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AIは猫にとって理想の家族となり得るか?第6話

《天才達の日常》


 地球救済計画保護法(Earth Salvation Plan Protection Act)。それは、進退窮まった世界各国のトップが「このまま行くと全人類が滅びる」との計算を受けてようやく重い腰をあげ、国と言う柵を超えて手を取りあった証。

 一先ず、公式発表では、そう言う事になっている。

 保護法が守っているものとは、現在の定義では「人類を存亡の危機から救う力のあるもの」をさす。

 そして、その知識を有する者をワン・ワールド・ブレインズ(通称・OWB)と呼び、地球全土の財産として守り独占を許さない法を策定した。

 OWBは全ての国に在籍しているが、どの国にも属さない。全ての国への渡航が許されているが、全ての国で永住が許されない。

 現在、OWBとして名を連ねている者は十名。その内の一人として葉加瀬小太郎も名を連ねている。

 本来なら軌道上のコロニーで厳重警護の元研究を続ける事が義務付けられているのだが、小太郎は自らの開発したロボットのサポートの為に地上で生活を続けている。勿論、研究所兼自宅は厳重に警護されている。

 小太郎の功績は考えて行動出来る人により近いロボットの作成と、もう一つ。

 人の脳内記憶を完全再現したコピーの作成に成功した事だ。

 これにより、現在十人存在するOWBの全員のコピーを進め、貴重な知的財産を失わないよう保持に務めている為、小太郎はOWBの中でもリーダー的存在と言う事になっている。

(リーダーも何も、全員好きな分野で好きな研究を思いっきりやってるだけだけどな)

 そして、それがたまたま全人類の希望であっただけだ。

 基本的にそれぞれ好き勝手にやっている彼らだが、その中でも小太郎が懇意にしているのは地球環境改善の最前線に立つマサキ・A・シュナイダー博士である。

 壊滅的な地球環境改善にはマサキ博士の頭脳と、莫大な費用と人手が必要だ。その人手の部分で、悪環境下でも博士の命令に忠実に動くロボットを開発・作成したのが縁だった。

 マサキは過酷な環境で働く人もロボットも平等に扱ってくれた。小太郎は、それが何よりも嬉しかった。今では兄のように慕い、頻繁に極秘回線でやり取りしている。

『おはよう、親愛なるコタロー』
「おはようございます、マサキさん。……台風ですか?」

 穏やかなマサキの笑顔に似合わぬ嵐の音が背後に紛れていた。近年の台風はより大型で、上陸すれば必ず災厄となる。

『ああ。セシル君の作ってくれたシェルターのおかげで、ここは安全だが、作業は中断せざるを得ないな。大分地質改善が進んだのだが、どうやらやり直しだ』

 画面が軽く揺れている所を見ると、物理工学の権威、セシル・ベルナールが開発した特殊合金製移動型シェルターで避難中なのだろう。

 このシェルターは今や全世界の自治体単位で配布され、有事の際は全員がそのシェルターへの避難が最優先となっている。

 それは世界が滅びに瀕した時、一握りの種族が災厄を生き延びる為に建築したと言われる伝承の箱舟になぞらえて、ノアシステムと呼ばれている。

『ゴローの様子はどうだい?』
「それが聞いて下さいよ、いや動画があるんだ! おもしれーから見てやってくれ」

 最近の二人の話題は、子猫を保護したロボット……ゴローの話に尽きる。マサキは実に興味深く聞いてくれる上に、写真や動画の愛らしい子猫がいたく気に入ってしまったようだ。

『ああ、今日もチナツちゃんは可愛いね。少し大きくなったんじゃないかい?』
「だろ? そうだ、とっておきのごろーん写真があるんだ、送っとくよ」
『ありがとう、嬉しいな。ゴローも頑張っているようだね』
「昨日の動画、めちゃくちゃ面白かっただろ? 俺、しばらくゴローの翻訳機能はあのままにしとくわ」
『フフ、ロボットの翻訳機能向上は難しいから、じゃないのかい?』
「馬鹿にするなよ? あらゆる会話パターンの蓄積で自動更新出来るように改善中だ!」
『さすがだね』
「とは言え、さすがは世界で最も難しい言語だな、日本語は。イヤー本当に難しいナー」
『棒読みじゃないか。私も日本語の難しさには共感出来るけどね』
「世界一の頭脳でも計り知れないことって?」
『妻のご機嫌、だろうか。コタロー、なんとかならないだろうか?』
「俺、独り身なんで分からないです」

 他愛も無い会話から、環境改善のノウハウまで普通に会話しているだけで国家機密レベルの情報漏洩が発生してしまう為、OWBの通話は全て特別回線を使用している。

 特別回線を通じて、何の害にもならない平和な子猫のへそ天写真などをやり取りしている訳なのだが、必死の思いでハッキングを行って盗んだものがコレだったら、さぞかしガッカリするだろう。

 しかも平和な子猫の寝姿を盗んだだけでも、OWBの特別回線をハッキングした者には国家反逆罪レベルの重罪が電光石火で突きつけられる。

 何しろ、この特別回線もOWBの一員が開発したものだ。防犯体制も万全である。ふとした会話が国家機密級になりうるOWB達にとって必要不可欠なセキュリティだ。

『……コタロー。何か、変な音がしないかい?』
「音?」

 マサキに送るチナツの画像を熱心に選ぶ事に注力していて、周囲への注意は散漫になっていた。と言っても、普段から何かに熱中したら周りは一切見えなくなるし音も聞こえなくなるので日常茶飯事と言って良いが。

 マサキの指摘通り、研究室から見える小さな庭から何か変な音がする。

「びゃぁあああ……」

 風の音にしてはおかしいし、小太郎の記憶する限りこんな声で鳴く虫はいないはずだ。

「新種の虫かな。ヨウン博士宛てにサンプルを送るか」
『虫、なのかい?』

 マサキが首を傾げるのも構わず、研究室の窓から直接庭に下りた。生物は範疇外だ。

 この世に生まれてからというもの、自由に手足を動かせるようになると、小太郎の興味は機械いじりに集中していた。時計を分解し、組み立て、一回見た物は絶対に忘れず、設計図無しに組み立てが可能だった。

 それなのに人の顔を覚えるのが苦手だった。実の親ですらも、覚えていられなかった。

 知らない人がウチにいる、と思ったが辛うじて声を覚えていたから通報までには至らなかったが、両親はひどく憔悴し、小太郎の居ないところでヒソヒソと話し合うようになる。

 気付けば家庭でも孤立していた小太郎を保護にやってきたのは、OWBを支援する国際機関だ。

 まだ、OWBという考え方すら確立されておらず、世界には紛争も絶えず起こっている状態だが、一部の関係者は地球という環境の限界を悟っており、その対策に動いていたようだ。

 天才集団の中に入ってもなお、小太郎の孤独は続く。

 幼い頃から学生までは研究に没頭するだけで良かったので特に苦には感じなかったのだが、大人になって仕事をするようになると、

「君は誰? 何の担当だっけ」

 などと尋ねるのが億劫になり、脳科学を研究して記憶能力を解明。ようやく人の顔と名前をセットで覚えられるようになった時には安堵したものだ。

 これでいちいち、研究の手を止めて初めて見た気がする相手に謝罪する必要が無くなる。

 更に、脳科学の研究成果によって小太郎の目指すAIが飛躍的に現実のものとなりつつある。

 人の脳の情報伝達能力、収集分析能力は、それほど素晴らしいのだ。

 小太郎は生まれて意識を得た頃から、人の体は不便だから、機械に生まれたかったなと常々思っていたのだが、考えを改めた。

「このへんかな~?」

 青々と茂った雑草の中に、急に枯れた草が生えていて、変な音はそこから聞こえるようだ。

『コタロー、見知らぬ虫を素手で触っては……』
「はい?」

 さっさと小太郎は草に手を突っ込んだが、枯れた草と思っていたものは妙に柔らかくふわふわで……。

「ぴぎゃぁ……」
「……でかい虫だな」
『……子猫、のように見えるのだけど』

 顔中涙でガビガビ、鼻水まみれの泥まみれ。枯れた草にしか見えなかったのは泥で汚れていたせいだった。

「子猫、だな」

 取りあえず両手で包むように抱っこしてみたものの、子猫はあまりにも軽く、しかも寒いのか病気なのか、ガタガタ震えている。小太郎は多少の医学知識はあるが、子猫に役立つものが無くうろたえた。

「あ、あ、なんだ、え? ミルク? 牛乳やれば良いのか?」
『ゴローくんに連絡しなさい! 多分、それが一番良い!』
「わ、わ、わかった、もしもしゴロー!」
『落ち着いて、緊急回線だよ、それは! ホラ、ロボットとの連絡はそっちだよ』
「あ、あ、そうだ、そうだった、もしもしゴロー!」
『総員戦闘配置!緊急出動に備えよ直ちに精鋭部隊を送ります、Dr.コタロー!』
「間違えた、ゴメン!」

 更にうっかり国際連合軍へ防衛要請をしかけてしまう。危うく世界最高レベルの精鋭部隊が秒で駆けつけるところだった。緊迫感張り詰める厳つい軍のトップに謝って連絡をし直す。

 それでも何度か違うロボットに繋げてオタオタしている小太郎を見かねて、マサキが代わりに回線を開いてくれたようだ。

『ハイ、製造番号五〇四二五六……』
「ゴロー! それ省略してくれ! コイツ、どうしてやったら良いんだ?」
『ハイ、ハカセ。生後推定三ヶ月のコネコさんデス。体温が低下してイマス。直ぐにコネコさんを温めマス』
「へ、お、おう、あっためる、あっためる……風呂に入れれば良いのか?」
『イイエ。体力も低下してイマス。入浴は推奨されマセン。サーチスタート』

 ゴローは画面越しに小太郎の研究室を検索し、耐熱性のペットボトルと湯沸かし器の準備をする事を指示してきた。

 小太郎は急いで湯沸かし器で湯を沸かし、耐熱性のペットボトルにタオルを巻いて、手頃なダンボール箱を組み立てて……。

 きっとゴローなら数秒で出来る事だろうが、小太郎は慌てて何度も手順を間違えて十分くらいかかってしまった。

 何とか、即席の湯たんぽに引っ付いて子猫が大人しくなると、全身から汗が吹き出す程ホッとした。小さいフワフワしたわら屑のような子猫はペットボトルの湯たんぽに寄り添って、大きくお腹を上下させて呼吸している。

「よ、よし、生きてるな……」
『ハイ、次はコネコさんのミルクを準備シマス。買い物リストを送りマス』

 これでは、チナツの時と真逆だ。だが、チナツの為に得た知識のおかげで、ゴローは獣医並みに頼もしいアドバイザーとなっていた。

「子猫用のミルクなんてあるんだな……牛乳じゃダメなのか?」
『イイエ、ハカセ。ネコさんには牛乳に含まれる乳糖を分解する機能がありマセン。与えると下痢を発症。下痢により脱水が引き起こされマス。推奨されマセン』
「なるほど……」

 助手の水城に買い物に出て貰い、小太郎はゴローの教えるままに、おっかなびっくり小さな子猫の体を蒸しタオルで拭いた。

 鼻水ガビガビを優しくふやかしてから拭き取り、涙の跡を拭き取り、薄汚れた泥が薄れると、どうやら白猫のようだった。

 顔と尻尾にだけトラ模様が入っており、顔に入ったトラ模様が特徴的だった。ぱつんと切り揃えた前髪風。しかも、床屋や美容院ではなくお母さんの手で前髪を切られたけれど失敗して斜めになってしまった風。

 なかなか愛嬌のある柄では無いか。

「けっこうオシャレだな、お前」
「ぴぎゃあ……」

 風呂にでも入れてやればもっと真っ白になるだろうが、ゴローが今はそれで十分だと言うので、小太郎はガビガビに張り付いた汚れだけを落とした。

『ミルクが飲めるようでしたら飲ませて、病院の診察を受けてくだサイ』
「びょ、病院だな? 一一九番だな」
『それは人間用の救急番号デス。居住範囲の最も近い順に動物病院のリストと電話番号を送りマスので確認の上電話予約を行って下サイ。必要事項は以上デス。それでは、チナツさんの運動の時間デスので、失礼致しマス』

 さくさくと手際良くリストの送付を行ったらしいゴローは、自分の都合でフェードアウトしてしまった。

「ちょ、ちょっと待てよ、オーイ……も、もしもーし!ゴロー!応答せよぉおお!」

 ゴローとの通信はうんともすんとも言わなくなってしまったので、小太郎は仕方なく貰った病院のリストを確認した。すると、ゴローがチナツを連れて行った病院もリストに入っているようだ。

(あそこの先生なら話しやすそうだったな。ここで予約するか)

 問題は、そこまでどうやって移動するかだ。何しろ、OWBであるので特例として地上で暮らす小太郎には様々な制約がある。特に移動に関しては制約が大きい。

(あ、水城に連れて行って貰えば良いのか)

 ゴチャゴチャ考えるより、ずっとシンプルで現実的だ。お使いばかりで申し訳無いが、もう一働きして貰おうと考えていると、寝ていた筈の子猫がモゾモゾ動き始めた。

「ピギャー! ピギャ、キュー、キュー!」
「な、なんだ? どうした、腹でも痛いのか?うんこか?」

 慌てて小太郎が子猫に手を伸ばすと、子猫は小太郎の手に縋りついて吸い付いて来た。

「あ、腹減ってるのか? ちょ、ちょっと待ってろ、水城がミルク買って来るから……」

 そう言えば、水城も買い物に出る前に何か言って無かっただろうか。

(ええと、確か……)

 ミルクを溶かすのにお湯を人肌まで冷ましておく。哺乳瓶が無いかも知れないので、哺乳瓶代わりのスポイトを消毒しておく。間違っても猫に有害な物は使用しない。

 事務的な処理能力が低い小太郎にも分かり易いように箇条書きされたメモを貰っていた事を思い出し、ちゅうちゅう吸い付いてくる子猫を片手で抱っこしながら、何とか準備を整えた。

「博士、買って来ました!」
「お、おう、水城! 直ぐに準備を頼む! もうコイツ腹が減って仕方無いみたいなんだ」
「かしこまりました!」

 小太郎に欠落している一般的な家事処理能力を網羅している水城は手際良く子猫のミルクを小さな補充瓶に入れてお湯で溶かし、温度を確認する為に頬に当てている。

「温度計使わなくて良いのか?」
「人肌くらいで大丈夫らしいですよ。よしよし、ホーラ、ミルクだよ」

 人当たりの良さにも定評のある水城だったが、子猫からの評価は低いようで、微笑む水城に子猫はイヤイヤと首を振る。

「お前腹減ってたんじゃないのかよ」

 どうして飲まないのかと小太郎がオタオタしていると、水城に哺乳瓶を渡されてしまった。

「どうぞ。博士からでないと嫌なようですから」
「そんな事あるかよ、こんなチビすけが……」

 たどたどしく哺乳瓶をそっと差し出すと、さっきのイヤイヤは見間違いだったのかと疑いたくなる勢いで哺乳瓶に吸い付くとジュッジュッジュッ!と凄い勢いでミルクを飲み始めた。

「飲んでるな」
「はい。食欲もあって元気ですね! かわいいなぁ」

 確かに、小さな前足で哺乳瓶を押さえながら一生懸命飲んでいる姿を見ていると、何か変な気分になる。今まで感じた事の無いものだったが、これが父性愛と言うものか。

 それにしても小さいし、風が吹いたら飛んでいってしまいそうなほど軽いし、柔らかくて頼り無い。

 こんな小さな体の何処に、通信中のマサキが気付く程の大きな声で居場所を知らせる力があったのだろう。

 ロボットには無いものだ。これは、生命力というもの。生きようとする力。

「……すげぇな、命って」
「何言ってるんですか、いきなり」
「だってさ……」

 こんな掌に収まる程小さな子猫すら、生きる為に必要な事を知っている。生きる為に食べる。

 そんな生き物なら当たり前の事すらも、AIにはプログラムしてやらなければ実行出来ない。そのプログラムを作るだけで膨大な時間が必要なのだ、と小太郎が熱弁をふるうも、

「……何言ってるのかさっぱりですけど、その子自力でおしっこ出来ませんよ。ちっちゃいから」
「え? ど、どーすんだよ」

 子猫の排泄の仕方で吹っ飛んでしまった。まだ小さすぎる子猫は母親に排泄を促して貰わないと出来ないのだ。我ながら不器用な手付きで柔らかい脱脂綿でお尻の辺りをぽんぽんしてやると、みるみる染み出てきた。

「おお~。偉いぞ、ちびすけ。頑張ったな」

 お腹がぽんぽんに膨らむまでミルクを飲み、おしっこをした子猫は小太郎の手の中でスヤスヤ眠りに落ちてしまった。

 子猫を寝かし付けた後、ゴローへの連絡などサポートしてくれたマサキに改めて礼を伝えて、小太郎は猛然と子猫の為の買い物を進めていた。

 不器用に助手の水城と二人で大騒ぎしていたら家政婦の房江まで様子を見に来て、テキパキと後片付けをしてくれたが、房江にまで未確認生物顔で抱っこを拒否する子猫を前に、

「もう博士が育てるしかないですね」

 と太鼓判を押された小太郎は、この小さな命の仮父となる決意をせざるを得なかった。

 悪い気はしない。今もキーボードを叩く小太郎の膝の上でだらしなくお腹を見せてくうくう寝ている子猫は、いとも容易く小太郎の父性を目覚めさせたのだった。


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