見出し画像

「クソガキ」と言ってしまった私に、息子がくれたもの。

遅めの夏休み。私たち家族が行ったのは、沖縄県の石垣島です。
離島から水牛に乗り、べつの島へ散策するツアーに参加しました。事件はそこで起こりました。

こんがり日に焼けたベテランの男性ガイドさんが、水牛をあやつりながら、私たちに説明してくれます。

「この水牛は、1日に4回運行していますよ。台風や雨の時は運行できないんでね、みなさんラッキーです。運行できるかどうかは、水の高さで決まります。ほら、あの岩の印を見て。赤い線がちゃんと見えるでしょう。だから運行できるんですよ〜」

ガイドさん、そう何回も「運行」って言わなくても・・。私は嫌な予感がしました。するとすかさず、我が家の3歳の息子ヨウが嬉々として叫びます。

「うんこう?うんこ!」


あちゃーー不安的中です。

幼少期の男児によくあるように、息子たちはその類のワードが大好きです。家では毎日のように、うんこ、おなら、おしっこを言ってゲラゲラ笑っています。

しかしここは、他の人もギュウギュウに座る水牛。(韻を踏みました)

ヨウが「うんこ」と言った瞬間、一気にみんなの視線がこちらに。私はとりあえず「そういう汚い言葉は、他の人もいるところで言わないで?」とヨウに伝えました。
言えば言うほど逆効果かもしれないけど・・でもちゃんと伝えないと。そうして私は、景色に夢中なふりをしました。

しかし次の瞬間、タイミングの悪いことに。

ボトッボトボトボトッ

威勢よく、海の中に何かが落ちていきました。

さっきまでエサをもりもり食べていたという水牛さん。私たちを運びながら、糞をしてしまったんです。

ウンよく、息子達は牛のお尻の真前の、特等席に座っていました。大喜びした息子達は、「うんこだ!うんこ!」とますます大はしゃぎ。
もうこうなったら止めようがなく、その後もずっと牛のお尻に釘付けです。

私たちがきれいな風景を楽しむ間も、ガイドさんの弾く三味線にうっとりする間も、ずっと彼らの視線の先は、牛の尻。

ああ・・男の子ってこうなのね・・
その後も「ちんすこう」「ウコン」「うっちん茶」など、沖縄には彼らの琴線に触れるワードが多く、私はそれらを聞くたびハラハラしながら過ごしました。


水牛を楽しんだところで、お昼ご飯を食べようと、島の人がやっている食堂に入ることに。

しかし3歳の次男ヨウは「歩くのがつかれた」と言って、抱っこをねだり、なかなか歩こうとしません。暑さも加わって、機嫌の悪さはMAXに。やっとのことで食堂に到着するも、駄々をこねて玄関を入ろうとせず、彼の泣き声は店内まで響き渡っていました。

5歳の息子モリはモリで、着いて早々、店内にあったソファに寝っ転がり。

「ここはおうちじゃないから、ちゃんと座ろう?」

何度言っても聞く様子がなく、脱いだ靴下も放置、手を洗いに行こうと言っても聞かない。私はそこで、行きの飛行機でのことを思い出しました。

久しぶりに乗る飛行機で、モリもヨウも大興奮。3時間のフライトで寝るどころか、窓を見ておしゃべりをしたり、飽きて廊下を歩いたり、座席のテーブルを出したり戻したりして遊んでいました。
するとシートがガタンガタンして気に障ったのでしょう、前にいた若い女の人から睨まれてしまいました。そしてまた別の席の方からも「静かにしてください」と注意されてしまったのです。

食堂で隣の席を見ると、息子と同じくらいの女の子が、きちんと座ってお行儀よく食べていました。

なんでうちの息子だけ、こんなにうるさいの?
言うことを聞いてくれないの?

そう、すべては私のせいなんです。

息子達は公共の場でうるさくすることを知っていたので、できる限り、外での食事は避けてきました。感染リスクも怖かったし。家で食事するほうが安全で気楽でした。しかしその結果、「静かにしよう」と訓練させる機会が足りなかったように思います。

飛行機でも、私のほうが久しぶりすぎて、子どもを静かにさせるグッズの準備や配慮が足りませんでした。「もう5歳と3歳だし、静かにしてくれるでしょ」その考えが甘かったのです。

私はしつけのできない、ダメな母だ。

そう考えると、どんどん辛くなってきました。でもここで、息子のしつけを放棄するわけにはいかない。私は食堂のソファでぐだっと寝そべる息子に、最後の一押しとして、こう声をかけました。

「ねえ、ここは家じゃないよ。ちゃんとまっすぐ座って?あと、これからご飯食べるからさ、一緒におてて洗いに行こうよ」

息子は案の定、「えーー」と言って、うだうだ。動く気配がありません。

その姿を見て、プツンと自分の頭の血管が切れる音がしました。

「ママはそういう子、好きじゃない。クソガキ。」


あちゃーー・・言っちゃった・・・。

いくら暑くて、疲れていたとはいえ。頭のなかでごちゃごちゃと考えていたものが噴火して、マグマのように出てしまった一言がこれでした。

「自己肯定感を高めたい」とか思ってたはずなのに、下げるような言葉を母が言っていいわけない。

「クソガキ」なんて、今まで30数年発したことのない言葉を、どうして最愛の息子に?


クソって、子どもに「言わないで」って私がさっき言ったよね?

しつけができないのは私なのに、それを5歳の子どもに当たるなんて。「怒らない子育て」という本を読んで、怒ることこそしつけにはよくないってわかってたはずなのに・・。
どの角度から考えても、矛盾だらけ。私が間違っています。しかしその時はどうしても止まらず、口から出てしまいました。

モリはしゅんとして、すぐにトイレへ行き、手を洗ってきました。しかしせっかくのカレーには、ひとくちも口をつけることはありませんでした。

そのあと、私たちはビーチのある島へ移動。
きらきらとまぶしく輝く空と海の光景が、私の曇った心をすぐにかき消してくれるようです。

モリはずっと海に浮かんで遊んでいました。まるでなにごともなかったかのように、私と一緒に泳ぎじゃれあったりもします。その間も、私はさっきの一言が気になり、なんだか浮かない気持ちで過ごしました。

そうして近くを散歩していると、次男のヨウが突然、あるものを見つけて走っていきました。

虫や生き物が好きなヨウは、私が気がつかないような、小さな自然にとても敏感です。

ヨウが見つけたのは、道ばたに落ちていたお花でした。きれいなピンク色で、私たちの住んでいる東京ではなかなか見かけない種類の花です。

そしてお花を拾うなり、モリと相談して、誰にあげるかを決めていました。

「ママにあげよう!」

真っ先に名前があがったのは、まさかの私の名前。
そうして「これはメグちゃん(私の妹)、こっちはおばあちゃんに」と、その場にいる女性全員へお花の手配をしていました。

そうして「はいっ」と言って、私はふたりからお花を受け取りました。

「えっ、さっきあんなにひどいことを言ったのに。
 優しくしてくれるの?」

私が投げつけた汚い言葉とは真逆の、きれいなきれいなお花を、モリはだいじに渡してくれました。

3輪のお花の名前を、それぞれ「ひめちゃん」「ねばいちゃん」「ひみつちゃん」と名付けた息子たち。そのネーミングも私にはなかなか持っていなかったセンスで、関心してしまいます。どことなく、女の子っぽい名前なのが可愛い。

せっかくもらったお花なので、私はジーパンのポケットに飾りました。いつまでもこの気持ちが萎れないように、ちゃんと写真にも撮って。

なんて私はダメな母なんだろう。
子育てに向いていないなあ。
他の子は、ちゃんとできるのに。

子育てをしていると、自分のことも、子どものことも、他者と比較して落ちこんでしまうことがあります。しかし、この日私がもらったお花のように、唯一無二の愛しい時間があることも確かです。

息子は公共の場ではまだまだ静かにできないけど、道を歩いて、自分たちで楽しさを見つけていく力があるし。汚い言葉を発することがあるけれど、その反面、きれいなものをきれいだと感じ、それを大事な人に贈りたいと思えるきれいな心がある。

親は子どもに無償の愛があると言うけど、本当に無償の愛があるのは子どものほうなんじゃないか。私にはそう思えました。

「今日はひどいことを言ってしまってごめん。ママは本当はモリくんのことが大事で、大好きなんだ」
私は寝る間際に謝りました。モリは黙ってそれを聞いたまま、気がついたらスースーと寝息をたてていました。


帰りの飛行機では、行きのようにうるさくさせまい!と、家から持ってきた絵本、夫が準備した動画やお菓子、必殺技のおもちゃなどを配備し、万全の体制でのぞみました。すると行きよりもスムーズに、なんとか3時間のフライトを乗り切ることができました。

私だって、何度言われても直らないことが、大人になった今もあります。だから息子に対しても、辛抱強く、根気よく、できる限り優しく、「しつけ」をすることが今後の私の課題です。

今日は、モリの6歳の誕生日です。この気持ちを忘れないように、そしてこれからも、モリが大きく成長しますようにという気持ちをこめて、このエッセイを書きました。読んでいただいて、どうもありがとうございました。

小森谷 友美
noteで書ききれない話はTwitterで

#誰かの役に立てたこと コンテストで受賞したエッセイです

モリの優しい一面がみえるエピソード


サポートしてくださった方へのおまけコンテンツ(中華レシピ)を現在製作中です。随時お送りします!