祖母は夫に従順を美徳として自分の考えが無い。祖父の地盤を受け継ぎ、既に総理大臣有力候補と謳われる高慢な叔父、その叔父の支えとなるのが喜びとのたまう、叔母。咲希は実家と呼ぶのも嫌な家に挨拶に行く時、あえて大人の望む大人しい良い子を演じる。

 今はまだ、咲希には奴らを振り切る力が無い。何としても、経済的にも社会的にも力を付けて断ち切らなければ。

(よし。後はあの人に勝手されないようにフェイクを混ぜて……)

 自分以外の人間がアクセスしても、フェイクの研究成果しか開けないようにプログラムを組み直した。

 咲希の得意分野は、OWBの葉加瀬小太郎に近いのだが、母はやたらと地球環境改善の研究を推してくる。

 地球を細分化してパーツと捉え、それぞれの機能を補う機械を作ることなら出来そうだが、現在あるものの機能を回復するための研究はトップシークレット。

 研究の全権を握っているマサキ・A・シュナイダー博士の頭脳こそ、この世で最上のものであろう。

(いったい、どんな考え方でどんな原理で、どうやって気付いたんだろう)

 知的好奇心に突き動かされて様々な資料を調べて回ったが、肝心な所で最高のセキュリティに弾かれてハッキングも出来ない。

 一度だけ研究資料の最深部まで辿り付けそうだと心を弾ませたが、開いたファイルはマサキ博士の家族写真のファイルだった時は腹が立って、皿に山盛りにした唐揚げをやけ食いしたものだ。

 咲希の大事な研究を綺麗にフェイクで隠し終えた頃、扉をノックする音が聞こえた。

「咲希ちゃん。そろそろご飯を食べた方が良いわ。お腹が空いたでしょう?」
「うん、お母さん。良い匂いがするね」
「今日は咲希ちゃんの好きな、ハンバーグよ」
「ふーん。私、ステーキが良かった」

 扉を開いてニコニコ笑っていた母は、その顔色を変えること無く、

「あら、ごめんなさいね。それじゃあ、直ぐにステーキに変えましょう。十分だけ待てるかしら?」
「良いよ。私、その間にチャコと遊ぶから」

 どうせ、母の手作りなどでは無く、ケータリングなのだから気にすることは無い。ゴミになるハンバーグが勿体ない気がするが、小まめに金を吐き出させないと。椅子から立ち上がった咲希は、この間小太郎博士から貰った子猫を探した。

「チャコ~? チャコ、どこ?」
「あの子なら、いつもの部屋にいるでしょう」

 日当たりの良い部屋を一室、子猫用に使っていたのだ。咲希が部屋の扉を開くと、子猫は柔らかいラグの上で横になっていた。

(眠ってるのかな?)

 咲希は退屈凌ぎに直ぐ遊びたかったので、子猫の体に触れると、異変に気付いた。

「冷たい……」

 猫は人より体温が高い。触れると直ぐに分かる温かさが消えている。半開きの口から舌がだらりとはみ出し、固く閉じた目は開かれず……。あんなにふわふわで柔らかかった体がカチカチになっていた。

「うそ……」

 ようやく、咲希は小太郎の言葉を思い出した。普通の猫のように世話をきちんとしなければ、機能停止する、と。だが、母が餌やりなどしてくれていた筈だ。食事さえしていれば、動物は死ぬことなど無いはずなのに……。

「お母さん、お母さん!」
「なぁに?」

 咲希は冷たくなった子猫を、せめて小さいブランケットで包んで抱き上げ、母の元へ走った。

「ねえ、子猫、死んじゃった!」
「あら」

 母は、チラリと子猫を見下ろしただけで、ニコリと笑った。

「不良品だったのね、OWBのくせに役に立たない博士ねぇ、咲希ちゃん」
「は?」
「大丈夫よ、新しい子を買いに行きましょう。まずはご飯を食べてから……」
「そういう事じゃ無い!」

 今までで一番、咲希は母を遠くに感じた。

「そんなにお腹が空いたのね、もっと急がせましょう。待っててね、咲希ちゃん」

 母は、最早子猫を見ることも無く、電話をかけに行ってしまった。
 咲希は、恐ろしくなった。

 母の側に居れば、自分はあのとんでもないものになってしまう。もう、それに近付いている。このままではいけない、直ぐにどうにかしなければ、と。

 咲希は大事な研究データをポシェットに突っ込み、冷たくなった子猫を丁寧にブランケットで包んで大きめのリュックにそっと入れて背負った。昨日まで、元気だったのに。

 そう思いつつ、咲希は昨日、チャコがおもちゃに飛びかからないのを、不満に思っただけだったことに気付いた。きっと、あの時から具合が悪かったのだ。遊ばないなんてつまらない、と興味を失っただけだった……。

(怖い、私、私、どうなっちゃうんだろう……)

 必死で、咲希は母の目をかいくぐってマンションを抜け出し、この間訪ねた真希のマンションを目指して走って行った。


 ゴローは何時も通り午前中の家事を終え、朝の二度寝に入ったチナツが良く寝ているのを確認して、充電に入ろうとしていた。

「うる!」
「チナツさん?」

 二度寝が至福であるのは、人も猫も変わらないらしく、チナツはこの時間帯かなり深く眠るのだが、今日は何故か臨戦体勢で跳ね起きた。落ち着き無く辺りの匂いを嗅いで警戒している。

「セキュリティモード最大出力、完了。サーチスタート」

 猫は非常に優れた聴覚を持っている。

 一説によると素早い動きをするネズミの動きを目では追えない為、鳴き声で居場所や何匹いるか、獲物までの距離が分かるまでに発達したとか。

 音の聞き分けも出来る為、家の者が帰ってきた時には他の足音やエンジン音と聞き分けることも出来るという。そのチナツが、耳をそばだて匂いを嗅ぎ回り警戒しているのだ。何かあったに違い無い。

 ゴローはマンション内のセキュリティシステムと共同で周辺の異変を探った。すると、非常階段の陰から真希の部屋を覗き見ている不審な人影を捉えた。

「……マキ様とチナツさんの安全は、ワタシがお守り致しマス。室内の警備はお任せ致しマス、チナツさん」
「るる!」

 勇ましく鳴いたチナツは、マキの部屋へと向かった。

 ゴローの信任通り、真希の警護を担当してくれるのだろう。ゴローは連動したセキュリティシステムから警備会社へ連絡を入れつつ、ベランダから非常階段へと飛び移った。不審者の背後を取り、優位に立つのだ。

 真希の部屋は十一階建ての九階に当たる。非常階段までの距離は短めとは言え、人ならば目が眩んで飛び移ることなど出来ない。

 だが、ゴローは入念な計算と機体能力把握により出来ると判断出来ればためらいなど生まれない。成功確率が高いと分かれば良いだけのことだ。

 音も無く非常階段の踊り場に着地すると、ゴローは完全消音モードで素早く非常階段から非常扉のノブに手をかける。扉の向こうを赤外線探知モードでスキャンし、不審者が真希の部屋の扉を見ようと身を乗り出した所で扉を開いて素早く動きを制する。

「警告シマス。三十秒以内に、ここから立ち去りなサイ。ワタシは家事専門ロボットデス。ゴキブリを排除する程度の力しかありマセンが、警告に従わなければ排除しマス」

 本格的な警備ロボットほどでは無いが、ゴローには家を守る程度の戦闘能力が搭載されている。ゴキブリを排除する程度、とは指先に搭載された瞬間凍結装置を使用する、と言う事。人用に多少手加減はするが、容赦は無い。

「ま、待って、あの、私……」

 目深にキャップを被って顔を隠していた少女は、先日ここに訪ねて来た咲希だった。

「サキさん。何かご用デスか? 事前連絡が無いようデスが」
「あの、ロボットさん……」
「ワタシは、ゴロー、デス」

 ゴローは真希が「良い加減に適当に」付けてくれたゴローと言う名前を名乗る。

 名前は、ゴローがゴローであると証明し、ゴローは唯一つの機体として存在価値のあるものだと真希が保証してくれているものだ。

 人で言うと、その名を誇りに思っているので、周囲の人々にもそう呼んで欲しいと言う欲求がある。

「ゴロー、さん。あの、博士に連絡を取れる?」
「……確認デス。サキさんは、ワタシに用があったのデスか?」
「うん……」
「ワタシの主人は、マキ様デス。ワタシはマキ様からの命令を最優先シマス」

 遠回しだが、真希以外からの人からの命令には従わない、ということだ。

「じゃ、じゃあ、あの、真希さんに会わせて! お願いします!」
「アナタが安全である保証がありマセン。マキ様との面会は拒否シマス」
「お願いします!」

 一生懸命頭を下げる咲希からは、先日の傲慢さは無かった。だが、それは人の目で見た変化であり、ゴローには真希とチナツに対して無礼な態度をした輩という事実しか記憶されていない。当然、未だ排除対象である。

「面会は拒否されマシタ。速やかに退去してクダサイ」
「か、帰れないの! 家出してきたから!」
「イエデ」

 聞き慣れない単語だったので、ゴローは単語検索を行った。家出とは、主に子供や若者が両親や養育者に断り無く家を出て行くこと。又は、出て行ったまま戻らないこと。成年の場合でも連絡無く行方不明状態となると同様に使用される。

「では、マキ様に確認の上でお母様に連絡致しマス」
「やめて! あの人は私の母親なんかじゃない!」
「イイエ。戸籍上も、遺伝上も、アナタの母親で間違いありマセン」

 ゴローは事実だけを伝えたのだが、懸命に否定していた咲希は……見る間にボロボロと泣き始めた。

「お、おねがい、真希さんに、伝えて……私が博士と連絡を取れるようにして欲しいって……。私は、真希さんに近付かないから、それなら、安全だから……」
「ゴロー、その子を家に入れてあげて」

 静かに歩み寄った真希が、ゴローの警告も聞かずに咲希を招き入れている。

「……畏まりマシタ」

 真希が許すのならば、招き入れるしかない。非力な少女一人、武器らしい武器も持っていない。ゴローは警戒を怠らないが、主人の命令を聞き入れた。

「どうして博士に連絡を取りたいの?」

 リビングのソファに咲希を座らせてから、真希が尋ねると、咲希は背負っていた大きめのリュックを腹側に背負い直して、大事にブランケットで包んだ、冷たくなった子猫ロボットを見せてくれた。

「わ、わたし……ごはん食べていれば、大丈夫だと思って……」
「……ゴロー」
「ハイ。記憶回路にアクセス。完了」

 子猫の外見とは言え、ハカセの作ったロボットであり、ロボット同士は機密保持の必要が無ければ記憶回路を共有出来るのだ。

 ゴローは子猫ロボットの記憶回路を辿った。同時に、真希が望んだのでゴローが解析した画像を真希のスマホに送信する。

 小さな部屋に、ぽつんと座っている。

 食事は、機械的に吐き出される自動給餌器からのみ。
 子猫の部屋には、何でも揃っていた。
 ふわふわの柔らかなベッドも、遊ぶ為の道具も、大きな猫タワーも、潤沢な食事も。
 だが、子猫はそれらに見向きもせず、ずっと外を眺めている。

 毎日、毎日、寝て起きて一応食事をして、また寝て起きて、少し水を飲んで、何日も何日も過ぎたのに、扉は開かれない。トイレも、自動で片付けをしてくれるので週に一回手入れをすれば良いだけのもの。

 子猫はただ、ぼんやりと過ごしていた。ずっと、ひとりぼっちで。

「……子猫さんは、体調を崩していマシタ。極度のストレスで頻尿を起こし、膀胱炎を発症。即時病院へ連れて行かなければ命に関わる状態だったのデス」
「病気? なんで……」
「すでに申し上げマシタが、原因は「ストレス」デス。猫は、ストレスに大変弱い動物デス。極度のストレス状態にさらされると、あらゆる病を発症致しマス。寿命にも影響致しマス」

 ゴローは、チナツもこの状態に置かれていたのだ、と考えた。

 チナツのような甘えん坊が、こんな状態では寂しくてずっと鳴いていたに違い無い。見向きもしないなら、何故一緒に暮らそうと思ったのか。ゴローには理解出来なかった。

「咲希ちゃん。チナツ……貴方の名目上の母親がここに連れてきた猫だけど、あの子も、いずれこうなっていたのよ」

 咲希は、機能停止した子猫ロボットごとリュックを抱きしめた。

「貴方が欲しいと言った子猫でしょう? 構い過ぎて子猫がストレスを受けていたのかと思ったけど……どうして欲しくも無い子猫をねだったりしたの? 博士がロボットをくれなければ……」

 真希は、ゴローを見上げて言い直した。

「貴方は、この子を殺してしまったのよ」

 ビクッと肩を震わせた咲希は、先程と同様に大粒の涙を零して、泣いている。

「イイエ、マキ様。その表現は正しくありマセン。ロボットは死にマセン。機能停止したのデス」
「同じことよ。意思を持って動いているものは、等しく命のあるものと考えて良いのよ。私は、そう思っているわ」

 ゴローは、真希の主張が論理的では無いと理解していた。
 理解していたのに、演算機能が温まる。

 人は、このような状態を何と呼ぶのだろう。声も無く泣いている咲希に、真希は躊躇いながらそっと頭を撫でてやっていた。毎日チナツの頭を撫でているので、手慣れているはずなのに、ぎこちなく不器用だ。

「私もね、偉そうなこと言えないの。私も、チナツを死なせてしまうところだったんだから。それをね、ゴローが助けてくれたのよ」

 真希の心拍数が上昇している。極度の緊張状態にあるようだ。

「貴方は、これから、どうしたい? 私の助けは必要かしら」
「……た、すけて、たすけて、ください……」

 咲希は必死で、母親との確執を話し始めた。

 OWBであるマサキ博士のデータにアクセスした下りは犯罪の可能性があるが、彼女は未成年なので法的処分は保護者に向けられる。

 この場合、ゴローが懸念するべきは真希にその害が及ばないか、日本国憲法を隅々まで確認することのみだ。

「もう、家には帰りたくない、あの人と同じになるの、嫌です、でも、私、もう間に合わないのかも知れない、このままじゃママにも会いに行けない、どうしよう……」

 天才少女として大人びた振る舞いだったが、今は無力な、小さな子供。見守っていたゴローは、二人の側を離れて台所に向かった。

「るるるな~」

 真希の警護をしつつ、ついでに寝ていたらしいチナツがゴローの足音を察知して駆け寄ってきた。

 冷蔵庫を開けると茹でささみや、焼いた鮭のストックがあることを知っているチナツは目を輝かせている。

 が、ゴローが冷蔵庫から出した物は牛乳だった。想定外の物が出て来たので、チナツは不審そうに牛乳パックの匂いを嗅いでいる。

 チナツの動きに注意しながら、ゴローは咲希にミルクココアを、真希にはロイヤルミルクティーを用意した。もう、咲希は要警戒人物では無い。

 主人である真希の身内、妹だ。

 主人の妹が訪ねて来ているのに、おもてなしをしないのは非常識である。ゴローは冷凍庫にストックしている、切って焼けば良い状態のクッキー生地を取り出し、こちらもトースターで焼いて小さな皿に並べて、二人に持って行こうとしていた。

『ゴロー』
「ハカセ。定期充電は予定を変更し、一時間後に……」
『ゴロー、咲希って子にな、伝えてくれ』

 ハカセは真剣な声で、ある提案をしてくれた。それは、確かに今の咲希にとって名案である。だが、ハカセはありありと迷っていた。

『最高の案ではない。でも、選択肢の一つだ』
「畏まりマシタ。サキ様に伝えます」

 あの幼い天才を、身内からすらも守る方法がたった一つ存在している。

 だが、それは完全推奨案では無いのであろう。ゴローには、合理的で良い提案であると判断されるが、咲希にとってのベストでは無いとハカセは感じているようだ。

 咲希が、OWBになる申請を試みること。

 咲希の頭脳は一次審査を簡単に突破するだろう。一次審査を通過した者は、OWBと同じ権利を一時的に獲得する。

 外界との関わりを一切断ち、咲希は母親との面会を拒否し、通信を遮断し、住居を知られずに保護を求めることが出来るのだ。

 同時に、OWBとしての制限を受ける。即ち、軌道に移っての生活が推奨され、地球上で生活することはほとんど無くなってしまう。

 ハカセがOWBとなったのは、十三才の時だったとデータにある。咲希は、まだ九才だ。幼すぎる故に、ハカセは躊躇っているのだろう。十分に自分の道を選択出来る年頃だが、それによって生き方が狭くなることを、ハカセは懸念している。

 果たして、咲希にとって最良の選択とはいかなるものであるのか。それは、AIであるゴローでは判断出来ず、咲希自身が決断しなければならないことだった。


 しおれきってミルクココアを飲む咲希に、真希は何とか力になってあげたいと考えていた。

(この子、放って置いたら私と同じになっちゃうわ……)

 大事な心を忘れて、人に認めて貰うことばかり求めて、結局、誰からも背中を向けられてしまう。

(でも……)

 母が執着する、天才少女だ。少しでも手出しすれば、あの人は容赦無く敵を屠ろうとするだろう。

「マキ様、サキ様、ハカセより提案デス」

 ゴローは、咲希のOWB申請を提案してきた。確かに、それが一番咲希を確実に守れるだろう。

(でも、この子は、ママに会いに行きたいって言っていた……)

 ママとは、おそらくこの子を産んだ代理母のことだろう。

 日本では未だ代理母による出産は認められていないが、認められている国に行って審査を受け、莫大なお金を支払えば可能だ。

 母は何としても天才児を欲していたし、その為ならば手段を問わないだろう。そして、咲希の存在がそれを証明している。

 だが、OWBになってしまえば法律上認められた身内以外と面会することは難しくなる。

 まして、複雑な事情の絡んだ、血の繋がりの無い代理母との面会は間違い無く認められない。

 そこから発生するであろうトラブルに巻き込まれて、英明なる頭脳が失われることを何よりも恐れているからだ。

 今、この地球に暮らす人々は数名の天才の守護によって辛うじて平常通り暮らすことが出来るのだから。

 もしも、最前線で地球環境改善を行っているマサキ博士が失われたら、地球は一週間と持たず壊滅状態に陥ると言われている。

 それほどまでに、地球環境は内部からボロボロなのだ。

 人類を存亡の危機から救う存在であるOWBとなる才能ある少女を助けたいと思う気持ちと……自由を奪うことに対する躊躇いが真希の考えを鈍らせていた。

(まさか自分がこんなことで悩む日が来ると思わなかったな……)

 などと、考えすぎて呑気な現実逃避に走りそうなほどに。

 そもそも、この子が生まれ、天才であったことで真希はあの母親に分別ゴミのようにヒョイとリサイクル代金(学費)を付けて捨てられたのだから。

 その元凶とこうして会う機会があると思っていなかったし、更にはその子を助けたいと思う日が来ようとは予想もしていなかった。

(ゴチャゴチャ考えても仕方ないか)

 凡人である真希には、未来の見通しなどほんの僅か先しか出来ない。

「ゴロー、計算して」
「ハイ、マキ様」
「私の現在の収入で、咲希ちゃんと暮らすことは可能か否か」

 咲希が、驚いたように顔を上げた。そう、迷っていても仕方ない。少なくとも、真希はこの子を守りたいと考えているし、複雑な繋がりを解きほぐせば、たった一人の妹なのだ。

「可能デス。ただし、学費の貯金を推奨しマス」
「ありがとう、さすがに計算が速いわね。そういう訳だから、咲希ちゃんが家で暮らしてくれても構わないわよ。何の伝手も無いけど、ママを探す手伝いもするし、母さんが何か言ってきたら、裁判でも何でもして貴方を守る」

 目を瞬かせている咲希を前に、真希は少々意気込み過ぎたかも知れないと照れくさくて座り直した。

「あのね、その……私、兄弟とかいなかったし、母親とも上手く行って無かったし、色々アレだけどね、あの……」

 上手く気持ちを伝えるのが難しい。真希は言いよどみつつ、一番の本心を伝えることにした。

「私が、咲希ちゃんと一緒に暮らしたいなぁって、思ったんだけど……どうかな?」
「うるなん?」

 タイミング良く、真希の膝に飛び乗ったチナツも、小首を傾げて咲希に問いかけていた。まるで、『どうする?』と問いかけるように。チナツとしては、普通に知っている匂いの人だから見に来ただけかも知れないが。

「ごめんなさい……」

 やっぱり、昨日今日会ったばかりの自分では駄目か、と真希がため息をついたところで、咲希はぽろぽろ涙を零しながら、

「猫ちゃんのこと、可愛く無いとか言ってごめんなさい」

 懸念と全く違うところで謝られて、真希は「そこ?」と思ってしまった。だが、咲希にとっては一番気にしていたところのようだ。

「本当は、凄く……可愛くなってて……」

 一瞬、同じ猫だとは分からなかったと、咲希は呟いた。

「家に居た頃は違ったの……」

 チナツは、咲希の家に居た時は遠くからオドオド様子を見るだけだったという。全然懐かなくて可愛く無いからいらない、と咲希は言い、母はそれに応えてチナツを真希の所に勝手に置いていった。

「ごめんなさい……」

 ぎゅ、と咲希は冷たくなったロボットの子猫を抱きしめた。何時もなら、口出ししてきそうなハカセが提案だけして沈黙を守っている。

 この場は、真希と咲希が二人で考えるべき問題なのだろう。ゴローもまた、沈黙を守った。

「るなーぁ」

 頑なに固まる咲希の膝に、チナツがそっと前足を乗せた。

「え? なになに?」

 戸惑う姿が、真希にそっくりだった。咲希は、間違い無く真希の妹なのだ。

「抱っこしてあげてクダサイ。チナツさんは、抱っこが好きなのデス」
「え、今?」

 当然、猫は空気など読まない。だが、ゴローは逆の説を立てていた。
 チナツは、人が言う所の空気が読める猫である。

 何故なら、彼女は賢く、優しく、気高い心を有した、超一流の猫だからだ。

 空気を読み、チナツは落ち込む咲希に寄り添う選択をしたのだ。

 咲希は、そっとチナツを抱き上げた。ぴったりと体をくっつけて咲希の肩に顎を乗せたチナツは、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 途端に、強ばっていた咲希の全身がほどけていくのが分かる。心音と共に血圧も正常に、穏やかになった。

「ごめんね、チナツちゃん……。可愛く無いなんて、嘘だよ。チナツちゃんは、すっごくかわいい」

 そのまま、抱っこが気持ち良かったらしいチナツは、咲希の膝の上で丸くなって眠ってしまった。

「あの、真希さん。私、母に内緒で特許を取った発明品があってお金はちゃんと、自分の口座に入るようにしてあるの。だから、あの、生活費はちゃんと払うので、あの、ここに……」

 咲希は大事に持っていたポシェットから、通帳を出そうとしていた。すかさず、真希はそれを押しとどめる。

「それは、自分の為に取っておきなさい。ママに、会いに行く為の資金なんでしょ?」
「は、はい、でも、ちゃんと足りるし……」
「あのね、咲希ちゃん。貴方はまだ、子供なの。どんな天才でも、子供の内は大人に頼って良いのよ」

 でも、と諦めずに通帳を出そうとする咲希に、押し止める真希と緩やかな攻防は続く。

 だが、姉妹は思いの他短気であり、真希は実年齢より精神が幼いようだ。次第に軽い論争へと発展していく。

「提案をしても宜しいデスか」
「なによ、ゴロー! 何とかして、この子頑固過ぎる!」
「それは真希さんの方だよ! 私、ちゃんと生活費払いたいの!」

 ゴローは黙って見守るつもりだったが、咲希の膝で眠るチナツの安眠を妨げる論争は終わらせた方が良いと判断した。

「マキ様、サキ様からの生活費を受け取り、学費として貯金する事を推奨シマス」
「でも、学費くらい私が……」
「イイエ、マキ様。OWBとなる資格を有する程のサキ様に、最高の環境を整える資金は国家予算クラスデス。個人資産でその環境を整える為に、世界長者番付のトップスリーに入る必要がありマス」

 意気込んで握りこぶしを作っていた真希の頭が、多少冷えたようだ。

「……そんなに?」
「ハイ。少なくとも、ハカセの研究費は日本国家予算とほぼイコールデス」
「こっかよさん……」

 真希はその単語は知っているが意味が理解出来ないようだ。スマホで「日本国家予算……」と検索して固まってしまった。

 日本国家予算とイコールになるには、五年分ほどだが、真希を静かにするという目的は達成された。

「じゃあ、私が生活費入れても問題無いんだね。ね、ゴローさん」
「ハイ、サキ様。ワタシは、マキ様を主人とするロボットデス。マキ様の妹であるサキ様は、ワタシに尊称を付ける必要はありマセン」
「んー……」

 咲希は不満そうだ。

「でも、ゴローさんは、ゴローさんだもん」
「理解不能デス」
「良いよ、理解してくれなくて。私がそう呼びたいって言ってるのに、ゴローさんはマキ様の妹の意思を尊重してくれないの?」
「理解シマシタ。ゴローサン、をワタシの愛称として登録シマス」
「えー……。そこまでしないと駄目なの?」
「ハイ」

 変なの、と言いながら咲希は何だか楽しそうだ。国家予算で目を回している真希に向かって、何か小さな声で呟いた。極小さな声だったので、真希には聞き取れなかっただろう。

「あ、なに? 何か言った? 咲希ちゃん」
「なんでもない! ねぇ、ゴローさん。安心したらお腹空いちゃった」
「畏まりマシタ。昼食の支度を致しマス」

 ゴローは、聞き取れた咲希の言葉を、真希に伝えなかった。何時か、咲希が自分で伝えることが出来る言葉だったからだ。

 咲希は、小さな小さな声で、「お姉ちゃん」と呟いていた。

 真希と咲希は姉妹であるので、当たり前の呼称である。だが、そう呼ぶには咲希にとって障害があるようだ。

 心理的葛藤が大きいのだろう。真希は、そう呼ばれたらきっと喜ぶであろうと推測される。

 だが、ゴローは推測を自分の胸一つに収めた。いつか、二人で解決する問題なのだ。

ゴローには、そう理解出来た。理解出来るAIはゴローだけであることを、ゴローは知らない。


 真希は咲希と暮らす為にゴローの手助けを得ながらあらゆる準備を行った。

 弁護士を雇い、咲希が大事に持っていた母親と離れる為の数々の証拠を検証して貰い、法的手続きを滞りなく済ませ、直接怒鳴り込んでくるかも知れない母親との直接対決も覚悟していた。

 だが、拍子抜けするほど、母はあっさりと手を引いた。咲希の親権を手放し、一緒に暮らしていたマンションを引き払ってあっという間に姉妹の前から居なくなってしまったのだ。

 極度の緊張状態にあった真希は、ホッとすると共に……。嫌な後味が残った。

 あれほど、天才児の母親になることに執着していた人が、突然何の心境変化があったのか、と。

 油断させておいて、法的手段を問わない強硬手段で咲希を奪いに来るかも知れない。真希はゴローの推察の方が頷けたので、用心の為咲希の外出を制限した。

 外出する時は必ず、セキュリティモードを最高レベルまで上げたゴローが同行する。

 咲希は、小太郎からアドバイスを受けながら、機能停止した子猫の回復を責任持って行う事になった。

 小太郎が言うには、
「俺は人に物を教える才能が無い」

 との事だったが、それは同レベルの天才であれば問題無いようだった。

 毎日、楽しそうに小太郎と会話する咲希の理解力は抜群。一つ教えれば、

「じゃあ、ここはこうでこの回路を繋げたら伝達がスムーズになるんだね? それならさ、こうしたら?」

 などと、千を理解した上で、更に応用まで重ねてくる。

 小太郎との通信講座に興味を示したOWB達も順番に咲希を教育していくものだから、もしも本気で授業料を支払ったらそれこそ国家予算レベルになるだろう。

 気軽な家庭用回線であった真希の家の回線は、あっという間にOWB専用の極秘回線に入れ替わっていた。

 セキュリティ抜群な上に、通信スピードが途轍もなく早い。おかげで真希も仕事が捗る。次から次へ処理が終了するものだから、自宅のノートパソコンまで突然ハイスペックに改良されてしまったのかと勘違いしてしまうほど。

 咲希の授業内容もさることながら、お互いの存在に慣れていこうと言う事で、自室にこもっての仕事はやめ、リビングに姉妹のワークスペースを作って、それぞれの仕事に励むスタイルに変わっていた。

「小太郎、もうその授業飽きちゃった。もっと難しいのにしてよ」
『生意気なガキだなぁ。じゃ、こいうぉ! コラ! 小次郎!』
『うにゃー!』

 飽きてしまったのは、画面向こうの小次郎も同じようで、小太郎の頬を両前足で押している。仕事を終わらせて、遊んで欲しいようだ。

「小太郎は小次郎ちゃんに遊んで貰ったら? 私、シュナイダー博士の授業受けてくるから」
『ちょい待てコラ、なんで俺だけよびす……』

 呼び捨てなんだよ、と文句を言う小太郎を無視して、咲希は回線を切り替える。

 今、最も重要な任務に付いている最高の頭脳を持つ博士の授業だ。

 真希は気にしないようにしようと思っても仕事に集中出来ず、休憩するフリをしてカフェオレをいれて貰う。

 シュナイダー博士は滅多にメディアにも顔出しをしない。だが、この地球に住む者ならば誰もが知っている。環境改善のスペシャリストだ。

『やあ、サキ。おはよう、かな?』
「こんにちは、です。博士」

 先程までのくだけた様子が嘘のように、咲希はキチンと姿勢を整えて優等生の笑顔を浮かべた。

『こんにちは、サキ。日本は良い天気だね……』
「博士?」

 何時も、爽やかな笑顔を浮かべるシュナイダー博士の、顔色が優れない。それどころか、少しやつれたようにも見えた。

『すまないね、せっかくの機会を大切にしたいのだけれど……。今日は授業が出来そうに無い』
「無理はなさらないで下さい。それに、謝ることは無いです。いつも好意で授業をして頂いているのですもの」
『ああ。ありがとう、君は優しい子だね』

 静かに笑って、

『今ならセシル君が手空きだから、彼に代わるよ。本当に済まないね』

 と、画面から消えてしまった。

「どうしたのかしら、具合が悪いのかしら」
「うん……。って、真希さん? 覗いてたの?」
「あ、ご、ごめんなさい。だって、気になるじゃない……」
「もう、それならここに堂々と座ってよ!」

 咲希は自分の隣を指差した。

「え? でも、私、そこまでアレじゃ……そ、それに聞いても意味が分からないし」
「いいの! 博士達に紹介するから。真希さんは……」

 モジモジと下を向いた咲希は、顔を真っ赤にして一生懸命に言いたかったことを押し出している。

「わ、わたしの! お、お姉ちゃんなんだから!」
「お、おねえ……」
「こ、これから、お姉ちゃんって呼んで良い?」
「は、はい! 喜んで!」

 二人で顔を真っ赤にしていると、画面からは冷静な声が響いた。

『ご馳走様です。サキ、少し席を外した方が良い?』
「あ、いえ! すみません、あの、私のお姉ちゃんです!」
『うん、知っている。美人。サキに似ている。仕事が丁寧。またお願いします』

 セシルは物理学の権威で、各自治体が管理している緊急避難用シェルターとそれを使用した避難システム、通称ノアシステムの開発者だ。勿論、真希も名前だけは知っている。

「は、はい! ……え? 私、仕事を承ったことありましたか?」
『うん。て言うか、君の所の回線が超安全になったから、皆ダミー会社使って依頼しているよ。知らなかった?』

 確かに最近、やたら専門用語の多い翻訳の仕事が増えていたような……。

『ヨウンは君のこと秘書にしたいって言っていたけど、下心こみだから断った方が良いね。あいつは大和撫子幻想が強いんだ』
「はあ……」
「皆お断りです! お姉ちゃんには、ゴローさんがいるんだから!」
「は?」

 鼻高々と言った様子で、咲希は腕を組んでふんぞり返った。

「ゴローさんは、すっごく格好いいんだから。そこらの男じゃ敵わないわ!」
「ちょっと?」

 改めて、真希は咲希の考え方が少し……いや、かなり心配になった。

 格好いいと言えば、目の前のセシルこそ俳優のように美しい顔立ちをしているのに、咲希はそこに反応せず、どう見てもロボットであるゴローの方が格好いいと言う、感覚が心配になってきた。

『うん。ゴローは格好いいね。僕は彼がマキの為にサキを排除にかかった下りがアツイと思う』
「ですよねー! あの時のゴローさんったら怖かったけど、本当に格好良くて……」

 真希は二人の会話について行けない。カフェオレをいれてくれた後、「チナツさんと掃除をして参りマス」と、この場を去ってしまったゴローに助けを求めることも考えたが、こんな事で呼び戻しては仕事の邪魔になってしまう。

 真希がオロオロ会話の糸口を探している内に、咲希とセシルは世間話からガラリと切り替わってシェルター構造の問題点と今後の改造ポイントについて熱心に話し込んでいた。

(あんまり心配すること無いか……)

 ちょっと変わっているが、幼い子供が「おとうさん(おにいちゃん)と結婚する!」と言う、身近な者に対する単なる憧れなのかも知れない。

 ゴローが身近な男性に当たるのだろう。気軽に外出出来るようになれば、憧れの対象は自然と外に向かっていくだろう。

 真希は熱中し始めた咲希の邪魔にならないようにそっと離れて、自分のワークスペースに入った。元々、喧噪飛び交う職場で黙々と仕事をしていたので、多少の会話があっても集中して仕事が出来る。

 一週間後締め切りの迫っている案件の見直しをしていると、今まで気付かなかったのが不思議なくらい、これは恐らくOWBの遺伝子工学博士ヨウンからの依頼だ。

(専門用語が多すぎて、調べるのにやたら時間がかかったのよね……)

 何とか翻訳を終え、最終チェックをして今日中に納品する予定だ。

 調べが追いつかなくて咲希にも手伝って貰ったので、今日の夕飯は咲希の大好きな煮込みハンバーグにして貰うよう、ゴローにもこっそり頼んである。

 大々的に咲希の好きなメニューにしてしまうと、大人びたお子様である咲希は素直に喜べないようなのだ。まだ、家族と言うには遠慮があるかも知れない。お互いに。

 少しずつ慣れていけば良いだろう、と真希は気負うのは止めた。

 何しろ、まだ家族として暮らし始めて数週間なのだ。咲希は打ち解けているように見えてまだ緊張しているだろうし、真希の方もまだちょっと遠慮がち。姉妹で盛大にケンカが出来るようになるには、まだ時間がかかりそうだ。

 ふと咲希の方に目をやると、空っぽのマグを持ち上げて戻している。白熱の論議に水を差したく無いのだろう、そのままマグを押しやって語り続けていた。真希は静かにスマホでゴローにお願いした。

『ゴロー、咲希ちゃんに何か飲み物をお願い』
『畏まりマシタ、はちみつレモンを用意致しマス』

 手慣れたもので、ゴローも咲希が喋りっぱなしで喉を痛めていないか案じているのだ。

 本格的に喉を痛めた時には、はちみつのみをお湯で溶かしたものが良いそうだが、ハッキリ言って不味いのでそれを飲む程度まで喉を痛める事は推奨されない、とゴローに説教される。

 このやり取りは三日前、咲希とゴローの間であったものだ。OWBとの授業が楽しすぎてはしゃいだ咲希があっという間に喉を痛めたので、ゴローは「まずい~」と文句を言う咲希に理詰めで説教をしていた。

 同時に、熱中すると後先考えられなくなる咲希を、きちんと監視する目的でワークスペースをリビングにまとめたのはゴローでもある。

 咲希の健康を守る為には、真希の支援が必要不可欠であると説き、真希も咲希と一緒に過ごす時間が欲しかったので頷いた。早速、見事な働きが出来たと思う。などと自画自賛していると、

『マキ様、サポートありがとうございマス。ワタシだけでは成しえない事デス』
『良いのよ。これくらい、頼って貰って構わないわよ』
『イイエ、マキ様。人が人を気遣うという事柄は、人間なら誰でも実行出来マス。デスガ、観察のみでは誰も行動は出来マセン。そこには相手への思いやりという計測不可能な力が必要不可欠。AIには無い機能なのデス』
『ゴローは十分、出来ていると思うけど』
『イイエ。ワタシの行動は観察と蓄積データに基づくものデス』

 優秀なAIであれば、人間の気遣いという行動をトレースして実行出来る。それは、ゴローの言う通り、観察と蓄積データによるものであろうが……。真希は、それだけでは無いと確信している。

 おそらく他のAIであれば、咲希がはちみつをお湯で溶いたものを不味いと言っても、最も効果のある物として勧めるだけで終わる。

 だが、ゴローは咲希がそこに至る前に予防することを考えた。

 家事専門ロボットであるので、人との交流に最も容量を割いているのかも知れないが、ほぼ人が人に対して気遣う行動と変わり無い。

 などと考えていると、ゴローが温かいはちみつレモンと一緒にタンブラーに入れた飲み物を持ってリビングにやってきた。先頭は尻尾をピンと立てたチナツだ。

「るるなーお」
「サキ様、喉を痛めないよう、はちみつレモンをドウゾ」
「ありがとう、ゴローさん! ちなちゃんもありがと」

 ゴローは適度な水分補給を推奨し、タンブラーには温めのほうじ茶をいれてあるそうだ。

「サキ様は熱い飲み物は好まれないようデスので、直ぐに飲めるよう冷ましてありマス」
「えー……コーヒーがいい」
「本日のおやつはコーヒーゼリー生クリーム付きデス」
「やったー! ゴローさんのコーヒーゼリー好き!」
「イイエ。その表現は正しくありマセン。ワタシのレシピは料理研究家のクリタさんの物デス。正しくは、料理研究家のクリタさんのコーヒーゼリー、デス」
「もー、作ったのはゴローさんなんだから、そういう時はゴローさんのコーヒーゼリーで良いんだよ」
「かしこまりマシタ。ワタシの作ったコーヒーゼリーをご用意しておりマス」

 大人びた味覚の咲希は、ほろ苦コーヒーゼリーが大好きだ。ここの所、週に二回はゴローが作ってくれている。密かに好物である真希も背中を向けたまま小さくガッツポーズを取った。

「るるる……」

 ててて、と一直線に走ってきたチナツが、フワリと真希の膝に飛び乗った。ここの所、昼寝は仕事をしている真希の膝に決めたようなのだ。

「あー……またお姉ちゃんのところ……。ちなちゃん、私の膝もあいてるよー」

 チナツはもう夢中で真希の膝掛けをふみふみしている。それはもう至福の顔で丹念に揉み込んだ後、くるんと丸くなってスヤスヤ眠ってしまった。

 よく、猫に仕事を邪魔されると聞くが、チナツはとても良い子に膝の上で寝て、たまにふと目を覚ましてはキーボードを操る真希の手元をじっと見つめて、少し撫でてあげるとまたスヤスヤ眠る。

 ここまで何も邪魔せず良い子だと、良い子過ぎないかと心配になるレベルだ。

 チナツからの優先順位が最下位の咲希は、仕方ない事とは言え、やはり自分にも懐いて欲しいと一生懸命だ。

 ゴローに教わりながら、チナツにカリカリをあげたり、トイレの片付けを手伝ったりと毎日楽しそうにしている。

 詳細の内容説明は全く理解出来ないが、子猫ロボットの再起動も、後一歩のところまで来ているそうだ。

 まだまだギクシャクした寄せ集めの家族だけれど、徐々に本物らしくなっていけば良い、このまま穏やかな日が続けば良いと、真希は幸せを噛みしめつつ、ゴローの警告を忘れない。

 突然手を引いた母の行動を追って貰っているが、ハッキリしないという。

 ゴローどころか、OWBである小太郎までも追跡出来ない、きな臭さ。それでも、しっかり咲希を守れるように真希は気を緩めない。

 曲がりなりにも、一家の長となったのだから、その責任はしっかり果たすつもりだ。

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