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AIは猫にとって理想の家族となり得るか?第7話

《素敵なプレゼント》


 毎日の日課内に、午前中の家事を終えたらチナツとの特訓が加わった。猫として少々鈍い所のあるチナツに合わせて、ゴローは丹念にトレーニングコースを組んでいる。

「チナツさん。トレーニングを開始シマス」
「うる!」

 すでに臨戦態勢のチナツは姿勢を低くして長い尻尾を振りながらタイミングを計っている。

「トレーニングモード起動。初級、瀕死のげっ歯類」

 ふわふわの猫じゃらしを、ゆっくりゆっくり動かして、時折床でピクピクと震わせる。

 昼休憩に入る前の真希も思わず見守っている。

 真剣に獲物を狙うチナツが、よくよく狙いを定めて飛びかかるまで三十五秒かかった。

 瀕死のげっ歯類でも、三十五秒もあれば逃げてしまうかも知れない。ゴローは飛びかかるチナツから猫じゃらしを逃がし、徐々にスピードを上げてチナツを鍛えようとしているが、ふとチナツがじゃれるのを止めた。

「チナツさん?」

 じぃっとゴローを真ん丸い目で見つめると、素早くゴローの懐に入り込んで頬辺りをぺちっと叩いて逃げて行った。

 チナツの行動が理解出来ずにゴローが固まっていると、真希が忍び笑いを漏らしながら教えてくれた。

「ゴロー、ちゃんと猫じゃらしを捕まえさせてあげないと。ちなちゃん、拗ねちゃったんじゃない? 今のは怒って叩いて行ったのよ、多分」
「拗ねる……怒る、何故デスか?」

 これはチナツにとって必要な、大切なトレーニングなのだ。完璧な計算に基づき、最終的にチナツは運動神経抜群になる予定である。

「そんなのちなちゃんには関係無いからよ。あの子はゴローと遊びたいだけだもの。トレーニングなんて思ってるから、ちなちゃん、拗ねてるわよ。ホラ」

 真希の指差す方向に、チナツが顔を半分だけ覗かせてジィッとゴローを見ていた。先程までの楽しそうな真ん丸の目が不機嫌そうに眇められてまるで人のように豊かな表情を見せている。

 真希の指摘通り、チナツは猫じゃらしを逃がす度に尻尾を大きく不機嫌そうに振っていた。

 何としても捕まえたい、その欲求に沿ったトレーニング方法だったが、チナツが遊びと思っているなら完全に間違っている。

「失敗デス。ワタシは、無能デシタ」
「いや、そこまで反省しなくても……」
「トレーニングデータ、消去。これより、チナツさんの観察に沿った遊戯を開始」

 ゴローが練りに練ったトレーニングデータは無駄だったので、綺麗に削除する。

 チナツが好きなふんわりころりんボール(鈴入り)を、チナツの前に転がしてやると、途端に目を真っ黒にしたチナツはふがふが鼻を鳴らしながらボールと格闘し始める。

 一通りじゃれると、チナツはボールを咥えて運び、ゴローの側に落とす。投げてやると、喜んで追いかけて行った。

「犬みたいね」
「チナツさんのお気に入りの遊びデス。ワタシは、マキ様の助言により間違いを正す事が出来マシタ。ありがとうございマス」
「そんなに大したことしてないけど」
「イイエ、的確な助言デシタ。今後も是非、助言をお願い致しマス」

 ゴローが頭を下げると、真希は最近良く浮かべる笑顔を見せて、

「仕事に戻るから、お昼の準備お願いね」

と去って行こうとした。

「ふるるる!」

 ボールを咥えて駆け戻って来たチナツが、ボールを真希の足元に落とす。

「え? 私も投げて良いの、ちなちゃん?」

 真希がボールを持ち上げると、足元でチナツは完全に臨戦態勢で目を輝かせている。

「いくわよ、ホラ!」

 チナツは何度も何度も真希に「投げて」とせがみ、真希も戸惑いながら嬉しそう。それを見守っていたゴローは、何故かプラスチックゴミの圧縮を行いたくなった。


 ゴローは何時もの買い物に出た先で、豊富に並んだ果実を厳選していた。夏に実るスイカや桃も美味しいが、秋が近付いて来た九月に入ると真希が好きなリンゴが店頭に並び始める。

 幸いにもこの辺りはリンゴの産地に程近い為、手頃な価格で入手出来る上に美味しい。だが、産地故に品種が豊富で、選択肢が多いのだ。

 しかし迷うことは無い。真希はリンゴの中でもシナノスイートが最上位。最も鮮度の高い物を厳選して購入する。夕飯のデザートとして真希が気に入っているガラス製の器に盛れば、喜ばれるだろう。

 後は、生活用品のストック用に特売のトイレットペーパー、それに旬で安いサンマを購入。今日の夕飯はサンマの塩焼きと栗ご飯を中心に組み立てる予定だ。

 そこで一つ問題がある。魚を焼いているとチナツが騒ぎ出す点である。

 猫は魚好き、と思われているが本来は肉食。日本の風土に合わせた食生活故に、猫の魚好きは日本で定着したのだが、理屈はともかく魚を焼く匂いというものは猫にとっても魅力的であるようだ。

 また、魚……特にマグロに含まれる旨味成分が猫にとって美味しいと感じる、との学説もある。

 特にチナツは素材をそのまま活かしたタイプのおやつが大好きなので、単純に鶏ガラでスープを作っている時も騒ぎ出す。

 事ある毎におやつで釣るのは教育上宜しく無いので、サンマを無事に美味しく焼き上げる為に何か対策が必要である。対策を立てつつ、ゴローは安全かつ最速で家へと戻った。

「只今戻りマシタ」
「お帰り、ゴロー……あ、リンゴあるの?」
「ハイ。本日のお買い得品デス」
「美味しそう……ちょっとだけ食べたい」
「かしこまりマシタ」

 一個では多いので、四分の一を切って芯を取り、更に半分に切ってウサギの形に皮を剥いて出すと真希は嬉しそうに手を伸ばした。

 一緒にチナツも前足を伸ばした。何時も遊んでいる海老天を模した猫じゃらしと配色が似ているので手を出したようだ。

「ちなちゃん、これは何時もの海老天さんじゃないのよ」
「るなー」
「そう、違うのよ」

 まるで会話をしているようだが、お互いに意味が通じ合っているかは不明である。

 真希は最近、チナツ相手に良く喋り、チナツも良いタイミングで返事をするように鳴くので何となく会話しているようになるのだ。

 ゴローが夕飯の下拵えに入ろうとすると、チナツがごく自然な動きでヒョイと真希の膝に飛び乗った。

「え? なになに?」

 真希がオタオタしている間にも、チナツは丁寧に膝の上をふみふみと整えて、コロンと丸くなって眠ってしまった。

「え、なに、どうしたら、ねえ、ちょっとゴロー! どうしたら良いの?」

 身動き出来なくなった真希は、慌ててゴローに助けを求めている。

「お、下ろして大丈夫? 怪我しない? ねえ、ゴロー!」
「大丈夫デス。マキ様の握力は成人女性平均並みデスので、チナツさんを傷付けることはありマセン」
「じゃ、じゃあ、下ろすわよ……」

 おそるおそる、真希はチナツを抱き上げようとした。頼りないほど柔らかく、ふわふわの手触りに力加減が分からずソワソワしているだけで終わってしまったが。

「むにゅー……」

 真希の葛藤など気にせず、チナツは気持ち良さそうに眠っている。

「……あったかい」
「チナツさんは、大変よくお休みデスので、マキ様に支障が無ければ、そのままでお願い致しマス」

 ゴローはそう伝えた後、夕飯の下拵えよりも最優先でプラスチックゴミの圧縮を行うことにした。

 何故か、それが最優先事項になってしまったのだ。

 チナツの安眠を妨げないようにプラスチックゴミの圧縮を行っていると、膝に乗せたチナツを見守りながら真希が小さく笑った。

「ゴロー、後で良い物あげるね」
「良い物、とは?」
「良い物よ」

 更にチナツは真希の膝に顔をめり込ませるように密着して気持ち良さそうな寝息を立てている。

 ゴローはプラスチックゴミ削減圧縮を終えたが、更に空き缶の圧縮も行うべきであると演算機能が告げたので手早く片付ける。

 圧縮出来る物が無くなったので、ゴローは夕飯の下拵えにかかった。最も手間のかかる栗の皮むきを行っていると、真希の膝から下りたらしいチナツが台所をウロウロし始めた。

 まだ魚を焼いていないのに察知されてしまったのだろうか。後ろから追いかけて来た真希が、

「ゴロー、座って」
「イイエ。作業効率が悪くなりマスので……」
「良いから、座って。良い物あげるから」
「かしこまりマシタ」

 真希の言う通りに座ると、真希は自分の防寒具であるフリースブランケットをゴローの膝にかけてくれた。

「はい、良い物」
「マキ様、これはワタシには必要ありマセン」
「良いから、じっとしてて」

 言われた通り、身動きせずに座っていると、ヒョイとチナツが飛び乗ってきた。

「るるなん!」

 嬉しそうにブランケットをふみふみして整えると、ゴローの膝上でコロンと丸くなって眠ってしまった。

「肌寒いから、あったかいところで寝たいみたい。でも、ゴローの膝にも乗りたいみたいだったから」

 確かに、チナツは心地良い温度を保てるフワフワした寝床が好きだ。その条件に真希の膝が丁度良かったのだろう。そして、ゴローもブランケットを使用することでその条件を満たすことが出来るのだ。

「それ、ゴローにあげるね。ご飯の支度する時とか、充電する時とか、使ってみたら?」

 じゃあ仕事に戻るね、と真希が自室にこもると、しばらくゴローの膝で暖を取っていたチナツは程なく目を覚まし、尻尾を立てて真希の部屋に行ってしまった。

 やはり寝心地は真希の膝が一番のようで……。ゴローは近頃、ゴミの圧縮に余念が無い。

 爆笑しているハカセの声をBGMに、今日もゴミ袋節約の為の圧縮に励んでいる。

 人はそれを、やきもちと呼ぶが、ゴローには関係の無いことだ。ゴローは、AIなのだから。

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